人生

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こんにちは! 川畑のぶこです。
今日は、いつもとだいぶ違う景色とメンバーでお届けします。

7月12日から昨日(14日)まで、
「沖永良部島心のケアフォーラム ~空と海の瞑想の旅
3-dayワークショップ~ 2019」というイベントがありまして、
私の故郷・沖永良部島に来ています。

今週と来週のビデオメルマガは、そのイベントでご一緒させていただいた、
スペシャルな方々とわたくし川畑との対談をお届けします。

さて、今回は、精神科医の保坂隆さんにお付き合いいただきます。
保坂先生は、サイコオンコロジー(がん患者さんと家族の心のケア)
の専門医でいらっしゃいます。

がん患者さんやご家族が、がんに関する不安や葛藤を乗り越えて、
生き生きと自分らしい生活を取り戻し、新たな人生を送れるように
一緒に考えていく診療を、ご自身のクリニックで提供されています。

そんな保坂先生に、「心のケア」についてお話を伺いますよ。
どうぞ、じっくりご覧くださいね!

続きは、ビデオでお話しします……

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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Q:こんにちは。いつもあたたかいメッセージをありがとうございます。
 
私は50代で離婚し、子どももいません。
 
ありがたいことに正社員として働かせて頂いています。
 
職場の雰囲気はいいのですが、最近イライラが止まらず、
そんな自分が嫌で落ち込むことが増えてきました。
  
後輩に子どもができる度に落ち込み、
あたたかい家庭を作ってて羨ましいなと、
でも健康で仕事もあるのだから感謝しないと、
 
と自分に言い聞かせて納得させてきましたが、最近、疲れてきました。
  
楽しそうな同僚の輪の中に入ることもできず、
忙しいオーラを放ってる自分の姿も嫌になります。
 
肩身の狭い想いです。
アドバイスをどうぞよろしくお願いします。
  
【ゆかり・50代・会社員】
  
———————————–
  
A:FROM 川畑のぶこ
  
  
離婚後、一人暮らしで、
フルタイムの正社員でお仕事をされているのですね。
 
ゆかりさんのおっしゃる通り、
経済的な基盤が与えられているというのは、本当にありがたいことですね。
 これからも大いに感謝しながらお仕事に勤しまれますように。
 
ただ、そのような経済的充足とは裏腹に、
後輩に子どもが出来るたびに落ち込み、
羨ましくなる、そんな自分に嫌気がさすなど、
心理社会的な面で、充たされないものがあるのですね。
 
ゆかりさんの率直なフィーリングが伝わってきます。
 
さて、日々臨床で色々な患者さんやクライエントさんに接していると、
人間とは、実に様々な状況によって、
時として正反対の状況によって悩まされるものだなぁと
つくづく感じています。
 
ある人は、パートナーさえいればと嘆き、
またある人は、子どもさえいればと不妊を呪う。 
ところが、ある人は、あとひとり子どもがいさえすればと嘆き、
かと思えば、子どもさえいなければと真剣に嘆く人もいるのです。
 
問題は、状況や対象が変わらないことではなく、
常に「この状況は不十分である」という
あり方が変わらないことにあるのですね。
 
今のままでは不十分、
すべての条件を整えなければ、幸せになれない、という、
Never Enough症候群とでもいいましょうか、
私たちのあり方が自分を苦しめてしまっています。
 
ですので、ゆかりさんも、
問題は実際に子どもがいないことや、
後輩が幸せ(に見える)ということではないかもしれない、と
もう一度ご自身に問い直してみてください。
 
私は「常に」「何かが足りない」ということに焦点を当てることをやめ、
今、与えられているものや可能なものに焦点を当てることで、 
何か大きな変化が起きるかもしれないと
ご自身の人生を信頼してみてください。
 
たとえば、自分の血を受け継ぐ子どもは持てなくても、
「母性を持って愛情豊かにはぐくむ」ことは、
今もこれからも出来ることではないでしょうか。
 
自分の子どもがいなくても(ときとしていないからこそ)
豊かな愛情や繋がりの中にいて、
感謝や幸せを感じながら生きるている人もたくさんいる
という事実に目を向けてください。
 
動物たちとの関わりの中に、人間以上の愛や繋がりを持って
豊かに生きている人も(たくさん)います。
 
紋切型でない、そんなさまざまな価値観を味わうために、
この人生が与えられたのかも、と好奇心を持つことが
できれば、きっと人生は追い風になるはず。

   
    
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Q:こんにちは。
先生の考え方は人生を送る上で非常に有意義だと感じ、
勉強させて戴いております。
 
先日、先生の著書にて
「叡智を信頼する」という内容を読みました。
 
「全てはうまくいっている」
「自分が望む形ではないとしても、
必要な時に、必要な助けが与えられている」と信頼する。
 
 
しかし、子供が悲しい事故で
亡くなってしまった方を思うとき、
どうしてもそのように感じることができません。
 
稀ではありますが、人生ではこのような、
まるでテロにあうような事件に
巻き込まれることがあります。
 
そのような絶望的な状況で、
このような宇宙の叡智を信頼するには、
どのような信念で取り組めば良いのでしょうか。
 
アドバイス頂きたいです。
宜しくお願いします。

【まめまめ・40代・主婦】

————————————

A:FROM 川畑のぶこ

そうですね。自然界や宇宙は、
まめまめさんのおっしゃるように
私たちの思い通りに運んでくれませんね。

内なる叡智(Inner Wisdom: 私たちの中にも外にも
宿る、見えないけれども私たちを守る、優れた智慧)は、

私たちのエゴに従って
願いを常に叶えてくれる力ではありません。

まめまめさんは、
叡智が私たちを守ってくれるなら、
なぜ私たちは死ななければならないのかと
疑問に思っていらっしゃるのだと思いますが、
死もまた叡智であり、自然の営みの一部です。
 
そして、私たちが基本的に
死ぬまで生きようとするのも叡智なのでしょう。
 
死に対する絶望は、多くの場合、
死に対する不健全な信念によって生じます。

たとえば死とは、
すべての終わり、苦しみをもたらすもの、
敗北の現れ、無価値になること、
闇に葬られ忘れ去られること、

などといった死生観が無意識のうちに形成されていれば、
絶望感が増すでしょう。
 
ところが、死は卒業式のようなもので、
次の段階への移行、未だ見ぬ世界への旅立ち、
ととらえたならどうでしょう。

また、安らぎをもたらし、光に導かれるプロセスであり、
これまでとは異なるかたちで愛するものとつながる世界、
と受け止めたならどうでしょう。
 
私たちがこの世に生まれてきたときは、
着の身着のままどころか、何も纏わず、
無一文で生まれてきましたが、
母性の叡智が私たちを守ってくれました。

たとえ血が繋がっていなくても、このような
目には見えない叡智がこの世に存在します。
 
同様に、私たちはまだ体験していないので、
よくそれが何か理解できていないけれど、
死には死の叡智があり、
死後は死後がきちんとケアしてくれる、
と受け止めることができたのなら、

寂しさや悲しみなどの痛みはともなっても、
絶望からは解放されるのではないでしょうか。
 
私の母は子どもの頃、事故による臨死体験があります。

周囲から見れば可哀想で惨めな体験です。

では母本人の体験はどうであったかというと、

「この世では体験出来ない心地の良いところ、
永遠にそこにいたいと思うところに行った」と言います。

ですので、息を吹き返したときは、
周囲は笑顔で喜びましたが、

母の頭によぎったのは、
「あぁ、終わってしまった」という言葉であり、
落胆すら覚えたと言います。

ですので、私の母は死を恐れていません。

まだやりたいことがたくさんあるし、
死にたいとは思わないけれど、
今日が最後の日なら
それはそれで構わないといいいます。

「より良い続きが待っているから」と。
 
このように、死を見つめる周囲と、
死を実際に体験している本人のあいだには、
大きな乖離があることも考えられます。
 
アメリカ先住民の教えに次のようなものがあります。

「私たちが生まれてくるとき、
私たちは泣いて、周囲は笑っていた。
だから、私たちが死ぬとき、
周囲は泣いて、私たちは笑うのだ。」
 
私たちには想像力という素晴らしい叡智が宿っています。

この叡智を、どのように活用するかは
私たちの人生の課題なのかもしれませんね。
   
    
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FROM 川畑のぶこ

みなさんは「リトリート」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

英語で”Retreat”は直訳すると
「避難所」とか「隠れ家」、という意味になるのですか、
 
日常の困難から離れて、静かで安全な場所に身をおくことをこう呼びます。
 
現代では、日々の喧騒から離れて、心や体を休ませ滋養したり、
穏やかさの中で自分自身と深く向き合い、
心身の健康を増進させたりするための転地療養の場に
このリトリートの概念が用いられています。
 
リトリートはRe-Treat、すなわち
「再び」+「もてなす」という意味でもありますから、

日頃ないがしろに扱っている自分自身を
丁寧にケアするという意味でもあるわけです。
 
私は今、伊豆高原のリトリートにいます。
 
サイモントン療法の6日間の滞在型研修で、
がん患者さんやご家族の、また、
同メソッドを学んで、仕事やより豊かな人生に役立てたい
インターンのみなさんとのリトリートですが、
  
オーガナイザーである私自身にとっても、この場はリトリートです。
 
海と緑に囲まれ、鳥の声で目覚める毎日。
 
滞在先の施設は個々のリクエストに応じてくれて、
私は3食マクロビで上げ膳据え膳、
コンコンと湧く温泉に身を浸しながらの6日間は夢のようで、
 
疲れを癒し、自分自身を取り戻すのに絶好のロケーションです。
 
ところが、それより何より素晴らしいのは、
調和をつくりだそう、穏やかさを取り戻そうと、
そこに集まり互いに学び合う人々のエネルギーです。 
この集団力動は、言葉では言い表せない癒しのエネルギーを放ちます。
 
ケンブリッジ辞典ではリトリートを、
「何かをすることをやめたり、問題を作り出す考えを持つことをやめること」
と定義しています。
 
集団で何かをすることはパワフルですが、
集団で何もせず静けさの中に身をおき、すなわち、
瞑想的な時間を過ごすことのパワーが素晴らしいのです。
 
まさに、心の断捨離です。
 
今回のサイモントンのリトリートでも、
参加者のみなさんとともに、過剰な活動を控え、
こころ、からだ、スピリットの調和をテーマに学びを深め、
 
グループワークでは相手の話にじっくりと耳を傾け、気づきを得ています。
 
私たちは日頃、話すことにも急ぎ、聴くことにも急ぎすぎています。
 
この、じっくり聞いて、またじっくり話して、
受け止めてもらえることの豊かさ。
 
安全・安心な場のあることのありがたさは、
なかなか手軽に得られるものではありません。
 
最近、自分を見失ってしまいそうとか、
なかなか疲れがとれない、などと思ったら、
 
思い切って、自分をもてなすリトリートを思い出してみてください。
  
   
   
  
★南の島でリトリート
〜空と海の瞑想の旅in沖永良部島
  
キャンセル発生につき若干名空席あり

詳細はこちら
    
★サイモントン療法各種プログラムはこちら

   

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FROM 川畑のぶこ

平成が終わり、いよいよ令和のはじまりです。

この原稿を書くまで、
私のMacはまだ新元号を認識しておらず
変換に手こずりましたが、
この投稿をもってきちんと認識されました!

ようこそ令和!

みなさんは、令和元年第一日目を
どのようにお過ごしでしょうか。

私は例年のゴールデンウィークとかわらぬスケジュールで、
海外から招聘した講師の先生方とともに
「いま・ここ」に生きる、マインドフルネスの研修を主催しつつ、
生徒としてその実践に取り組んでいます。

平成の仕事がマインドフルネスで終わり、
令和の仕事がマインドフルネスで始まります。

元号が変わったから、何かが変わるかも♪
そんな期待感も、なくもありませんが…

私(たち)にできるのは、やはり
ひたすら、いま・ここを生きることのみ。

一歩一歩の歩みを平和に生きることができるか否か、
そこに尽きるよなとつくづく。

というわけで、令和の幕開けは、
この数日どっぷりと浸っているティク・ナット・ハン禅師の教えから、
私のお気に入りの言葉を贈ります。

***********

幸せへの道があるのではない
幸せとは道そのものなのだから

      ~

心はさまざまな方向へさまよいゆく
けれど私は この美しい小道を
やすらぎながら歩く
一歩ごとに やさしい風が吹き
一歩ごとに 一輪の花が咲く

by Thich Nhat Hanh

**********

新たな今日この日もまた、
みなさんが平和な一歩を歩めますように。

   

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190318

こんにちは。川畑のぶこです。

今日は、マナティーさん(40代・主婦)のご相談にお答えします。

~~~~~~~~~~~
川畑先生、いつも為になるメルマガをありがとうございます。
私のこころのぼやきを聞いていただけたらうれしいです。

子宮体がんになり、子宮と卵巣と卵管を摘出する手術を受けることに
なりました。主治医からは摘出手術以外のオプションが提示されず、
この方法がベストなのか分かりません。

今住んでいる町には病院がないので遠方に通っていて、
他の病院はさらに遠いため、セカンドオピニオンは受けていません。
家族友人にがんになった人がいないので具体的なアドバイスがもらえず、
手術後の体調面などわからないことだらけです。

これまで人生いろいろあって子どもを持たずに来ました。
親の借金の返済、夫の借金の返済、親への生活支援、夫の転勤先の福島
での原子力災害などを経験して、子どもを作る勇気が持てませんでした。

「子どもがいなくても幸せな人生を歩める」と自分なりにアファメーション
しているのですが、時々悲しみにとらわれてしまいます。
病に対しては悪いものと決めつけず、人間万事塞翁が馬と捉えて向き合って
いきたいと思っています。

これからの人生を前向きに健全思考で生きていくためのアドバイスや、
アファメーションの方法を教えていただけたらありがたいです。
~~~~~~~~~~~

人生には波がたくさんありますし、山もあれば谷もあるものですが、
マナティーさんは、親や夫の借金、生活支援、そして福島での被災…
それらを越えて、今回この病気と向き合って手術をされるということで、
本当に大きな波をたくさん乗り越えて頑張っていらっしゃいますね。

ご相談の文面には、特に書いてはいらっしゃいませんでしたが、
摘出手術以外のオプションが提示されずに不安な場合には、
ちょっと遠い場所であっても、セカンドオピニオン、サードオピニオン
を聞きに行ってみることをお勧めします。

マナティーさんが納得してから手術に臨まれることはとても健全なこと
だと思いますので、少々負荷はかかるかもしれませんが、
もし可能ならばそのようになさってみてください。

ドクターは忙しく、一人の患者にかけられる時間にはどうしても限りが
出てきてしまいますが、医師ではなく看護師さんをつかまえてアドバイス
をしてもらったり、あとは、ある程度大きい病院ですと、がん相談室、
支援センターのようなものが設置されていますから、そのような所で
相談を受けるというのもよいでしょう。

病院によっては患者会をしています。先輩のがん患者さんやご家族と
車座になって話して、互いの状況や悩み、心配事をシェアできたりする
場もあります。

このような絆やつながりはマナティーさんの心に安心感をもたらしてくれる
と思います。また、この安心感は闘病する上でとても大事なものですし、
癒しの大きな要素の一つでもあるでしょう。

ぜひその病院に行って、患者会のような会がないか訊いてみるといいと思い
ます。もしその病院にはなかったとしても、役所の福祉課などに相談すると、
情報を得ることができると思います。

今の時代、スマホやネットばかりで情報を収集していくと、どうしても
あらぬ方向に行ってしまうことや、ネガティブな情報がたくさん入ってきて
嫌な気持ちになってしまうこともありますから、思ったらとりあえず行動
してみる、助けを求めて行動してみることをお勧めします。

そして、今後このような病気を乗り越えて、人生を前向きに健全思考で
生きていくにはどうしたらいいか、どのようにアファメーションしたら
いいかということに関しては、もうマナティーさんが「人間万事塞翁が馬」
ということわざで答えを得ていらっしゃるようにも思いますが、
本当に人生というのは非二元で、嫌だなと思うことの中にも、自分が前進する
ためのよりよい豊かなエッセンスがあるものなのですね。

続きは、ビデオでお話しします……

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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Q:いつも川畑先生のメルマガ楽しみにしております。

50代も後半になり自分の人生も残り少なくなってると
日々感じるようになってきました。

振り返ると 「~ねばならない」という言葉に
縛られて生きてきたように思います。

今まで母、夫 、義母に認められたいというか
文句を言われないよう気を張って生きてきました。

たった一度の人生
残りの人生は 自分らしく生きたいのですが
何か変えようと思っても
今更この歳でとか夫に理解してもらえないのではとか
不安な気持ちになり一歩が踏み出せません。

また、やりたいことがあっても一人だと不安で
ズルズルとやらずじまいのことも多々あります。

こんなことでは自分らしい人生とは程遠いのですが
こんな不安な気持ちを解消するには
どうすれば良いでしょうか?

アドバイス頂けたら幸いです。
よろしくお願いします。

【みい・50代・パート】

―――――――――――――――――

A:FROM 川畑のぶこ

自分のことよりも、常に相手や周囲への配慮を
心がけてきたであろう、みいさんの姿が浮かびます。

自分らしく生きるのに、年齢は関係ないかもしれません。

もう50歳と受け止めるのか、
まだ50歳と受け止めるのかはその人次第ですが、
確実に言えるのは、これからの人生において、
「今日が人生でいちばん若い」ということです。

10年後、20年後、未来の自分が今日の私を見てなんと思うか、
何と言ってあげたいか、少し想像してみてください。

もう〇〇歳だから…という人は、
若かった(と自分が思っている年齢の)ときですから、
もう20歳だからとか、もう30歳だから…
なんて考えていたりするものです。

みいさんはその年代を振り返ってみて、どうでしょうか。

変化を起こすのはエネルギーを要することですし、
勇気を要することだと思います。

一気に変化を起こさなくても良いので、
まずは手始めに、誰にも迷惑をかけず、
かつ自分を満たすことから着手してみることをおすすめします。

たとえば、食事のメニューを
いつも夫や義母のことばかり考えて作っていたなら、
週に2回はみいさんが食べたいものをつくることとか、
お風呂に入りたいときに入るとか、
お湯の温度を自分の好みに合わせるなどは、
さして周りに迷惑をかけることではありませんし、
お手軽に始められることですね。

こんなふうにウォーミングして、
徐々に課題を拡大していかれると良いと思います。

変化を起こすみいさんが、
もしかして夫や義母にとっては不都合で、
批判的な反応が返ってくることもあるかもしれませんね。

でも、それはみいさんが
相手の好みや都合通りでなかったというサインであり、
みいさんに価値がないということではありません。

そして常に相手の都合に合わせる妻、嫁が理想的とも限りません。

妻、嫁の抑圧した心理的エネルギーは
見えないかたちで空間を巡っていることもお忘れなく。

機嫌の良い笑顔の妻、嫁がいることに比べれば、
そんな不便は取るに足らないものかもしれません。

   

ーーー

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Q:大変恐縮ですが、私の悩みを聞いていただきたく、
なんとか前を向いていけますよう、ご助言をいただきたく、お願い致します。

昨年秋、乳癌になりました。
初期の発見により、手術や治療も進み、
普段通りの生活にしていくようにと主治医からも言われています。

しかし、乳癌発症前に医療保険を切り替えた事により、
長くかけてきたものを捨ててしまい、
かつ、癌保険の責任期間前の発症により、こちらも補償されません。

そんな事が重なり、
医療保険補償への執着から抜ける事ができません。

自分の浅はかさに死んでしまいたいとも思ってしまいます。

癌になってしまった事のショックもありますが、
医療保険への執着が捨てられません。

笑って生きる為にやった事が、真逆の結果になってしまったと、
心が折れてしまい、苦しくて辛い毎日です。

このままではいけない。
前を向きたい。執着から離れたい。救われたい。

【のんのん・50代・アルバイト】

―――――――――――――――――

A:FROM 川畑のぶこ

乳がんの診断を受けて落ち込んでいるところに
保険もおりないことが分かったのですね。

それはとても辛いことだったと思います。
人生とは、計画通りにいかないものですね。

でも、執着を捨てて前向きに生きたいという気持ちが
のんのんさんの中にあるのなら、
それは、すでに前向きな一歩を歩んでいる証拠です。

保険のことは本当に残念でしたが、人生に残念なことは起こり得ること。
未来は誰にも予測できないことを受け入れることは、
私たちを楽にさせてくれます。

きちんと予測さえしていれば、
こんなことは起こらなかったはず、
そして、きちんと予測することは可能だと思うと、
自分を責めたり、後悔したり、執着したりしてしまいます。

でも、繰り返し、誰にも未来は予測できません。

私たちは、その時点で自分なりのベストをつくし
て未来を予測していたのです。
私たちは、その時点でのベストしか尽くしようがありません。

のんのんさんは、健康な未来を信じて、
がん保険の費用は他のことに回そうと、
その時点での最善の判断をされました。

そして、取り返しのつかないことになってしまったのかといえば、
決してそうではないでしょう。

それなりに、経済バランスをとって
生きていくことができているのではないでしょうか。

それはありがたいことです。
他の診断で、何年も入院を強いるような病気でなかったのは
幸いなことではないでしょうか。

保険はおりなかったけれども、早期発見により、
普段通りの生活ができると主治医から言われている。

これは別な視点から見れば、とても幸運なことではないでしょうか。

失ったものだけでなく、今でも保たれているものや、
与えられているものにも目を向けてみてください。

それらに感謝する姿勢は、私たちを執着から解放してくれるはずです。

   

ーーー

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Q:夫との今後の話し合いについて

主人の転勤にともない、
息子の大学卒業までの半年を今の家にいることで
後から引っ越す承諾を得ていました。

それが息子が卒業し、就職が決まると私の引っ越しは無しになり、
主人だけ今、転勤先の借り上げ社宅に居ます。

そして離婚を切り出されました。
生活費はギリギリしかもらっておらず、
二人での話し合いは「出来ない」の一点張りです。

先月はなんとか私の住んでる所の家賃は払いましたが、
今月から家賃もくれません。

彼女が居て、13年別居でしたが、まさかこういう手でくるとは・・

主人は、後は離婚調停にかけるしかないと言い張ります。

引っ越し代は会社持ちですが、主人の承諾がないと出来ません。

主人は離婚調停にかけて私と縁を切りたいようです。

せっかく先日まで女性のための講座があったのに・・
申し込むお金もないですが、
せめて今後話し合いの持って行き方を教えていただけらたと思います。

もちろん、法テラスには予約済みですが。
私は離婚したいわけではありません。
宜しくお願いします。

【ようこ・50代・主婦】

―――――――――――――――――

A:FROM 川畑のぶこ

13年別居していた夫が離婚を申し出てきたのですね。

もし、ようこさんが夫に離婚を申し出されるようないわれはなく、
彼を心から愛しており、
13年の別居も単なる単身赴任と信じていたのであれば、
これはまさに青天の霹靂でしょうし、この上ない苦しみかと思います。

逆に、もし、ようこさんが夫の彼女の存在を知っており、
そのための13年の別居だったと認識されている場合、
ようこさんの無意識の中ではすでに
「彼の心は戻らない」という諦めがはたらいていたかもしれません。

離婚をせずに繋ぎとめておくにはどうしたら良いか、
また経済的な補償をどうするかなどといった
テクニカルな部分に関しては専門家に譲るとして、
ここでは、このような苦境におかれたようこさんが、
今後どのように心を立て直していったら良いか
ということについて少し助言できればと思います。

私たちの人生とはままならないものです。

さまざまな計画や予測も、
その通りになることもあればならないこともあります。

かたちあるものはすべて変化する、
また、ときとして消える、という性質をはらんでいます。

私たちに求められるのは、
それらの真理を受け入れて、いかに柔軟に対応するか
ということではないでしょうか。

目の前のものが一生変化をおこさないように、
あるいは消えないように努力することは可能でしょうし、
状況によってその努力は報われるかもしれません。

ただ、変化が不可避と気付いたときに、
過去の状況を維持しようとする執着は苦しみを生み出します。

相手に望まぬ変化が訪れたときに、
私たちは「もと通りに戻りたい」と願うかもしれませんが、
もと通りの状況がその望まぬ変化を促したというパラドックスも
理解しなければなりません。

事件や事故は痛みを伴います。
その痛み自体は好ましくありませんが、それゆえに
私たちに勇気ある変化の一歩を踏み出させる促進剤にもなります。

これは私たちが賢くなる機会でもあり、
取り組んでこなかった人生の大切な課題に取り組む機会でもあるでしょう。

それはたとえば、誰かの愛を確約することで自分の価値を高めたり
維持したりすることをやめ、
自分が自分を愛するという課題に取り組むことかもしれません。

自分は存在するだけですでに生きるに値するものであり、
私の価値は他者の都合により評価されるものではない
ということを知るという課題かもしれません。

私の思い通りに人生は運ばないかもしれないけれど、
自分の人生を切り開くだけの能力は
生まれながらにしてきちんと持ち備えているという
信頼感を取り戻すという課題かもしれません。

ようこさんもぜひ、この困難のときを大きな学びの機会とうけとめて、
古い自分を脱ぎ捨て、ご自身でもこれまで気がつかなかった、
新たな自分の可能性にチャレンジするときと受け止めてみてください。

かならず道は開けると信じて!

応援しています。

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メルマガ読者のみなさま

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

みなさんは2019年のはじまりをどのようにお過ごしでしょうか。

私は、奄美諸島にある実家の沖永良部島で
家族と一緒に穏やかな年末年始を過ごしております。

メルマガ新年号は沖永良部島からお届けです。

さて、年末に島のある商店で歳末福引きをしたのですが、
くじ運に見放されたのか、白玉ばかり引きました。

ティッシュやら飴玉やらをもらえるのかと
店員さんの手元に目をやると、両手で丁寧に、
ハズレくじにしては比較的大きな景品を手渡そうとしています。

よく見ると、それは、西郷隆盛直筆の書を色紙に印刷したものでした。
そして、その色紙に書かれていた言葉は、「静観」でした。
花押には「南洲翁」とあります。

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沖永良部島は西郷の流刑地であり、西郷は島に多くの影響を与えました。
また、西郷自身も温かな心を持つ島の人々から影響を受けたのでしょう、
沖永良部島は「敬天愛人」発祥の地と伝えられています。

西郷は同じく沖永良部島に流刑された書家で詩人の川口雪篷に出会い、
書を嗜むようになります。

島の西郷記念館には彼が残した書が複数展示されていますが、
その中のひとつである「静観」が、
今回私が下着などの日用品の買い物をした商店の、
福引きのハズレ景品となっていたのです。

いち個人商店の、ましてやハズレくじの景品とは思えぬクオリティーに、
「え、これがハズレ?」と目を疑いました。
店主いわく、西郷記念館から許諾を得てオリジナルに作成したそうです。

色紙代だってそれなりにかかっているはず。
なんと粋なハズレ景品ではありませんか!

日々あちらこちら飛び回り、人と会う機会も多く、
いささか過活動気味な私にとって、
「静観」は「敬天愛人」に勝るとも劣らぬ重要なテーマです。

昨年も、月にいちどはあえて月曜日を選び、
複数の医療従事者仲間と共に、
月例のDay of Mindfulness(マインドフルネスの日)という
静けさを取り戻す実践の日を設けていました。

この月例会は一昨年の夏から始めて以来ずっと続いていますが、
今年の予定もメンバーに伝えたところです。

あらためて、静観とは、

1) 積極的な行動をあえてせずに、物事を見守ること。
2) [哲学] 移り変わる現象の背後にある、普遍的な本体を直感すること。
3) [美学] 実践的意志の力を超越した観照

とPCにインストールされた辞書にはあります。

獄中で沈思黙考の日々を過ごした、
温かで静かな沖永良部島で、
西郷南洲翁も世の真理を悟ったのでしょうか…

思いを馳せていると、たまたま消し忘れていたTVから
こんどは田中一村に関する番組が放送されました。

田中一村は、奄美特有の植物や鳥や蝶などを描いた日本画家で、
私の大好きな画家です。

(田中一村の絵画がラベルに使用されている黒糖焼酎)

(田中一村の絵画がラベルに使用されている黒糖焼酎)

奄美諸島にいながらにして、このような番組を見られるのは、
奇遇で豊かだなぁと思いました。

実家の庭にも、一村が描くそれと同じ植物が多く植わっており、
蝶はそれらの花の蜜を吸いに、
また、麗らかな声のアカショウビンは羽を休めに来ます。

庭を顧みながら、私は一村の描く草花や鳥や蝶のほうが、
実物よりもより深く感じ入るのはなぜだろう、と不思議に思いました。

すると、そのことに気づきを与えるコメントが、
有識者によって番組の中で紹介されてました。

コメントによると、
西洋画は目を開いて正確に「見る」ことによって描く必要があるのに対して、
日本画はその逆で、目を瞑り対象の本質を「観る」ことによって描くことが
重要視されるとのことなのです。

そして、一村の作品にはそれがきちんと遂行されていることが
表れているとのこと。

ここにもまた、「静観」の精神が説かれたのです。

奄美に縁ある、西郷の書と一村の画。
ハズレくじで当てた(!?)「静観」が、
私の2019年のテーマとなったのはいうまでもありません。

このように、新年第1号のメルマガは、
実家の居間の壁に飾られた南洲翁の書と、
一村の愛した奄美の自然を背景に執筆することとなりました。

みなさんは新年を迎えるにあたって、どのよう抱負をお持ちでしょうか。
2019年がみなさんに幸せと健康をもたらす年となりますように。

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