断捨離/掃除・整理・整頓

Mother and daughter

断捨離メルマガ読者の方からいただいた、
川畑のぶこへの相談をあなたにシェアします。
――――――――――
Q:92歳の買い物依存症のご婦人

いつも楽しみにしております。
回答の中に普遍的な生きる姿勢を教えられ、気づかされています。

92才のご婦人のマンションに、家政婦に月に1〜2回出向いています。
ケアマネージャーさんから買い物依存性と聞き、とにかく物で溢れています。

20年位前に最愛のご主人を突如亡くし、子供もなく寂しいと言っていました。
2DKの一部屋は物で埋まり、入れません。

ご主人の背広など、高くて新しいとタンスに入れたままです。
布団が一枚ひいたままで、回りは衣類などでいっぱいです。

ご本人は執着とわかっているけど、物に囲まれて死にたいと言います。
戦争を体験したからもったいないと捨てられないといいます。

奥さんに出会い3〜4年になります。
本人次第で私は何も言う資格はないのですが、
物からご婦人が解放されるお手伝いをしたいのですが、
なにかよい言葉がけなどがないでしょうか?

自分を棚にあげての質問ですが、よろしくお願い致します。

【56歳 家政婦 ソン様】

―――――――――――――――――――――――――――――

A:

FROM 川畑のぶこ

ソンさんのご婦人への思いやりが伝わってきます。
相手の苦しみを取り除いてあげたい。より楽に生きてもらいたい。
慈悲の精神ですね。

ソンさんのケースを読みながら、
私と母のケースに重なることが多いと感じましたので、シェアさせていただき、
そこから何かを学び取っていただけたら嬉しいと思います。

私の母は昭和9年生まれの80代です。
私が断捨離を実践し始めた頃、母も私と同様の溜め込み性でした。
溜め込みが遺伝するなら、それは確実に母の遺伝だと確信していたものです。

母の場合、収納の技術が高く、モノはそれなりに整頓されているのですが、
なにせ量がスペースのキャパを圧倒的に上回っているので、
全然部屋は片づいておらず、いわゆるゴミが堆積しているわけではありませんが、
人様の目に触れない「開かずの間」などは一見ゴミ屋敷の体をなしていました。

ある日、溜め込み性共同体である娘の私が断捨離に目覚め、
自宅のガラクタをどんどん捨て始めたのには、母も大きな衝撃を受けたようです。

自分自身の人生の課題とも重なるため、興味津々、
けれども明治・大正の祖父母から受け継ぐモッタイナイ精神は
断じて手放すまいと、私と断捨離に対して警戒もしていました。

断捨離の話を聞きたがるものの、
私がひとしきり話して「手伝おうか?」などとオファーしようもんなら、
「いいえ、大丈夫!」ときっぱりさらりとかわしました。
私は母の防衛をひしひしと感じたので、
そこは不可侵条約で踏み込まないよう気をつけました。

モノはものであってモノではない。
これは断捨離を通じて私自身深く気づきを得たことです。
母にとってモノを手放すということは、とりもなおさず彼女の人生や思い出、
また価値観そのものを捨てるということでした。

なので、「お母さんの部屋のモノ捨てようか?」という私の提案は、
「あなたの価値観や人生の思い出はとっておく必要なんてないよ」と
聞こえてしまうのです。

もちろん娘の私は母を否定したり攻撃したいから断捨離を勧めているわけでは
ありません。全てはケアの精神からの提案です。
ケアとは敬意と愛情を持って接するということです。

私はそのつもりでいても、母がそう受け止めなければ意味はありませんから、
母がケアされている、すなわち娘は私に敬意と愛情を持って接してくれていると
感じられるにはどうしたらよいかという視点からアプローチをしました。

モノが減るにはどうしたら良いかではなく、
母は私にとって大切な人だから苦しみから解放され、楽になってもらいたい
ということが伝わる関係性やコミュニケーションというのはどのようなものであるか?
ということを大事にしました。

母は私に断捨離の話を尋ね、私がそれに応えてシェアするたびに
「でもね、私の場合はこういう障壁があって、
それが解消されてもああいう障壁があって…」と、
不可能を訴えるお馴染の言い訳を延々繰り返していました。

私は説得したい気持ちがふとよぎるものの、
じっくりと母の立場になってさまざまなことを理解するよう努めました。
結果、母の価値観は母にしかわからないという姿勢を大切に、共感に徹しました。

「そりゃそうだよね、大変だよね。」
「お母さんたちの時代はトラウマなまでに
モノが足りなくて苦しんだんだから当然の反応だよ」
「無理する必要は無いよ」
「心を切り裂いてまで捨てる必要なんてないよ」
「別に部屋にモノが溢れていたって生きていけるしね」
「思い出の価値はお母さんにしかわからないのだから大切にしたら良いよ」
と、徹底的に母よりの姿勢、彼女の今の状態を全肯定しました。

もちろん、母は母の価値観で、私は私の価値観で生きる、
それで人生回る。という姿勢を貫きました。

母は、娘がそれまでと違い「相手の生き方や価値観を変えようとする」執着
をも手放したのを感じたのでしょう。

清々しくもおおらかになっていく娘に乗り遅れてはなるまいと
母が断捨離を始めました。

これまで父や妹が何度も説得を試みても、
さらには、いちどは彼らが全て外に出したガラクタも、
全て翌日には家の中に戻っているという状態であった母でしたから、
母が死ぬまでは家の片づけは無理だと家族みんなが諦めていました。

山が動くとはまさにこのことでした。
今、実家はすっきり呼吸空間です。

「開かずの間」は無く、いつでも誰でも通せる状態です。

母の「捨てたくない」という気持ちを真っ向から否定するのではなく、
徹底的にどこからその気持ちがくるのかを深く理解しようと耳を傾けたのなら、
そして母が「自分の気持ちを受け取ってもらえた」と感じたのなら、
そのとき初めて人の心が動くのではないかと感じました。

『寂しさをモノで埋める必要はない』

そう気づかせてくれるのは、厳しさではなく、
思いやりややさしさではないでしょうか。

深いところでみんなつながっているということを感じることができたのなら、
そしてそれがたとえ死んだ人との関係であっても、
見えない心の中でちゃんとつながって
今でも生きていると感じることが出来るのであれば、
たくさんのモノへの執着は無くなっていくのだと思います。

堆積したモノはあくまでも表面的な自己表現。

その内にあるメッセージに耳を傾け、深い理解を示すことが出来たのなら、
相手の寂しさは少しずつ埋まっていくのかもしれません。

もちろん、全てをソンさんが担う必要はなく、
ソンさんはソンさんに出来るパートや役割があると思いますので、
その部分での最善をつくされてみてください。

これからも、ソンさんのご婦人に対する思いやりや愛情を
表現されてみてください。

PS
あなたが今抱えている『悩み』をお聞かせください。
毎週水曜の「断捨離」メルマガおよび、
毎週月曜の「ココロの学校」メルマガで、
川畑のぶこがお答えします。

ご質問はこちらからどうぞ。

Cjildren playing with wooden toys

断捨離メルマガ読者の方からいただいた、
川畑のぶこへの相談をあなたにシェアします。
――――――――――
Q:5LDKで2人の子育て。片づけられない私…

私は今、5歳の男の子と0歳の女の子の育児真っ只中です。

結婚してから、自分は片付けが苦手であったことに気がつきました。

実家に暮らしてる時は、自分の小さな部屋を綺麗にすること、
こまめに掃除する事は出来ていました。

しかし、結婚して、いきなり5LDKの一軒家に住むことになり、
仕事をしながら家事をする事の大変さを実感し、
それでも何とかやっているつもりでいました。

そして、子どもができ、職場が遠かったことと、
自分は仕事と育児は両立できないと思ったので、仕事を辞めました。

上の子が産まれ、初めは頑張っていたものの、
だんだん家事が疎かになっていき、
部屋が散らかりっぱなしの状態になりました。

人を呼ぶ時は綺麗にし、すぐに散らかり、
突然の訪問には対応できずにいました。

上の子が幼稚園に通うようになり、
時間が出来たから、家を片付けようと思っても、
体が動かない、どう片付けていいか、分からなくなっていました。

幼稚園での人間関係に悩み始めたら、尚更できなくなっていき、
荒れ放題の部屋になっていきました。

たまに片付けると、
息子が「お家が広くなった!」と喜ぶほどでした。

そんな中、2人目を妊娠し、妊娠中にどうにかしなければと思っていましたが、
現状は変わらないまま、出産して、2人になったら、やること2倍になり、
ますます片付けが大変になってしまいました。

これから、おもちゃも洋服もどんどん増えていくのに、
片付けができないままでは大変だと思って、
やました先生の断捨離のDVDを買いました。

しかし、やろうと思っても、時間を作ることすらできず、
目先のやらなくてはいけないことで手一杯の日々が続いています。

どうしたら、やる気を起こせるのか、時間を作れるのか、考えてばかりです。

子どものものも、捨てられずに困ってしまうし、
いろいろ考えてばかりで、体が全く動かない状態です。

このままでは、子供たちも片付けられない人間に育ってしまいそうで怖いです。

【かとせめ様・38歳・主婦】

―――――――――――――――――――――――――――――
A:

FROM 川畑のぶこ

2人の子どもを育てながら5LDKの家を奇麗に管理するというのは大変ですね。
子育てをしていると、あっという間にその日が終わってしまい、
気がつくと一週間が経っていたりしますよね。

1人育てるだけでも大変なのに、
2人の子どもを育てているかとせめさん、表彰状もんです!
本当によく頑張っていらっしゃると思います。

このような育児世代の断捨離に関しては、
5LDK全てを一気にというのはあまりにもハードルが高く、
気持ちが萎えてしまいます。

ですから、出来る限りターゲットを細かく絞り、
徐々に徐々に、時間をかけて行うことをおすすめします。

1日10分できたらハナマルとしてみてください。
0歳児だと10分だってつくるのは大変かもしれませんよね。

なので、毎日ではなく、週3日、10分など、最低ラインを低く設定して
それをクリアしたならハナマル!としてみてください。

「今日はこの部屋」ではなく、
その部屋が6畳なら「今日はこの1畳分だけ」など
細かくターゲットを絞ってみてください。

既に、やましたひでこさんの断捨離のDVDを購入されたとのことですので、
ぜひもういちど、「ながら見」「ながら聴き」で構わないので
BGMのようにDVDをかけてみてください。

いちど見たから、聴いたからではなく、
何度も何度も繰り返し見聞きすることをおすすめします。

私自身、やましたひでこさんの断捨離セミナーで学ぼうと決めたときは、
最低3回は受講しようと決めました。

当時は書籍もDVDもありませんでしたから、自ら主催して学びました。

一度聴いただけでピンと来る人もいるかもしれませんが、
私の場合、溜め込み性&嫌なことは先送り体質、
おまけに「散らかっていたって人間生きていけるさ♪」
の楽観的どころか能天気でしたから、己のパーソナリティーからいって、
ピンとくるまでには何度も繰り返し学習が必要だと思ったのです。

「いちど聞いたのに出来ないダメな私…」ではなく、
「何度も繰り返すうちに徐々に出来るようになる私」をイメージしてください。

きっと、かとせめさんも繰り返し学んで行くうちに、
ピンとくるやましたさんのキーワードに
モチベーションを得ることがあると思います。

また、モチベーションキーワードは聞く度に変わり、
また片づけの段階によってもどんどん変わってくるので、
ぜひそんな変化も楽しみながら取り組まれてください。

片づけを行う際に、真剣になるのは結構ですが、どうか深刻にならずに、
軽やかさをもって片づけと向かい合ってみてくださいね。

自分のどの部分が「笑えるか」、ツッコミを入れながら行うといいですよ。

私が断捨離を行ったときも、気がつくと眉間に縦じわが寄ってくるので、
ユーモアを忘れないよう心がけました。

出張のたびにいじましくホテルから持ち帰って、
溜まりに溜まったアメニティーに向かいあったなら
『アンタ、どんだけヒゲ生えてるんだ!?』と突っ込んでみたり、
消費期限の切れた大振りの利尻昆布、日高昆布、羅臼昆布が出てきたなら、
『昆布扇子、ホッホッホ』とマダムのように扇いでみたりと。

ぜひ、「一気に!全てを!完璧に!」の三拍子を手放してみてください。

子どもが増えると確かに管理するものは増えますが、
年を経るごとに増え続けるかというとそんなことはありません。

おそらくかとせめさんは片づけを「収納」と考えていらっしゃるかも
しれませんが、断捨離は代謝です。

お兄ちゃんが着られなくなった服で、
妹には合わないものはどんどん手放します。

「使えたのに」と時には後悔することもあるかもしれませんが、
そんな時は、「他の手放したい人々からまた流れてくる」と信頼してください。

みなさん衣類やおもちゃが多くて困っています。
もらってくれる人がいたら大喜びの人はそこいら中にいますから。

未来に後悔しないために、
今後悔する(部屋が散らかっていることに)ことをやめることです。

私たちが最も大切にする時は「今・この瞬間」で、未来はその積み重ねです。

また、5歳くらいだと、
「使う」「使わない」の判断は出来るようになりますから、
子どもが「使わない」と言ったものは手放して行くようにしてみてください。

子どもが片づけられないのではなく、
親の執着が子どもの片づけの邪魔をしていることに気づくはずです。

子どものモノでおびただしく増えるのは、衣類、おもちゃ、本などかと
思いますが、これらは全て代謝させるよう心がけます。

私の息子は4歳ですが、2歳から断捨離を実践しています。

あちらこちらから、おもちゃが流入してきますが、
自分で選んでいないものなどはとくに飽きるのも早いです。

3-6ヶ月に1度自分で判断をさせると、
半分以上のものが不要なモノの部類に入ります。

全て「ありがとう」とキスをして、
使い切れなかったモノたちには「ごめんなさい」と謝って
ゴミ箱に捨てお別れをします。
すると、やたらとおもちゃを欲しがらなくなります。

お子さまランチのおまけのおもちゃも
気に入ったモノがないと、自ら断ります。

私自身は、片づけはものごととの関係性を問い直し理解するための
最良の育児だと思っています。
ときには子どもから「ママ片づけよう」と促すこともあるから驚きです。

片づけが嫌いで苦手な自分の子どもだからと、我が子に己を投影せずに、
未知なる可能性を備えた子どもたちに
愛ある好奇心を持って接してみてください。

そして、下の娘さんが2歳くらいになると、
お兄ちゃんと一緒に遊ぶようになり、
お母さんの家庭での時間のゆとりもぐんと増えるでしょう。
もしかしたら、兄妹で片づけをするようになるかもしれませんよ。

育児と家事の両立、しばらくは大変かもしれませんが、
どうかひと呼吸おいて取り組まれてください。

PS
あなたが今抱えている『悩み』をお聞かせください。
毎週水曜の「断捨離」メルマガおよび、
毎週月曜の「ココロの学校」メルマガで、
川畑のぶこがお答えします。

ご質問はこちらからどうぞ。

White kitchen design.

断捨離メルマガ読者の方からいただいた、
川畑のぶこへの相談をあなたにシェアします。
――――――――――
Q:モノが多く広すぎる家を断捨離したいけれど…

50代の主婦で、一人娘は3年前に嫁ぎ、今は
キッチンを含めて10部屋ある古い家で主人と二人暮らしです。

もともと家族が多い家でしたが、
ひとりずつ減り、物の多い生活にほとほと困り果てています。

断捨離したらどんなに快適かと思いますが、
私は自律神経失調症の上に鬱もあり、動くのが億劫なのです。

それでも、なんとか気持ちを前向きに
断捨離出来る気持ちの切り替え方をお教え下さい。

【クリームソーダ様・57歳・主婦】

―――――――――――――――――――――――――――――
A:
FROM 川畑のぶこ

クリームソーダさんのように、家族が一人ひとり減り、
気がつけば子どもや親たちが残していったモノたちに囲まれて、
夫婦2人で暮らしているという人はたくさんいらっしゃると思います。

ただし、10部屋というのは流石にハードルが高いですね。

今は鬱もあるとのことで、くれぐれも無理のありませんように。
自分の身体の声にきちんと耳を傾けてあげてください。

がんばれないときはがんばらないのも仕事。
がんばるという執着を手放してみてください。

また、このような時期は、周囲に助けを求めるのも大事です。

子どものものであれば子どもたちに、
もし親の遺品があるようでしたら、業者に遺品整理を頼むのもひとつです。

全て自分でやらねばと強迫せず、
助けを求めて良いと、自分自身に許可を与えてあげてください。

上手にサポートを得られるようになることで
周囲への信頼感が育めるようになり、心身が楽になることもあるのです。

ご自身のものに取り組んでみようと思う場合は、
いきなりエネルギーを要するものに取り組むのではなく、
まずはエネルギーチャージを大事にしてみてください。

断捨離はエネルギーを要することですので、まずはゆっくり休み、
好きなことをしたり、寛げる人や場所に身を置いてみたりして
心理的なエネルギーを充電してから取り組むことをおすすめします。

手をつける場所も、難易度の低いところや
モノ(エネルギーを必要としない場所やもの)にターゲットを絞り込み、
さらにエリアも細かく区切って少しずつ取り組んでみてください。

たとえば、今日はガラクタだらけの引き出しひとつと決めて、
そこが完了したら花マルです。

この断捨離の機会を、厳しさでなく、優しさをもって
ご自身に向かい合う機会にしてみてください。

SONY DSC

断捨離メルマガ読者の方からいただいた、
川畑のぶこへの相談をあなたにシェアします。
――――――――――
Q:他界した弟のモノを処分するのが苦しいです。

片付けの悩みです。

まだ勉強を始めて日が浅いため
どのように片付けたらよいのかわからないモノがあります。

それは、4年前に他界した弟のモノです。

私たち家族は弟が他界したのをきっかけに、
独身だった弟が所有していたマンションに引っ越してきました。

とても綺麗に片付いた部屋でしたが、
洋服などのモノが大変多くまだ綺麗で
私も子どもも着ることができますし処分しかねております。

ブランド物も多かったため、今年になって
少しオークションに出品して処分しましたが、
お金になって返ってきても気分がスッキリしないのです。

大量の洋服もゴミにするのは辛いです。

そのモノたちがなくなってもなにも困らないどころか
家はスッキリするし、弟は心の中にいるのだから問題ないと
自分に言い聞かせても、やっぱり処分しようと思うと苦しいのです。

それらがあることで安心できているのです。

しかし、家の中は弟のモノと
私たち家族のモノで明らかに定員オーバーです。

どのように弟のモノ、自分の心と
折り合いをつけたらよいのでしょうか?

どうかアドバイスをお願いいたします。

【女性・46歳・パート】

―――――――――――――――――――――――――――――

FROM 川畑のぶこ

大切な家族の遺品整理は心が痛むものですね。
モノはモノであってモノでないことの
代表的なシチュエーションだと思います。

遺品に関しては、心の整理が出来ておらず、
故人のモノがあることで残された家族が安心感が得られるのであれば、
それはまだ心が使っているということなので、
無理に捨てる必要は無いでしょう。

「捨てねば」と思えば思うほど、
胸が引き裂かれるような気持ちになるのではないでしょうか。

喪に服する期間というのは人それぞれです。
年老いた親であれば数年であっても、
若くして他界した兄弟などは、4-5年経っても
心理的な喪が明けないこともあるでしょう。

どうか自分自身に厳しくならず、優しくなってください。

傷ついた皮膚をかさぶたが覆うように
しばらくは喪失感に傷ついた心を
弟さんを思い出させてくれるモノたちが覆ってくれているのだと
受け入れてあげてください。

それでも、流石に量が多すぎて日常に支障をきたしているのであれば、
もし、その状況を弟さんが見たなら何と言うか考えてみてください。

遺品を断捨離したいのになかなかはかどらない場合は、
「捨てねば」と、捨てることに焦点を当てるのではなく、
「何を残そうか」と、残すモノを選び抜くことに焦点を当ててみること
をおすすめします。

大量の服があるとのことですが、
服の中でもご自身やご家族が弟さんを身近に感じることができるものも
あれば、弟さんが着たり纏ったりしているところをいちども見たこともなく、
弟さんの存在をさほど近くに感じられないものもあるでしょう。

安心感を得るために、必ずしも大量に、残されたそれら全てのモノを
持っている必要はないのだということを思い出してください。

最も弟さんを感じることができて、安心感が得られるモノ
を選び抜いてみてください。

断捨離メルマガ読者の方からいただいた、
川畑のぶこへの相談をあなたにシェアします。
――――――――――
【Q】潔癖性の人の心理とは?

まわりで潔癖症だったり、掃除の妥協が一切できず
毎日しんどいと言っている方がいます。

片づけをせず物を持ちすぎることが
断捨離ではよくとりあげられていますが、
こちらのケースはどんな心理状態なのでしょうか?

【はなまる様 40代 主婦】

―――――――――――――――――
【A】FROM 川畑のぶこ

「モノを持ちすぎる」ことを断捨離は問題視していますが、
どの文節を強調するかで、意味合いが全く逆になってきますね。

「持つ」ことを問題視しているのか、
「すぎる」ことを問題視しているのか。

断捨離は、「過剰を取り除く」というのが基本コンセプト。
「全てを取り除く」と勘違いしている例が散見しますが、
これは誤った解釈です。

過ぎたるは及ばざるがごとし
持ち過ぎも、持たな過ぎも問題を起こします。

溢れすぎて困っているのなら減らしましょう。
足りなくて困っているのなら増やしましょう。
これは調和的人生を送る上での基本姿勢でしょう。

モノに関しては、現代は溢れかえって困っている人が多い
ので、減らすことの重要性が説かれているわけです。

さて、潔癖症の心理状態に関しては、それが健全なのか
病的なのかということがポイントとなると思います。

単純には、そのことでその人が困っているか困っていないか
ということに二分されます。

健全なケースは単なる綺麗好きです。
丁寧に片づけをしたり掃除をしたりする。
また、几帳面で、ものごとを細やかにきちんと行う
という人です。

これ自体は全く問題の無いことで、その人の
パーソナリティーです。「したい」からやっていることで
あって、このことで日常生活に支障が出ることはありません。
むしろ、周囲から好感を抱かれることも多いでしょう。

では、病的なものはどのようなものかというと、
そのことで日常生活に支障が出てくるものです。
また、好きだからそうしているのではなく、不安や恐怖から
それらを回避しようとして行動が駆り立てられます。

ばい菌などで汚れるから、他人を自分の部屋に入れないようにする、
そのことで健全な人間関係が損なわれてしまうケースとか、

他に優先順位が高いことがあるのに、清潔にするために
(たとえば何度も手を洗うなど)時間がかかってしまって
他の大切なことも後回しになってしまうとかといった状態です。

「したい」わけではないのに
(むしろこんなこと「したくない」のに)
「せねば」と思っている状態ですね。

専門的には潔癖症とはいわず、「強迫性障害」というものが
病的な潔癖症の人に使われる診断名となるかと思います。

清潔にしようとすることにとらわれてしまい
わかっちゃいるのにやめられないと、本人も疲れを感じています。

強迫的に清潔にするのとは反対に、強迫的に溜め込んでしまう人
もいます。

人からみれば全く役に立たないモノであったり、価値が無いモノ
に固執して、それらを大量に集めて捨てることが出来ないのです。
部屋がガラクタで埋め尽くされ、そのことで苦痛を感じたり、
周囲との関係に害が及びます。

「とらわれている」ことで苦しみがあることに、両者に変わりは
なく、根は一緒です。

このような病的な状態に陥ってしまった場合には、
「観念」を捨てることが大切になってきます。
「ねば」とか「べき」とかという思いにとらわれてしまっている
のなら、ひと呼吸おき、「ま、そうでなくても人生は機能する」
とゆとりをもって構えてみることです。

実際に、過去を振り返ってみると、不潔であったが故に人生が
損なわれたことよりも、清潔にこだわりすぎたから人生を損な
っていることが多いことを確認してみます。

溜め込んで困っている人なら、それらが無くて困ったことよりも
溢れて困っていることが多いことをきちんと確認します。

「こだわり」や「とらわれ」を捨てる練習をしてみてください。
実際にそれらにこだわらずとも、大丈夫だったという
体験を重ねていくことは勇気に繋がると思います。

* * * * * * * *
PS
川畑のぶこのメルマガ(無料)ぜひ、こちらからご登録ください♪
http://www.kawabatanobuko.com/

PPS
川畑のぶこの無料Video講座をプレゼント中です!
https://www.kawabatanobuko.com/sp/CPK_KWCI/movie.php

断捨離メルマガ読者の方からいただいた、
川畑のぶこへの相談をあなたにシェアします。
――――――――――
【Q】ものに責められている気になるんです

こんにちは
断捨離について。
捨てるものに対して、どう考えればいいのかわかりません。

私は50代で、小さな時から祖母・母から、
「物を粗末にするといけない」とずっと教え込まれてきました。
使えなくなるまで、使ってこそ物が成仏する、なんて考え方でした。
「もったいないお化け」・・・まさにこんな感じです。

一度、30代の時に物を大々的に処分しました。
もう使わないブランド物のバック。
買ったけど、続かなかったゴルフセット。
あれやこれやとフリーマーケットで売りました。

ここからが、問題なのですが、処分したもの達が追いかけて
くるような夢でうなされてしまったのです。

昔から物に意思があり、私を責めるような気がして仕方ないのです。

それでどうしても及び腰になり思いっきり断捨離できません。
自分の問題とわかっていながら、いい考え方ができないかと
悩むことが多いです。

何かいい方法はないのでしょうか。

【50代 女性 Keiko様】

―――――――――――――――――
【A】FROM 川畑のぶこ

まさに、「もったいないお化け」世代ですね。
私たちの母親や祖父母は物質に乏しい時代を過ごしているので、
モノを最後まで大切に使い切る、また、リユースやリサイクルの
精神も身につけていたことでしょう。

私自身も母の断捨離を手伝った際に出てきた鉛筆ホルダーに
入った残り1センチほどの鉛筆を手にして、
美しい精神だなと心に染み入りました。

ただし、私の母の場合はそれ以外に使いかけや新品の鉛筆が
何十本も出てきましたが…

皮肉にも、母が生きているほんの数十年のあいだに
モノが足りなくて困る時代から溢れて困る時代に移行して
しまいました。

過去の価値観と行動では、うまく適応ができなかったのです。
先達の知恵、「もったいない精神」はいつの時代も大切な概念です。
モノを慈しみ、そのモノの命をまっとうすることで、
無駄使いをする精神を戒めるこの概念は、仏教に由来するものです。

さて、それではKeikoさんが捨てて夢に出てくるモノたちは、
Keikoさんが捨てずにとっておけばもったいなくなかったでしょうか?
大事に使い切って、それらの命は輝き全うされたのでしょうか?

もしKeikoさんの言うようにモノに意識があったとして、
よく考えてみてください。

主から大事に使われているわけではなく、罪悪感を免れるために
漫然ととっておかれているだけで、ときにはお蔵入り…、
いったいどんな気持ちになるでしょうか?

Keikoさんが、特に自分のことを好きな訳ではないし、
むしろ相性は合わないと思われているけれど、
一度縁があったからという理由だけで義理で年に数回声をかけてくる
ような知人がいたなら、どんな気持ちになるでしょうか?

心を偽ってでも関係をキープしてもらいたいでしょうか?
それともそのような人たちとは早々に縁を切って、
自分と気の合う人々との時間を大切にしたいでしょうか?

気に入っていない、あるいは必要のないモノたちのいのちが全うする
ことを優先したことでKeikoさんのいのちは全うできていますか?

終わっている関係性のモノたちがひしめいている空間で、
ろくに使っていないことに罪悪感を抱きながら暮らし続けたなら、
Keikoさんの人生がもったいなくありませんか?

リサイクルすれば必要とされる人々のもとへいけたかもしれないモノ
たちが必要とされないままKeikoさんのもとにあることのほうが
もったいなくありませんか?

モノは使ってこそ価値が出ます。
モノは人間が使うものであって、人間がモノに使われては本末転倒です。

生きた関係性は私たちのいのちを輝かせます。
死んだ関係性は私たちのいのちをくすませます。

親たちの世代は、モノがなくて困っていました。
私たちの世代は、モノが溢れて困っているのです。

親や先祖は子孫が豊かに幸せに、そして賢く生きるために智慧を
携えたかったはずです。

ない時は溜めるのが智慧。
では、溢れた時の智慧は何でしょう。

ぜひKeikoさんのいのちを輝かせる選択は何かを
もう一度問い直してみてください。

* * * * * * * *
PS
川畑のぶこのメルマガ(無料)ぜひ、こちらからご登録ください♪
http://www.kawabatanobuko.com/

PPS
川畑のぶこの無料Video講座をプレゼント中です!
https://www.kawabatanobuko.com/sp/CPK_KWCI/movie.php

断捨離メルマガ読者の方からいただいた、
川畑のぶこへの相談をあなたにシェアします。
――――――――――
【Q】洋服が買えません

何年もかけて断捨離をしています。
「勿体なくて捨てられない」「いつか使うかも…。」
と思っては同じ位置に戻し、なかなかスッキリいきません。

しかし勿体無いと思っていても、ある日これは捨てても
平気と気持ちが向くとあっさり断捨離できます。

そんな亀の歩みの断捨離ですが、以前よりだいぶ片付い
てきました。

前置きが長くなってしまいましたが
最近、洋服が買えなくなってきてしまいました。

やっとの思いで断捨離をしてきたので、とくに高価な服
を買う時には「本当に着るか?」と考えてしまったり、
また捨てられなくなって洋服が増えてしまうと思うと、
買うことができなくなってしまいました。

他にも結婚式や祝賀会などで、一年に一回着るか着ないか
の洋服は高かったのに着る出番はないし、
またタンスの中を占領されてしまうと思って憂鬱です。

高いけど自分の気に入った洋服やドレスは今後着る機会が
ないから、「まぁこれなら……。」と自分が妥協できる
安い洋服を買ってしまいます(これなら断捨離できる)。

自分がご機嫌でいられるように断捨離をしていますが、
断捨離をして見えてきたのは「損をしたくない。」
という思いが強い自分でした。

自分の気に入った高い洋服を買えば、今後着る出番が
ない洋服を買て勿体無い&捨てられないストレス、
妥協して買った洋服は心のどこかで満足できていない
ストレス。

どちらにしても洋服を買うことを楽しめません。
この考えを切り替えるにはどうしたらいいのでしょうか。

【30代 女性 OL N子様】

――――――――――――――――――――
FROM 川畑のぶこ
A:
ダンシャリアンのあなたも、N子さんのように
「どうせ捨てることになるかも」と考えるとなかなか
モノが買えないという人は少なくないのではないでしょうか。

買い物に慎重になること自体は決して悪いことではないと
思います。ただし、過ぎたるは及ばざるがごとし。
慎重になりすぎてしまったのなら、モノを持ちすぎるのと、
精神構造は結局一緒です。

「持たねば」も「捨てねば」も根は一緒。
「いつか着るかもしれない」も「いつか捨てるかもしれない」
も根は一緒。

それに囚われ、脅かされていたら結局
人生を損なってしまうわけです。

N子さんに、ぜひ意識していただきたいのは、
断捨離の目的はモノを減らすことや、モノを持たないこと
では無く、暮らしに和をもたらすことだということです。

そこに調和はあるか?
そこに和みはあるか?
と問うてみてほしいのです。

そして断捨離は恐れを手放すレッスンでもあります。

そのためには失敗してもOK.後悔してもOK.
取り返しのつかないことになるわけではないし、
そこから学べる自分だという信頼感を育むレッスンです。

買って後悔するときもあれば、捨てて後悔するときもあるでしょう。
損することもあれば得することもあるのが人生です。

常に得しなければいけないとか決して損をしてはいけないとか
完璧主義に陥って己を脅かすのなら、
その完璧主義を手放してみることです。

未来は予測不可能。
私達に出来るのは、
今この瞬間に自分に出来るベストを尽くすことのみです

後悔したら「それがその時点の私にできるベストだった」
と思いだしてください。

そして、常にそこからまた前進できる私だと信頼してみてください。

* * * * * * * *
PS
川畑のぶこのメルマガ(無料)ぜひ、こちらからご登録ください♪
http://www.kawabatanobuko.com/

PPS
川畑のぶこの無料Video講座をプレゼント中です!
https://www.kawabatanobuko.com/sp/CPK_KWCI/movie.php

断捨離メルマガ読者の方からいただいた、
川畑のぶこへの相談をあなたにシェアします。
―――――――――――――――――
【Q】断捨離が実践できない!

はじめまして。2児の母、41才の専業主婦している者です。
とても断捨離には興味があり、
発売されている本は全部読破しております。

昔から、掃除や整理整頓が苦手で、本を読んでは
共感しますが、実践に移す事が出来ずにいます。

我が家は、16畳のリビングダイニング、8畳の寝室、
8畳の娘の部屋、6畳の和室(のち息子の部屋の予定で
現在は子供2人と私3人で寝ています)

とにかく、どの部屋も物に溢れていて、
とてもじゃないけど人を呼べる部屋ではありません!!

私の理想は、もちろん物が少なく、シンプルな生活です。

実母には、「汚いからお金貯まらない」と何度も言われました。
確かに、お金も貯まらず出ていく方が多く、実母に借りたり
しています・・・本当に情けないです。

掃除のあらゆる本も読んでいるので、頭では分かっているのに、
行動が伴わず自分でも悩んでしまいます。

掃除に対して、どうして掃除をしなければいけないんだろう、
掃除しなくてもいいのではないか・・・
とか掃除に対して悩んだ時もありました。

今年は娘の受験もあるので、綺麗な部屋にしたいです。
理想は、毎年大掃除をしない部屋です!!

とにかく、私がしないことには駄目なので、
やる気が欲しいです。

まとまりのない話になってしまい、すみません。
よろしくお願いいたします。

【41代 女性 専業主婦 ぱんだ様】

――――――――――――――――――――
FROM 川畑のぶこ
A:
ぱんださんのメッセージを読んでいて、
昔の自分を思い出しましました。

いえ、実際は私の場合は独身でしたが、
ぱんださんはお二人のお子さんがいらっしゃるので、
育児やお子さんたちのモノの管理を考えたら、
昔の私など比較にならないほど大変なことでしょう。
心中お察しいたします。

さて、これから綴ることは、本の内容と重複することと
思いますが、ぱんださんにとってとりわけ重要な部分
だと思いますのでお伝えします。

部屋の片づけに取り掛かる前に、まず頭の中を整理して
おくことが大切です。

「昔から、掃除や整理整頓が苦手」とありますが、
この時点ですでにぱんださんの頭の中に
混乱のあることが伺えます。

まず「掃除」と「整理」と「整頓」は全く別物です。

・掃除=場を掃き拭き磨き清める
・整理=モノの処分(居住空間外へ)
・整頓=モノを整える(居住空間内に)

私も以前は上記すべてを同列に考えていて、
全部をまとめて苦手なのだと思い込んでいました。

ところが、実は、上記をきちんと区別して考えて、
そのうちのある一つをクリアすれば、
後の二つは楽々対処できるのです。

その一つとは、「整理」です。
すなわち、モノを絞り込み処分するプロセスで、
断捨離でも重要なプロセスですね。

モノの絶対量が減らない限り、整頓(収納)も掃除も機能しません。

たとえば、フロアに何もない体育館のバレーボールコート
一面を想像してみてください。そしてそのコートにモップを
かけることを想像してみてください。
およそ3往復くらいでモップをかけ終えることができます。

どうでしょう、大変でしょうか?

では次に、そのコートに100個のボールがあることを
想像してみてください。
そして、その床にモップをかけるとなるとどうでしょう?

まず、ボールを収納しなければいけませんね。
ただし、ボールを収納するカゴは3つで各10個しか
ボールを収納できません。
すると70個はフロアに転がったままです。

ここをモップをかけることを想像してみてください?
どうでしょう?
一気にやる気がなくなるのではないでしょうか?

これがぱんださんのご自宅に今現在起こっている現象です。
鼓舞して掃除をしてみても、あちらこちらにボールが
転がっているので効率悪く、ボールの影にはいつまでも
埃が堆積している。

このような状態が続くと「掃除が苦手な私」のレッテル貼り
は必至です。今のぱんださんに必要なのは、掃除の技術ではなく、
取捨選択をして「不要」「不敵」「不快」なモノを捨てる勇気です。

モノときちんと向かい合い、「今」のぱんださんやご家族にとって
「必要」で「適切」で「快適」なもののみに絞り込むことが
できたのなら、ボールの数は減り、収納のカゴもさほど必要ない
かもしれません。

ちなみに、私の場合は、家にあるモノの実に6ー7割が
その時の私にとって不要なものでした。
よってモノ(ボール)だけでなく、収納グッズ(ボールカゴ)まで
処分することになりましたから、家はかなりスッキリです。

この様に、ぜひご自身の家がフロアにボールのないコートのように
なることを想像して片づけに取り組んでみてください。

床やテーブルやカウンターなど、水平面にモノがなくなると、
掃除が一気に楽になりますし、爽快感を味わえます。

また、「掃除をしよう!」と頑張らなくても、塵や埃が目立つように
なるので、自然に誘われるように掃除をするようにもなります。
掃除をしているという意識もないかもしれません。

掃除が上手に出来るようになることを目指すのではなく、
掃除や整頓をしなくて良い空間を目指してみてください。

いったんスッキリして爽快感を味わうことができると、
その後発生するモノのinとoutを意識しやすくなります。

これはお金のin/outに敏感になることにもつながります。

ぱんださんの勇気ある断捨離を応援しています!

* * * * * * * *
PS
川畑のぶこのメルマガ(無料)ぜひ、こちらからご登録ください♪
http://www.kawabatanobuko.com/

PPS
川畑のぶこの無料Video講座をプレゼント中です!
https://www.kawabatanobuko.com/sp/CPK_KWCI/movie.php

断捨離メルマガ読者の方からいただいた、
川畑のぶこへの相談をあなたにシェアします。
―――――――――――――――――
【Q】母の遺品に私の結婚道具が…

40代後半の女性です。母の遺品(私がらみ)で相談です。

4月下旬、母を亡くしました。急性肺炎でした。
長年精神を患っていて、認知症も出始めていたので、
春先は家族に対して癇癪をぶつけていた為、
亡くなった時は正直やれやれでした。

亡くなった直後から、遺体を安置する為、
片付いていなかった部屋を猛然と片付けて、
衣類系は、殆ど処分しました。

先月から、多く私物を仕舞いこんでいた
茶の間の押入れを片付けていましたが…

趣味の編み物関係の雑貨や、衣類等が大量にあり、
それらを処分したら、次々と未使用の食器セット、
ブランド物の調理器具、クリスタルの花瓶等が現れ、
一体何故?と思いつつも、奥に仕舞いこんだ
段ボールの数々を出しては中身を改めていました。

が、包装状態のまま、新品の箱根彫りの便せんケースや
ミニ鏡台、アイロンやアイロン台を発見時に気が付きました。
これは私への結婚道具ではないかと!?

一万九千円の値札付きの陶器製の珈琲ポットセット
(ミルクピッチャーやシュガーケース)、
クリスタルガラス製の灰皿、土鍋等々、

おそらく私が20代の頃に買い集めたであろう、
品々に正直ショックと、未だ未婚の儘、
50代になろうかと言う今の状態に愕然としました。

父にはこれらの品々については
私への結婚準備品とは伝えてはいません。

又、購入時、約500万円したと言っていた
一築辻が花の着物(購入後、約10年近く私のベッド下に置いてあり、
現在は父の部屋の納戸にあります。一度も虫干ししてません)もあり、
これらは一体どうすればよいか、悩んでいます。

不肖の娘として、黙って処分すればいいのでしょうか?

【40代 派遣社員 女性】

―――――――――――――――――――――――――――――
FROM 川畑のぶこ

【A】遺品整理は、多くのエネルギーを要することと思います。
特に近しいお母様であったのなら、それはなおさらのことでしょう。

遺品整理をする際に気を付けていただきたい点として、
タイミングがあります。ここでは適切なタイミングとして、
充分にお母様の死を悲しみ、喪に服した後を提案します。

この悲しみや喪のプロセスをスキップして
遺品整理を開始しようとすると、心が引き裂かれるような
大きな苦しみを伴い、なかなか捗らないことがあります。

もちろん、悲しみのプロセスや度合は、母親との心理的な
絆の強さや、生前の死に対する受容の度合いにも依りますし、
個人差があるかと思います。

ご自身の中で十分にお母様の死を悲しみ、精神的に喪が明けたと
思える状態であれば、遺品整理は比較的楽に行えるかと思います。

「亡くなって正直やれやれだった」とのことで、
大変な闘病生活であったことが伺えます。

ある程度心の準備が出来ていたのであれば、
タイミングとしては問題ないのかもしれませんね。

ただし、遺品整理をしながら、まだ健全だったころの
お母様が心に浮かび、娘のためを思いながら結婚道具を
ひそかに準備していたことに、少なからず母親なりの
愛を感じるのであれば、目を背けずにきちんと
母の不器用な愛を受け止めて、そして充分に悲しんでください。

悲しみは健全な感情で、私達を癒してくれます。

さて、残された高価な品々に対してどうすればよいか
ということに関しては、「いったいご自身はどうしたいのか」
ということが重要で、それが答えです。

心理的葛藤は、「捨てたいが、とっておくべき」と思っているか、
「捨てたくないが、捨てるべき」と思っているかのどちらかから
生じることと思いますが、このケースでは前者であるかと思われます。

捨てたいけれど捨てるべきでない理由としては、
「母の気持ちを無にする」とか「親不孝な娘になってしまう」
とか「高かったからもったいない」といったものではないでしょうか。

このような思いは私達に罪悪感や自責の念をもたらし
前進する足かせとなります。まず、お母様の気持ちに関しては、
きちんと受け取ればよいと思います。

心の中で「私のことを思ってくれてありがとう」と、
それらのモノを受け取ったらよいと思います。

そして、受け取ったモノをどうするかは自分側の仕事です。

使いたいものは使えばよいですし、
使いたくないものは手放したらよいのではないでしょうか。

使いたいものには必ずしも道具としてではなく、
心が使うものが含まれることと思います。

決して自分の趣味ではないし、使えないけれど、
それを見たり触れたりすると母の愛情を感じて
心が温まるというようなものであれば、使うものに入るでしょう。

処分する場合、処分するのは気持ちではなく、モノです。

「母の気持ちはきちんと大切にしたままだ」
ということを覚えておくとよいですね。

もしかしたら、お母様ご自身も、
買った全てのモノを覚えているとも限りません。

また、もし娘が困っているのに自分が買ってしまったから
という理由で、無理に持ち続けようとしているところを
見たらどう思うでしょうか。

お母様は娘を喜ばせたり楽をさせたかったのであって、
困らせたり迷惑をかけようと思ってそれらのモノを
買ったわけではないはず。

嫌だと思っているものを持ち続けることは、
少なからずお母様に悪感情を抱くことになるかと思いますが、
お母様はそのような状況は望まれないのではないでしょうか。

決して親の思い通りに生きることが親孝行ではありません。
たとえ親が子を思い通りにしたいと思っていたとしてもおなじです。
それは健全な親の自立、子の自立につながらないからです。

親はエゴを捨てて子の幸せを見守るもの。
また幸せは押し付けることはできません。

残念だけど仕方がないことというのは
時として人生に起こるものですが、
その残念で仕方ないことが今起こっているのだと、
受け入れる素直さも必要かもしれません。

モノに支払ったお金は高かったかもしれませんが、
モノが使われないのなら価値はゼロです。

それらをずっと持ちつづけることで
収納スペースや管理労力が奪われ続けるだけでなく、
使っていない自分、結婚していない自分を
どこかで責め続けることで、心理的エネルギーが奪われます。

もっとも高くつくのは、経済面よりこの心理的ダメージです。
一気にQOL(人生の質)が低下してしまいます。

モノは使ってこそ。

一竹辻が花を、自分より何十倍も愛する人が袖を通し、
幸せな気分になれたのなら、それは自分の
勇気ある決断から発生した幸せです。

モノが循環することで心も人生も躍動する、

お母様も自分自身の過去を反省しつつ、
娘の逡巡と前進を、天国からほくそ笑んで見守っている、

そんなイメージをもちながら
遺品整理をされてみてはいかがでしょうか。

* * * * * * * *
PS
川畑のぶこのメルマガ(無料)ぜひ、こちらからご登録ください♪
http://www.kawabatanobuko.com/

PPS
川畑のぶこの無料Video講座をプレゼント中です!
https://www.kawabatanobuko.com/sp/CPK_KWCI/movie.php