人生

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FROM 川畑のぶこ

今日は、ぴんさん(50代・女性・医療機関勤務)
のご相談にお答えします。

【Q】両親は他界し、一人っ子で、子どものいない私。

信頼していた人や心の支えとなっていた人達も他界し、
いつしか生きることに意欲が持てなくなりました。

それでも20年位かけて、
目の前の楽しい事や興味を持つ事があると、
それに打ち込むようにはなりましたが、
それらの未来の楽しみは想像できませんし、
長生きしたい!とも思いません。

たとえ明日この命が終わると言われても未練はなく、
早く両親や大切な人達がいる所に行きたいと思っています。
だからと言って、自ら命を絶つようなことはしませんが。

危うく命を落としかねない事態となり入院したことがあり、
その際、あーこのまま死ぬのかなーと思っただけでした。

後々、本当に死にたいなら治療を受けないはずだ、
と言われました。
私の潜在意識の中では生きたいということなのでしょうか。

私が何のためにこの世に生まれたのか分からず、
生きがいと思えるものもないので、
自分というものがなく、周りの反応に合わせてきました。

半世紀以上、他人軸で生きてきた私が、
自分軸を持って「生きる」ことはできますでしょうか?

【A】「自分軸を持って<生きる>ことはできますでしょうか?」
への答え、、、これは「できます」。

ぴんさんがそう望むのであれば、ですね。

実際に、そう望んで、でも、そうなりたいのになれないから
苦しみがあるわけですよね。

ぴんさんは生きたくないと言ってるけれど、
これを悩むということは、どこかでやっぱり
生きたいと思うぴんさんがいらっしゃるから
なのではないでしょうか。

今回このようにご相談くださっているのも、
多分、ぴんさんの中の
潜在意識だったり、直感だったり、
魂だったり、お腹の底の声だったり、

そういったものは生きたいっていう本性、本質を
持っていて、それらが底辺に
脈々と流れているのだけれども、
実際にはそう思えないから苦しいのですよね。

私たちは人間は、頭がすごく発達して、
大脳が発達して、あれこれ
考えるようになってしまいましたね。

そして、いろいろなものを
「意味があるか、ないか」で
判断するようになってしまいました。
 
意味があるかないかはわからないけれど、
心のどこかで「生きたい」と思うぴんさんがいる
ということ自体は、大事にしたらいいと思います。

続きは、ビデオでお話しします……

 

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Q:個人事業を始めて10年+α、
今、何をしたいかが見えなくなっています。

いろんな方の意見を聞きすぎて
迷っているような気もしています。

アドバイスいただけたら嬉しいです。

【粋香・50代・女性・自営】

  
       
―――――――――――――――――
  
A:FROM 川畑のぶこ
   
個人事業を10年以上されているのは
素晴らしいことですね。

今粋香さんが何をしたいかが
見えなくなっているとのことですが、

これは、粋香さんがさらなる成長や発展を遂げるための
次の段階に差しかかっていることを
意味するのではないでしょうか。

過去10年は決して無駄だったのではなく、
すべて次の段階のために
必要なステップだったことでしょう。

私たちは、ひとつのステップをクリアすると
そこで満足するのではなく、
さらに次のステップへと進みたくなるものです。

とはいえ、変化に抵抗があるのもまた人間の性ですから、
そのような時に悩むのは当然のことでしょう。

慣れ親しんだ(時として生ぬるい?)池から飛び出すのは
不安が伴うものです。

これまで保ってきた生活の均衡が崩れるリスクが伴いますし、
決断を誤って大きな損失を被るのではないかと考えるから
躊躇してしまいますね。

この躊躇は決して悪いものではありませんし
状況を精査して安全な未来を予測するのに
賢明なプロセスでもあります。

ですから、このような時には様々な人の意見を聞いて
参考にするのは悪くないのです。

粋香さんが人の意見を聞きすぎて
判断ができなくなってきてしまっているのなら、
正解はたくさんあるんだなーと捉えてみることです。

そして、自分にとっての正解が
必ずしも万人と一致する必要はないことも
知っておいてください。

そして、たとえその選択が
失敗や損失を招いたとしても、
必ずしもそれで取り返しがつかなくなったり
すべての終わりというわけではないでしょうし、
そこからまた軌道修正して再出発もできます。

失敗もあくまでもマイルストーンであり、
私達は常に成長のプロセスの途中なのです。

成功の数より失敗の数が人を賢く大きく成長させる
ということも知って、過度に失敗を恐れないことです。

人の意見を聞いた上で、さんざん逡巡して、
何が正解か分からなくなった時は、
どの答えがもっとも心に躍動をもたらすかで
判断することもよいでしょう。

必ずしも理屈ではなく、いわゆる直感とか第六感など、
アタマよりも心の奥底の声に従うことで
人生が切り開けることは多いです。

少し寝かせてみて、ふと答えが湧いてくるというような
感覚が得られることもあるかもしれませんし
生活の中にいろいろなシンボルを見出すかもしれません。
また、夢の中で答えを見出すこともあるかもしれません。

いずれにせよ、アタマで考えすぎず、
すこし一呼吸おいて、リラックスして
感覚を研ぎ澄ませた状態を保っているなかで
答えへの近道が現れることもあることがあります。

粋香さんの中には、
そのようなすばらしい叡智が宿っていることを信頼して、
失敗も糧としながら新たな展開に
愛ある好奇心をもって向きあってみてください。

応援しています!
   
        
ーーー

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1120のコピー

FROM 川畑のぶこ

今日は、まいまいさん(50代・女性・会社員)
のご相談にお答えします。

【Q】57歳の会社員、独身です。
定年退職を3年後に控え、
将来のことをいろいろ考えます。

このまま一人で暮らしていくのか?
残りの人生、退職金だけで足りるわけはなく、
どうやって稼いでいくのか?

実家の84歳の母は今のところは元気ですが、
そのうち何らか手助けが必要になる時もくるでしょう。

これまでに介護や看病はまともにしたことがなく、
想像もできません。
私自身の健康維持も、ちゃんとできるのか心配です。

半世紀以上生きてきたというのに、
いざ自分のこと、将来のことを考え出すと、
自信がなく、弱音ばかり出てきて、情けなくなります。

適度な距離で付き合う女友達は数人いますが、
「生きていく」ことになると結局のところ、
人は一人なんだと、ふと寂しく感じたりもします。
 

人生100年時代なんて言われるようになって、
私には希望や楽しみより不安ばかりが
膨らむことが多くなりました。

あと30年?もしかしたら40年?
生きていかなくてはなりません。

どんなふうに考え、何からどうしたらよいのでしょう。
手がかりになることを、教えていただけたら幸いです。

【A】あと3年で退職とのこと、
過渡期にいらっしゃるのですね。

このように変化がある時というのは、
人間はすごく不安になりやすいです。

入社する時も不安になりやすかったと思いますし、
あるいは昇進する時は、うれしい一方で、
新しいタスクがかかって、責任も重くなるので、
また不安になったり、ということもあると思います。

そして、それを肥やしにする人もいれば、
不安のままでいる人もいます。

不安というのはある意味、危機管理で
人間がうまく活用しようと思えば
活用できる感情なんですね。

不安があるからそれを解消しようとして計画したり、
準備したりするわけなんですよね。

まいまいさんが、
3年後に定年退職を控えて不安だということは、
おそらく、ネガティブに考えるとすると、

60歳になって定年になったら、
もう私は世の中に 必要されなくなってしまう、

退職金だけでは足りないから、
どうやって稼いでいくのか、
稼いでいけないと思うから不安なのではないでしょうか。
 
ここはぜひ、「不安」を前向きに活用して
エネルギーに換えていただきたいと思います。

続きは、ビデオでお話しします……

 

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FROM:川畑のぶこ

今年もあっという間に最終四半期に入り、
断捨離祭りのテーマがあがってきました。
 
「自由」は永遠のテーマですね。
  
自分らしく生きるというのは
シンプルでいて難しいものです。

そもそも自分らしいってなんだろう…と。
 
   
自分らしさの心理的な課題には
セルフイメージの問題が常につきまといます。
   
セルフイメージとは、
「私はこういう人である」と信じたり
考えたり感じていたりする像であり、
    
また、相手が自分のことを
どういう人であると見ているかという像です。
  
   
さて、みなさんは一体自分のことを
どういう人と思ったり感じたりしているでしょうか?
   
私たちは生きていく中で、
さまざまな課題にぶつかります。
   
問題解決に向けて努力を重ねることは大切ですが、
さまざまな努力はセルフイメージと連動しています。
   
  
たとえば職場で上司から
理不尽な待遇を受けたとします。
   
「私なんてどうせ取るに足らない人間だ」
と思っているなら、
このような仕打ちを受けて当然と受け止め、
改善の努力を怠るかもしれません。
   
すると変化は起きませんし、
人生は憂鬱なものとなるでしょう。
   
反対に、「私は敬意を表されるに値する人間だ」
と思っているなら、
その理不尽さを指摘して
改善を求める努力をするでしょうし、    
多少の困難やエネルギーの消耗はあれど、
健全な変化がもたらされるでしょう。
      
もちろん、人生のすべての問題を解決することは
不可能ですが、セルフイメージによって
問題解決の質量は圧倒的に変わってきます。
     
    
セルフイメージが歪んでいると、
人生はつらいものになってしまいます。
     
その歪みは「私は本来かくあるべきなのに」と、
理想の誰かさんのフレームに自分をはめ込もうとして、  
それが叶わないために生まれるギャップに
注目していることから生じます。
      
「どうせできないダメな人間だ」というふうに…
    

日々の臨床で出会う方たちの悩みの多くは
そのような「ダメな私」に注目していることから
生じています。
     
苦手を克服して完全にならない限り
自分には価値が無いという誤解によって、
本来持ち備えたその人の良さや
魅力が消えてしまっているのです。
      
偽りの自分から脱却して、
自分らしくのびやかに生きるには、
    
「ああなれたらいいな」という、
どこかにある自分ばかりを追い求めるのではなく、
      
すでに自身の中に持ち備えているもので、
「これをしているときに夢中になれる」とか
「喜びや安らぎを感じられる」という
状況や場に身を置くのを増やすことです。
     
そして、それらに実際に取り組めなくても、
それをイメージするだけでもOKです。
     
私たちの脳は実際に起こっていることと
イメージすることを区別できません。
     
(好きな人のことイメージすると心ときめいたり、
 逆に嫌な人のことをイメージすると
 その人が目の前にいなくても
 嫌な気持ちになったりするように)
     
また、私たちは、2つのことを
同時に考えることはできないため、
お気に入りのものや素敵なことをイメージしながら、
     
同時に職場の上司の理不尽な態度を
想像することはできません。
        
マルチタスクで同時に行えるかのようでいて
一瞬一瞬で切替えが行われています。
    
自分らしいのびのびとした
人生を実現したいのであれば、
    
まず、自分がどのようなモノやコトに
喜びや安らぎを覚えるのかに注意を向けて
それらに勤しんでみます。
     
そのような時間が増えるにつれて、
セルフイメージも自ずと肯定的なものに
変化していくことでしょう。
     
今年の締めくくりの断捨離祭りでは、
そんなセルフイメージに関連した
苦難に負けない心のつくり方について、
  
簡単なメディテーションなどのワークも
取り入れてお話しさせていただきます。
    
のびやかな自分の実現に取り組みたい方は
ぜひご参加ください。
  
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FROM 川畑のぶこ

今日は、三日月さん(40代・女性・パート)
のご相談にお答えします。

【Q】自分の人生を生きているという実感が持てません。

子どもが4人おります。
小6、小2、年長、2歳です。

好きで作ったんだろうと言われたら何も言い返せませんが、
4人の子育てに息苦しさを感じています。

最近わかったのですが、自分がHSP気質だということもあり、
子どもたちのキャーキャー騒ぐ声や
4人が怒涛のように話かけてきたりすることに
とてもストレスを感じていて、嫌悪感すらあります。

ちゃんと話を聞いてあげたい気持ちもありますが、
どうしてもイライラしてしまいます。

それぞれの子と1対1とか、2人くらいまでなら大丈夫なのですが、
全員がまとまると、とんでもない疲労感で、毎日苦しいです。
時には、全て捨てて逃げ出したくなることもあります。

主人は仕事人間で、家では寡黙なタイプ。

私が相談しても、
なかなか良いアドバイスなどはしてもらえず、
家族のことは全て私が選択決定をしなければなりません。

4人プラス自分のことを全て決めなくてはならないため、
それもまたシンドイです。

このままではシンドイので少しずつ断捨離もしていますが、
まだ手放せないのが自分自身の服や靴、
子どもたちと行きたいと思って買ったものの、
まだ一度しか使っていないキャンプ用品です。

自分のものが捨てられないのは、
私自身が母としてではなく1人の人間として生きたい、
それを主張したいという気持ちの表れなのかなとか
考えるのですが、

キャンプ用品もおそらくその類いで、
子どもとの時間がとれていないこと、
罪悪感などからくるものなのかなと思っています。

私は幼少期のときに父から虐待に近いものを受け、
母親からは守ってもらえなかった恨みのようなものを持って
大人になってしまった経緯があります。

のちに母親からは謝ってもらいましたが、
過去の経験から、自分の子どもには
絶対にそんなことを味わってほしくない、
愛情を注ぎ、不自由ない暮らしをさせてあげたいと、
家を購入したりしてきました。

子どもに不自由をさせたくないという気持ちと、
子どものことばかり優先し自分を蔑ろにしている気持ちと、
本当にいろいろなグチャグチャした気持ちで
押しつぶされそうです。

子どもが自立するまではしっかり育てなくてはならない
と思っているのですが、あと15年以上、
自分の人生を子どもに捧げなければいけないのでしょうか?

子育てしながら、自分自身が、自分の人生を生きている
という実感はどう感じればいいのでしょうか?

【A】お仕事をしながら4人のお子さんを
育てていらっしゃるとのこと、
三日月さん、もうそれだけで
とっても大きなお仕事をされています。

なので、まずはご自身がご自身を
「私、本当によくやってる!」と大承認してあげてください。

1人が2人、2人が3人、3人が4人になり
手がかかるようになればなるほど、

きっと、いろいろなことを中途半端にしてしまってる気がする、
そんな経験が増えると思うんです。

1人にだったら十全にエネルギーをかけられたようなことが、
2人、3人、4人と増えてくると、
なんだか一人一人にちゃんと手をかけられていない私という、
自分自身の不全感みたいなものが起きてしまうことが
あると思うのです。

でも、4人を見ながら、仕事もして、家のことも全部任されて……
全てを完璧にするというのは不可能です。

なので、まずは三日月さんの描く
「完璧な育児・家事」というのを手放し、
断捨離していただきたいなと思います。

また、子どもだちは子どもだちなりのダイナミズムで、
学び合い、成長していく部分もあるはずです。

そこを信頼することも、三日月さんの課題かもしれません。

続きは、ビデオでお話しします……

 

 

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Q:断捨離をする度に、
人生が変化してきた体験がありますが、
  
最近、本当に好きなモノや服が
無い自分に気づきました。
 
高価なカバン、着物もありますが、
それも手入れが続くと思うと
面倒に感じてしまいます。
 
事務パートの仕事に必要で、当たり障りの無い、
惜しくない服やカバン、靴ばかり。
   
好きな服は長年着ててくたびれてますが、
探しに行く時間、お金もそんなに無く、
手放す勇気がありません。
 
仕事選び、人間関係にも共通した点があります。
   
自分の傲慢さも垣間見えて嫌です。
好きなものってどうやって見つけていくのでしょう。
   
【はる・50代・女性・事務パート】
   
―――――――――――――――――
   
A:FROM 川畑のぶこ
   
断捨離は単にモノを減らすプロセスではなく、
ましてや、モノを持たないことを目指すもの
でもありませんね。
   
ものごとを絞り込むことによって、
己の真のニーズを見極めていくプロセスです。
 
ですので、「持つべき」でもなければ、
「持たないべき」でもありません。
   
いったい私は「何を持ちたいんだろう」。
引いては、「人生にいったい何を携えて
生きていきたいんだろう。」と、
振り返り行動するプロセスです。
   
はるさんは、モノを探しに行く時間やお金も
無いということですが、
   
対象をモノに限定せずに考えてみることも
大切かもしれません。
   
たとえば、時間の使い方も、
本来何かを「する」ことを減らせれば、
ゆとりが生まれるのに
「せねば」と思ってはいませんか?
   
スケジュール帳を開いて空白があると、
まるで棚にスペースがあると、
モノで埋めたくなるように、
空欄を埋めてはいませんか?
   
人間関係に本当はNOといいたいのに、
自動的にYESと言ってしまっていませんか?
   
すると心のゆとりが無くなってきて、
エネルギーが枯渇し、
さまざまな物事の管理も
億劫になってしまうことでしょう。
  
時間に関しては、自分をもてなすのに、
スケジュール帳のマスを
ときに空欄にしてみたり、
リラックスタイムとしてみてはいかがでしょうか? 
   
また、人間関係も、
断っても差し支えのない行事や関係から
少しずつ断るようにしてみると
少しずつ心にゆとりが出てくることでしょう。
   
くつろいだり、休んだりすることに
罪悪感を覚えるかもしれませんが、

そのようなときは、これは決して
相手を蔑ろにしているのではなく
自分を大切にする行為であることを
覚えておいてください。
   
人生の目的は幸福を体験すること。
私は幸せに値する人間であること。
    
ときに、得たいものを得てよいと
どうかはるさんが
ご自身に許可を与えてあげてください。
         
  
ーーー

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FROM:川畑のぶこ

「ヒットラーがヒットラーとして生きることを信頼しろ。」

心理療法の師、サイモントン博士が
レクチャーの中で説いた言葉です。

博士の通訳としてサイモントン療法に関わっていた
24年前の当時、
この言葉を聞いてとても衝撃を受けました。

「は?いったいこの人は何を言っているのだろう?」
「私が聞いたことは正しい?」
「私の通訳、本当に合っている?」
と、とても不安にもなりました。

念の為、聞き返すとやはり同じことを言っています。

噛み砕いてみると、私たちは
「一国のリーダーたるや、かくあるべき」
という理想像があり、
 
その理想の枠組に収まらない人なら信頼できず、
不安や怒りや絶望感を抱きます。

相手が変わらない限り、人生や世の中は機能しない
ものと受け止めてしまうのです。

ヒットラーは極端な例ですが、
これはより身近な夫婦関係や親子関係、
職場の人間関係や友人関係にも当てはまることです。

それぞれに対する無意識な理想の像や期待があり、
その枠組からはみ出していると不信感を抱き
ストレス下に陥ってしまうのです。

何かを信頼することは私達に心の平安を与えてくれますし、
QOL(人生の質)を高めてくれます。

ただし、いったい何をどのように信頼しているのかを
精査してみることは大切です。

放っておいても、人々は理想通りに行動するはずと
信頼しているなら、ストレスも多くなることでしょう。

なぜなら、自分自身がそうであるように、
常に理想通りに行動する人はなかなかいません。

それでも、それぞれの限界の中で、
その時点における最善を尽くしているのは
事実なのではないでしょうか。

たとえそれがいびつに見えても、
当人にはそのようにならざるを得ない背景が
かならずあります。

それは生育歴に影響を受けているかもしれませんし、
大切な者との関係において起きた
トラウマティックな体験の影響を
受けているかもしれません。

愛情の欠如だったかもしれませんし、
情報や教育が不足していたかもしれません。

それぞれに、
物理的な限界、心理的な限界、社会的な限界、
知識的な限界、知性的な限界、経済的な限界、
肉体的な限界、
またスピリチュアルな限界などがあるでしょう…

それらの限界の中で、
その人なりのその時点での最善を尽くしていることは
まちがいないのではないでしょうか。

いびつかもしれないし不器用かもしれない、けれども、
その人なりの限界の中での出来る限りのことを
しているわけです。

徹底的なコントロールさえすれば、
完璧にこなせるかといえば、
人間である以上、失敗は免れません。

人間は失敗を免れない存在であると
自然に即した信念を育むことができれば

私たちの抱くストレスは低減されるはずですし、
日々の出来事にも過剰反応することなく、
より柔軟に向き合えるはずです。

このように私たちの人生は、
ものの見方ひとつで大きく変わってきます。

ヒットラーも、結果としてそれが
不健全な状態を招いたにせよ、

彼はその時点での彼なりの理想をもって
最善を尽くしたことを理解し、

そして、そこから適切な距離をとり、
自分なりに違いをおこすための
ベストを尽くすことは可能です。

人は過ちを犯す。
けれども、それを正すことができるのもまた人である。

このように信頼できたのなら、
私達の人生は希望に満ちたものになるのではないでしょうか。

向き合う相手も世の中も、
なかなか常に思い通りにはいきません。

けれど、それなりに人生は機能するし、私は私の人生を
私の心に誠実に切り開いていくことはできます。

サイモントン先生は
「私たちは見ることを信じると学んでいるが、
 信じることを見るのもまた事実である。」
とも教えてくれました。

完璧や極端なポジティブにとらわれず、
自然に即した健全なものの見方や考え方を育むことで

私たちに心の平安が訪れ、
より豊かな人生を歩むことができることでしょう。

あなたはいったい何をどのように信じていますか?
それらはあなたの人生を豊かにしてくれますか?
信頼するとはどのようなことでしょうか?

ぜひいちど振り返ってみてください。

不健全な信念を健全にかえる術を身につけることで、
人生の流れはガラッと変わります。

 
 

★人生の悲嘆に平静に向き合う
〜マインドフルネス研修会
川畑のぶこ登壇@東京大学駒場キャンパス
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医療者、心理・ヘルスケア関係者が対象ですが
マインドフルネスや心身医学にご関心のある方は
どなたでもご参加できます。
セルフケアにお役立てください。

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FROM:川畑のぶこ

「執着ほど人間を苦しめるものはない。」

ブッダの言葉です。

そして、私達人間がもっとも執着するのは、
「命」でも「健康」でも「お金」でもなく…
「考え方」だと説いています。

すなわち、
人生において私たちをもっとも悩ませるのは
私たちの「考え方」にほかならないのですね。

命、健康、お金への執着も、もとをたどれば、
私達固有のそれらへの受け止め方や
考え方によるものということになります。

その考え方や信念が
私達の人生を豊かにしてくれることもあれば
逆に苦しみになることもあります。

イライラしたり、クヨクヨしたりするのは、
凡(およ)そ、「かくあるべき」という考え方に、
自分や相手が当てはまらなかったときではないでしょうか。

妻として、夫として、子として、親として仕事人として、
友人として、コミュニティーの一員として…

「かくあるべき」という理想を抱くことは
大いに結構なことですが、
それが歪んでいて、無自覚でいると
不調和を生み出してしまいます。

たとえば、周囲に気を配るのは良いですが、
相手の気持ちを深読みしすぎて、
(=相手がそこまで望んでいないレベルで)

はたらきかけているなら、
たとえ良かれと思っての行為であっても
相手には負担になり疎ましく思われるかもしれません。

相手も「してくれている」のをわかっているので
拒否するのもなんとなく
大人げない気がして憚られる。

そしてなんとなく居心地が悪くなって
精神的な距離を取ってしまう
なんてことは多々あります。

相手に合わせすぎることを
心理学用語では過剰適応というのですが、
なぜ、そこまで自分を殺して
相手に合わせてしまうのでしょうか。

それは、「相手に優しくするべき」という信念は
あくまでも表層的なものであって、実はその裏には
「私は愛される努力をしなければいけない」という信念が…

引いては「だって、放っておいたらなら…
私は愛される存在ではないのだから」
といった信念が根底にあったりします。

これは実に無意識です。

相手のためと思ってしていたはずのことが、
実はそんな自分の満たされない心のぽっかりを
埋めるための補償としての行為だったりするのです。

もちろん、私達は社会的動物で
互いを満たし合うことでバランスがとれますし、
自分も相手も不可分な部分はあります。

それでも、その行為が自分に向きすぎている、
あるいは相手に向きすぎていると、
そのアンバランスさが
人間関係に歪みをもたらしてしまいます。

相手も、実は自分自身を満たすために、
人の気持ちを無視しているのでは?
とうっすら感じ取ったり、

また、そこまでしないと
私に嫌われるとでも思っているのか?

と、どことなく信頼されていない感じに
受け止めてしまったりして、
なんとなく疎ましさを感じてしまったりするのです。

無論、表面的に波風立てず、
その場をやり過ごすためには
安全な関わり方かもしれませんが、

真に充足した人生や豊かな関係性を構築したい場合は
自分に合わせすぎるばかりでなく、
相手に合わせすぎることも逆効果となることがあります。

まず、根本的に、なぜそこまでの努力をしないと、
自分は愛に値しないと思ってしまったのかを探求してみると、
幼少期の親や大切な相手との関わりに行き着くでしょう。

寂しさや孤独を逃れるための愛情争奪戦で、
自分の振る舞いのパターンを獲得してきたことに
気づくと思います。

それは兄弟姉妹との競争だったり
学校やコミュニティーでいい子になる努力だったり、
実に不器用で健気でいじらしい
過去の自分が見えてきます。

その自分を認め、受け入れ、
そして「もう大丈夫だよ」と言ってあげることができたなら、
私たちは心の過剰さを取り除くことができるかもしれません。

ときおりそんな心の棚卸しをして、
自分軸・相手軸のバランスを取り戻すことができたなら、
私達の人生はより軽やかになってくることでしょう。

 

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FROM 川畑のぶこ

今日は、ひまわりさん(60代・女性・音楽講師)
のご相談にお答えします。

【Q】8年前、最愛の夫が急死しました。

やっと前を向いて行けると思った昨年、
最愛の母も亡くなり、大きな支えがなくなりました。

その間、子ども達と孫の成長が私を慰め、
励ましてくれました。

そして、これからと思った時、
自分は何がしたいのか、もう歳だし……と、
目標が見出せずにいます。

贅沢な悩みだとは思うのですが、
これからひとりで生きていく事を考えると不安になります。

子ども達に迷惑をかけずに、
天に帰るその時まで元気で過ごすには
どのような心持ちでいたらよいのでしょうか。

アドバイスをお願いいたします。
 

【A】最愛のご主人、
そしてお母様も天に召されたとのこと。
お辛いですね。

喪に服する期間というのは、みんな違います。
人それぞれです。

1年経っても、まだまだ愛する者のことが忘れられず、
辛い気持ちが湧いてくる。

最愛の存在を亡くしたのであれば、
もうこれは当然です。

一方でそれは、ひまわりさんがそれだけ豊かな人間関係を
ご主人ともお母様とも構築されてきたという証だと思います。

失ってそれだけ苦しくなるほど愛おしい人が、
この人生に、この世に存在したという
豊かさの裏返しでもあるわけです。

ですので、悲しみや落ち込みがあるのは当然で、
ひまわりさんにはひまわりさんなりの
癒しのペースがあるんだということを、
まずは受け入れていただきたいと思います。

今、何か目標を持って頑張ろうと思えなくても当然なんだと、
現在の状態そのものを批判せずに受け入れてあげてください。

そして「死生観」についても思いを向けてみると、
新たな視点が得られるかもしれません。

続きは、ビデオでお話しします……

 

 

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FROM 川畑のぶこ

今日は、しろみさん(40代・女性・パート)
のご相談にお答えします。

【Q】いつもYouTube配信をありがとうございます。
川畑さんのお話はさわやかで、分かりやすいです。

私はフルタイムのパート、41歳、実家暮らしです。
友達もいない、パートナーもいません。
生きていく自信がないことが悩みです。

私はパートでしか働いたことがありません。

人と関わるのが苦手で、長時間労働する体力がないので、
正社員は務まらないと思い、パートで働くことを選びました。

これからの時代は雇われる働き方がなくなり、
自営業をするか、自給自足の生活に変わっていくと思います。

両親も高齢だし、会社にも両親にも頼れなくなるから、
自立するしかありません。

でも、こんな弱い私が自立できるとは思えないし、
これからの時代を生きていく自信がありません。

不安で不安でいっぱいです。
どんな困難でも生きていけるような強さが欲しいです。

私が、たくましく生きていけるようなアドバイスがありましたら
教えて欲しいです。よろしくお願いいたします。

 
【A】40代に入って、ご両親も高齢になり、
経済的にもずっと頼りにすることができなくなって、

しろみさん自身が自分の足で立って
歩んでいかなければ…という焦燥感がおありなのですね。

体力的に長時間労働が続かないとのことですが、
正社員でなくパート勤務であったにせよ、
これまで仕事を続けて、
経済的にもちゃんと稼いで生活してきたわけですよね。

それは自信を持って良い部分ですから、
まずは、ご自身をきちんと評価してあげてください。

そして、体力の有無には個人差があります。
長時間労働しても全く支障のない人もいれば、
すぐに疲れてしまう人もいます。

ご自身の体力や適性を踏まえて、
身体的な負担がかからずに比較的長く働ける仕事を
今から見つけたり、
これから数年かけて何か資格を取っていくということも
できるかもしれません。

「もう41歳」と捉えるのか「まだ41歳」と捉えるのかは
しろみさん次第。

ここから何か新しい視点を持って、ご自身の働き方や
人間関係の築き方、ひいては人生全体を考える、、、
そんなタイミングにきているのかもしれませんね。

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