FROM 川畑のぶこ
私が断捨離に出会ったのは2008年秋で、
実際に着手したのがその年末から2009年の年始にかけて。
季節は早くも、ぐるりんとひと回りしてしまいました。
いまだに、~断捨離は続くよどこまでも♪~の世界で、
日々精進ですが、改めて、断捨離との出会いがなければ、
私の人生どんなだったろうと思います。
「だって~なんだから、仕方ないじゃん。」
「分かってる、分かってるって。そのうちやるから大丈夫」
と、日々自分への、そして誰とも同定できぬ誰かへの、
心の中の言い訳ばかりして、
いまだに無意識なエネルギー漏れを起こしながら、
「あぁ~なんだかしんどいわぁ…」
と、でも、その重たさを引きずりながらも
それなりに前進できちゃっている状態で
生活していたのかなぁ…なんて、
パラレルワールドのもうひとりの自分に想いを馳せながら、
ゾッとするこの頃です。
心理療法家として人々と向き合う際、
いかに執着心を手放すかは、
メンタルヘルスのキモとなっています。
これは私の師であるサイモントン博士から常々学んできた教えであり、
私自身、パーソナルライフで日々チャレンジしていることです。
そして、執着の対象で、私たちがもっとも執着してしまうのが、
思考や信念と言われています。
堆積するモノは、目に見えない執着心が
目に見えるカタチとして現れたもの。
モノを手放すことで観念を手放すことができる反面、
観念を手放すことでモノを手放せることもあります。
これらのアプローチを臨床では認知行動療法と呼びます。
行動療法はより行動に違いを起こすことによって
認知(もののとらえかた)を変容させていくもので、
認知療法はものごとの受け止め方を変えることで
行動しやすくなるアプローチです。
両方のアプローチが行えることで、
私たちの変容は促進されていきます。
たとえば、私がはじめて大量のモノたちに向き合ったとき、
どう考えても、こんなもん手放したほうが楽になれるに
決まっているとわかっていても、
なかなか行動に移せませんでした。
それは、私の中の深い部分、無意識な部分に
刷り込まれていた信念が影響していました。
「使えるものを捨てたらバチがあたる」とか
「祖父母の教え(伝統)に背く行為」とか
「あとで後悔して取り返しのつかないことになる」
とかといったものです。
これらは、すべて非合理的な考え方で、
私の人生を豊かにしてくれません。
幸い、サイモントン博士から、
これらの役に立たない考え方を捨てるすべを学んでいたので、
私は即そのメソッドを適用して断捨離に勤しむことができました。
現実に目をやれば、ものが堆積して苦しいこの状態こそが
バチみたいなものだし、後悔の対象そのものでしょう。
また、先祖は自分たちのやり方を死守してほしいわけではなく、
子孫に幸せになってほしいはず。
祖父母たちの時代では役立っていたものが、
孫の時代では不幸を呼ぶのであれば、
そんな観念、とっとと捨てろと、孫を愛する祖父母は言うはずです。
万一、天のジジババが、己への忠誠を試すだけの、
愛のない執着からの教えなら、私の代でその悪の連鎖を断ち、
後世にはしなやかさと自由さを伝承しましょうと。
執着の解毒剤は信頼感である、
というのもサイモントンの教えです。
しがみついているものを手放すには、
たとえそれがなくても私の人生はそれなりに機能するという
基本的な自分自身と人生に対する信頼感が必要です。
そんな信頼感を育めると断捨離も促進されます。
断捨離とは人生への信頼を確認する
イニシエーションともいえるでしょう。
東京は桜も散り、ハナミズキが美しい季節となりました。
コートを脱いで青空に手を伸ばすように、
今では不要となった古い観念を捨てて、
みずみずしい人生を謳歌したいものですね。
そんなシーズンにぴったりの講座が
いくつかありますのでぜひお役立てください。
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