自分の性格・思考

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リナさん(30代・女性・会社員)の
のご相談にお答えします。

【Q】川畑さん、こんにちは。
少し前からYouTubeを拝見するようになり、
とても勉強になっています。

私は39歳、独身で会社員をしています。

現在はリーダー職になり、
部下の相談を受けたり、仕事上のトラブルに
対応したりすることも増えました。

周りからは、「いつも冷静だね」
「しっかりしているね」と言われます。

友人もいます。

学生時代からの友人とは
今でも時々食事をしますし、
職場にも気軽に話せる人がいます。

人付き合いが苦手というわけではありません。

でも、最近、自分には本当に
何でも話せる人がいないのかもしれない
と思うようになりました。

きっかけは、仕事で大きなミスを
してしまったことでした。

幸い、大きな問題にはならず、
周囲の助けもあって何とか解決しました。

その時も、同僚から「大丈夫?」
「何かあったら話してね」と
声をかけてもらいました。

でも私は、「大丈夫です。
ご迷惑をおかけしてすみません」
と答えるだけでした。

本当は、全然大丈夫ではありませんでした。

帰宅してからも、「もしもっと大きな
問題になっていたらどうしよう」
「私は管理職なのに何をやっているんだろう」
と考えて、眠れませんでした。

誰かに話したい気持ちはありました。

でも、友人にLINEを打とうとしても、
途中でやめてしまいました。

忙しいのに悪いかなと思ったり、
こんな話をしても
相手を困らせるだけだと思ったり。

結局、「大丈夫?」と聞かれても
「うん、大丈夫」と答えてしまいます。

友人から悩みを相談されることは、
むしろ多い方です。

話を聞くことは嫌いではありません。

「あなたに話すと気持ちが整理できる」
と言われると、
役に立てたようで嬉しく思います。

でも、自分のことになると、急に
何をどう話せばいいのか分からなくなります。

以前、親しい友人に少しだけ
仕事の愚痴を話した時も、
「あなたなら大丈夫でしょ」と
笑って言われました。

友人に悪気がなかったことは分かっています。

でも、その言葉を聞いた時、
なぜかそれ以上話せなくなってしまいました。

私は周りから「大丈夫な人」だと
思われているのだと思います。

そして、自分でも、そうでいなければ
ならないと思っているのかもしれません。

もうすぐ40歳になります。

これまで一人で仕事を頑張ってきて、
生活にも困っているわけではありません。
一人の時間も好きです。

それなのに、時々、
急に寂しくなることがあります。

体調を崩した時や、
仕事で辛いことがあった時、

「もし本当に何かあったら、
私は誰に頼るんだろう」と思います。

友達はいるのに、
なぜこんなふうに感じるのでしょうか。

最近は、仕事だけでなく、
プライベートでも

「全部自分でやらなくてはいけない」
と思っていることに、
少し疲れてきました。

でも、誰かに任せてうまくいかなかったら
と思うと、やはり自分でやってしまいます。

このままの働き方、生き方を
続けていていいのだろうかと、
最近よく考えるようになりました。

私はこれから、どのように
考えていけばよいのでしょうか。

ご助言いただければ幸いです。

【A】リナさん、
ご相談ありがとうございます。

周りからは「しっかりしている」
「いつも冷静」と言われ、
職場では人を支え、
友人からは相談を受けることも多い。

そんなリナさんですが、
いざ自分がつらい時には、
誰にも相談できず、
「大丈夫です」と答えてしまうのですね。

今回のご相談を読んで、私はリナさんが、
これまで本当に誠実に、
責任感を持って人と関わってこられた
ことを感じました。

そして今、仕事でもプライベートでも、
「何でも自分でやる」ことが
少しオーバーキャパになってきている
のではないでしょうか。

実は、仕事を人に任せられないことと、
友人に相談できないことには、
共通するところがあります。

それは、「相手を信頼する」ということ。

リナさんは、これまで周りの人から
十分に信頼される人になってきたのだと
思います。

だからこそ、今回大きなミスをしてしまった
時にも、周りの人は責めるのではなく、

「大丈夫?」「何かあったら話してね」と
声をかけ、
助けてくれたのではないでしょうか。

これは、リナさんがこれまで築いてきた
人間関係の結果でもあるのですね。

だから、もう「自分が何でもできること」
を証明し続けなくてもいい。

仕事では、今度は周りの人に仕事を任せて、
その人たちに
経験や「お手柄」を作ってもらう。

そしてプライベートでは、
「私も実は大丈夫じゃないんだ」と、
少しずつ弱いところを見せてみる。

相手が気の利いたアドバイスを
してくれるとは限りません。

でも、相手なりに
「力になりたい」と思ってくれている。
その気持ちを受け取ることはできます。

相談は、必ずしも問題を解決するためだけ
のものではありません。

「私は一人じゃないんだ」
「全部、自分でやらなくていいんだ」

そんなふうに、人とのつながりや
思いやりを感じるための
やり取りでもあるのです。

いつも「大丈夫な人」でいようと
しなくてもいい。

たまには相手を驚かせてもいいし、
「私も今ちょっとつらいんだ」と
言ってみてもいいのではないでしょうか。

では、実際にどのように人を信頼し、
少しずつ自分の弱さを
見せていけばいいのでしょうか。

「全部一人でやらなくていい」と
思えるようになるためのヒントを、
動画で詳しくお話ししています。

続きはこちらからどうぞ。

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【Q】こんにちは。

いつも、物事を白か黒かではなく、
いろいろな角度から見せてくださる
川畑先生のお話に、
気づかされることがたくさんあります。

今日は、自分の「休み方」について
相談させてください。

私は64歳、現在は週3日、
事務の仕事をしています。

若い頃から体は丈夫な方で、
これまで大きな病気もなく、

多少疲れていても一晩寝れば
また元気になる、という生活を
ずっと送ってきました。

ところが最近、以前より疲れが残る
ようになったと感じることがあります。

先日も、仕事が休みの日に
朝から家の片づけをしていました。

「今日は時間があるから」と思い、
気になっていた押し入れの整理を始めたら、
つい夢中になってしまい、
気がつけば夕方になっていました。

翌日は、特に具合が悪いわけではないのに
朝から体が重く、何をするのも億劫でした。

そんな自分に対しても、
「昨日ちょっと動きすぎただけ」
「これくらいで休んでいてはいけない」
と思ってしまいます。

実は、こういうことが最近増えています。

友人から食事や買い物に誘われれば、
多少疲れていても出かけます。

町内の行事なども、自分にできること
ならなるべく参加しようと思います。

もちろん、誰かに無理やりやらされて
いるわけではありません。

自分で「まだできる」と思って
動いているのです。

けれど、以前のようには
体がついてこなくなっているのも、
薄々感じています。

それでも、「まだ64歳なのに」
「もっと年上でも元気に活動している人
はたくさんいる」と思うと、

疲れたから休む、ということが
何だか怠けているように
感じてしまうのです。

本当に具合が悪ければ休みます。
熱がある、寝込むほど体調が悪い、
そんな状態なら仕方がないと思えます。

でも、「何となく疲れた」
「今日は家でゆっくりしたい」という程度
では、休む理由にならないような気がします。

先日、女友達と一泊旅行に行った時も、
せっかく来たのだからと、
朝から観光地をいくつも回りました。

友人から「少しカフェで休まない?」
と言われても、「まだ大丈夫」と答えて
また歩き始めました。

楽しかったのは確かです。
でも、帰宅した翌日は何もする気が起きず、
ほとんど横になって過ごしました。

それでも私は、「せっかく旅行に行ったの
だから、元を取るくらい楽しまないと」
などと考えてしまいます。

最近になって、もしかしたら私は、
「元気でいられるうちは、できることを
全部やらなければ」と思っているのでは
ないかと感じるようになりました。

年齢を重ねて、以前と同じようには
できなくなっていることを、
どこかで認めたくないのかもしれません。

でも、この先も「まだ大丈夫」と
言いながら無理を重ねていたら、
本当に体を壊してしまうのではないか
と不安にもなります。

元気なうちに活動することと、
無理をしすぎることの境目が、
自分ではよく分かりません。

これから先も、今までと同じように
「できるからやる」と考えて
動き続けていていいのでしょうか。

年齢とともに変わっていく自分と、
どのように付き合っていけばよいのか、
アドバイスいただければ幸いです。

【マカロン・60代・女性・パート】

【A】マカロンさん、
ご相談ありがとうございます。

「まだできる」「まだ大丈夫」と思える
ことは、ありがたいことですね。

年齢を重ねても好奇心を失わず、
人とのつながりや地域の活動を
大切にされているマカロンさんの姿勢は、
とても素敵だと思います。

一方で、マカロンさんの中には、

「本当に具合が悪いなら休んでよい」
「何となく疲れた程度では
 休んではいけない」

という、
はっきりした線引きがあるようです。

熱がある、寝込むほどつらい、
どうしても動けない――そこまでいって、
ようやく自分に休む許可を出しているの
ですね。

でも、疲労は必ずしも、はっきりした
不調として現れるわけではありません。

「今日は少し体が重い」
「何となく億劫だ」
「家でゆっくりしたい」

そんな感覚も、「今日はこのくらいに
しておきましょう」という
体からの穏やかな知らせです。

その小さな声を聞かずにいると、
体は翌日のだるさや強い疲労という、
もう少し大きな声で
知らせなければならなくなります。

ですから、「何となく疲れた」は、
十分に休む理由になるのです。

これまで体が丈夫で、一晩眠れば
元気になれたマカロンさんだからこそ、
「疲れは一晩で回復するもの」という
感覚が身についているのでしょう。

けれど、年齢とともに体のリズムや
回復に必要な時間が変わるのは、
ごく自然なことです。

それは「弱くなった」「怠けるようになった」
ということではありません。
今の体から届く新しい情報なのです。

大切なのは、
「今もできるかどうか」だけではなく、
「したあとに、どのくらいの回復が必要
になるか」まで含めて考えることです。

できることと、しても消耗しないことは、
必ずしも同じではありません。

押し入れの整理も、旅行先での観光も、
その最中は夢中になれますし、
実際に楽しくもあります。

けれど、翌日に何もする気が起きず
ほとんど横になって過ごすのであれば、

体はきちんと
「昨日は少し使いすぎましたよ」と
教えてくれているのでしょう。

マカロンさんご自身も書かれているように、
その背景には、「以前と同じようには
できなくなっている自分を認めたくない」
という思いもあるのかもしれませんね。

自分の変化を受け入れることは、
ときに、これまでの自分を失うように
感じられるものです。

また、周囲にもっと年上で元気に
活動している人がいれば、
「私もまだ頑張らなければ」と
思うかもしれません。

けれども、同じ年齢でも、
体質や生活環境、仕事、睡眠、
回復のペースはそれぞれ違います。

外から元気そうに見える人が、
家ではどのくらい休んでいるかも
分かりません。

比べるなら、
他人ではなく「今日の自分」です。

そして、休むことは
「できなくなったと認めること」でも、
活動を諦めることでもありません。

むしろ、これから先も好きなことを
続けるためのメンテナンスです。

車も完全に故障してから修理するだけ
では、長く安全に乗り続けることは
できません。

故障する前に点検し、燃料を補い、
ときには運転を休むからこそ、
遠くまで走り続けられます。

年月を重ねれば、以前よりこまめな
メンテナンスが必要になるかもしれません。

それでも、丁寧に手入れをすることで、
長く快適に走り続けることができます。

人の体も同じです。

「まだ動けるから休まない」のではなく、
「これからも動きたいから、動けるうちに
休む」と考えてみてはいかがでしょうか。

また、これからは
「どれだけたくさんできたか」という量
だけでなく、「どれだけ心地よく味わえたか」
という質にも目を向けてみてください。

旅行で「元を取る」とは、決して観光地を
一つでも多く回ることだけではありません。

カフェでひと休みし、その土地の空気を
感じながら、友人とゆっくり語り合うことも、
旅の豊かな一場面です。

「詰め込む」ことから「味わう」ことへと
価値の軸を少し移してみると、
休憩は活動の中断ではなく、
楽しみの一部になります。

もしかしたらご友人は、
観光地を巡ることと同じくらい、
そんなゆったりとした旅情も
味わいたかったのかもしれませんね。

今後マカロンさんができることとして、
日常でも次のようなことを
試してみてはいかがでしょうか。

まず、「まだできる」のか、
それとも「まだやりたい」のかを
区別してみることです。

その際には、頭の声だけでなく、
身体の声にもきちんと耳を傾けてください。

そして、「まだできる」と思うところでも、
八分目で終えてみることです。

残りの二割は、明日の自分のための余力
として残しておいてあげましょう。

押し入れの整理なら
一日で終わらせようとせず、

身体の声にも耳を傾けながら
「今日は午前中だけ」「今日はこの一段だけ」
と決めます。

まだ少しできる余力を残して終わることを、
物足りなさではなく、明日の自分への
思いやりと考えてみましょう。

何かに誘われたときも、

「今、行けるか」だけではなく、
「今、行きたいのか」
「行ったあとの明日の私は、どうなりそうか」

と尋ねてみてください。

活動そのものに使う時間だけでなく、
そこから回復する時間までが一つの予定です。

そして、休息を予定の空白としてではなく、
最初から大切な用事として
確保してみてください。

予定が入らなかったから休むのではなく、
「この時間は何もしない」
「この午後は体を整える」と
先に決めておくのです。

休息は、何もしなかった時間ではありません。
これからの自分のために、
心と体を回復させた時間です。

体が重いと感じたときは、
「こんなことで休んではいけない」
と叱る代わりに、

「昨日もよく動いてくれたね」
「教えてくれてありがとう」
「今日は少しゆっくりしよう」

と、長年働いてくれている体を
ねぎらってみてください。

年齢とともに変化する自分を受け入れる
ことは、諦めでも敗北でもありません。

その時々の自分に合うように、
暮らし方を更新していくことです。

それは、自分の身体に対する敬意であり、
自分を大切にする智慧です。

ぜひ、「できるからやる」から、
「大切なことを、心地よく続けられる方法
でやる」へシフトしてみてください。

なお、十分に休んでも疲れが取れない状態
が続く、息切れや動悸、めまい、強い眠気、
食欲や体重の変化、気分の落ち込みなどが
ある場合は、

単に年齢のせいと決めつけず、
一度医療機関で相談してくださいね。

マカロンさんが、これからも好きなことを
長く楽しむために、「休むこと」も
前向きな予定の一つに加えられますように。

ー川畑のぶこ

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あおいさん(50代・女性・医療事務)の
のご相談にお答えします。

【Q】川畑先生、こんにちは。
いつもYouTubeを拝見し、自分自身を
見つめ直すきっかけをいただいています。

私は58歳、医療事務として働いています。

今日は、自分の性格について
相談させてください。

私は昔から、人に嫌われることが苦手です。

相手が困っている様子を見ると
放っておけず、頼まれごとも断れません。

職場では
「あおいさんなら安心」と言われることが多く、
急なシフト変更や仕事のフォローも、
気づけばいつも引き受けています。

友人からの相談にも長時間付き合いますし、
町内会や親戚の集まりでも、

「お願い」と言われると、
断る理由を探すより先に
「分かりました」と返事をしてしまいます。

若い頃は、
それが自分の長所だと思っていました。

誰かの役に立てることが嬉しかったですし、
「ありがとう」と言われると
報われた気持ちにもなりました。

でも最近、「本当はやりたくなかったのに」
と思うことが増えてきました。

予定が詰まりすぎて疲れていても、
「無理です」と言えません。

家に帰るとどっと疲れが出て、
「私は何をやっているんだろう」と
虚しくなることもあります。

親しい友達に相談すると、
「もっと断ればいいのに」
と簡単に言われます。

私も頭ではその通りだと思います。

でも、断ったことで相手に嫌な思いを
させたり、「冷たい人」と思われたりする
ことが怖くて、どうしても勇気が出ません。

この年齢になっても
人の顔色ばかり気にしてしまう自分が、
どうしようもなく嫌になる時があります。

私は、どうしたらもっと自分らしく
生きられるのでしょうか。

【A】あおいさん、
ご相談ありがとうございます。

人に嫌われることが怖くて、
頼まれると断れない。

職場でも友人関係でも、
気づけばいつも人のために動いていて、
家に帰るとどっと疲れてしまう。

あおいさんが
「いい人」でいたいと思っているのは、
決して悪いことではありません。

人に快適に過ごしてほしい、
困っている人を放っておけないという、
誠実で優しいお気持ちが伝わってきます。

ただ、50代後半になって
以前より疲れやすくなってきたのであれば、

今までと同じように頑張り続けるのは、
もう体が「NO」と言っているのかも
しれません。

だからこそ、いきなり「断る」のではなく、
まずは一呼吸置くことから
始めてみてください。

「これ、お願いできない?」と言われたら、
すぐに「いいよ」と答えるのではなく、

「ちょっと待ってね。
   スケジュールを確認してみるね」
と、一旦時間を置いてみる。

そして、自分の予定を確認してみると、
「本当はこの日はゆっくりしたい」と、

自分の気持ちや体の声が
聞こえてくるかもしれません。

実は、家でゆっくり過ごすことも、
自分を大切にするための
大切な「予定」なんですね。

そして、断ることと、
相手を嫌っていることは別のことです。

「ごめんね、
   この日は予定があって無理だった。
   また何かできることがあったら言ってね」

そんなふうに、
優しいトーンで断ることはできます。

すべてのお願いを引き受けなくても、
良好な関係を築くことはできるのです。

むしろ、無理なときには「無理」と言える
関係のほうが、お互いに素直で、
健全な関係なのではないでしょうか。

そしてもう一つ大切なのは、
周りの人に頼られる前に、

まずあおいさん自身が、これまで
頑張ってきた自分を認めてあげること。

「今までよくやってきたね」と、
一番身近な自分自身が
自分を褒めて称えてあげてください。

では、実際にどんなふうに一呼吸置き、
相手との関係を保ちながら
断っていけばいいのでしょうか。

「いい人」でいようと頑張ってきた
あおいさんが、

これから自分も大切にしながら
人と付き合っていくためのヒントを、
動画で詳しくお話ししています。

続きはこちらからどうぞ。

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【Q】川畑先生、こんにちは。

先日、学生時代からの友人4人で、
一泊の温泉旅行に行きました。

みんな30年以上の付き合いで、
年に何度か集まったり、時々こうして
旅行に行ったりしています。

今回も行く前は楽しみにしていました。

でも、帰ってきてから、何だか
とても疲れている自分に気づきました。

一泊だけとはいえ、ずっと一緒にいると
普段は見えないことまで
見えてくるものですね。

今回、特に気になったのは、
友人2人の振る舞いでした。

食事の時に、お店の人への言い方が
少しきつかったり、
みんなで決めた予定なのに
「私はこっちがいい」と急に言い出したり。

部屋でも、自分が使ったものを
そのままにしていたり、
誰かが片づけてくれるのを当たり前の
ようにしているように見えたり。

昔からそういうところが
あったのかもしれません。

でも、若い頃は、こんなに
気にならなかったと思います。

「そういう人だから」と笑って済ませて
いたようなことが、今回はなぜか
いちいち気になってしまいました。

その場では何も言いませんでした。

旅行中に空気を悪くするのも嫌ですし、
もう何十年も付き合っている友人です。

でも、心の中では何度も
「どうしてそんなことをするんだろう」
と思っていました。

帰りの電車では、
やっと一人になれると思ったら、
正直ほっとしている自分がいました。

そして家に帰ってからも、
あの時のことや、この時のことを
思い出しては、何だかモヤモヤしています。

でも、考えているうちに、
自分も同じように誰かを疲れさせている
のかもしれないと思うようになりました。

長年の付き合いだからと、
自分では気づかないうちに
相手に甘えていたり、

わがままに振る舞っていることも
あるかもしれません。

そう考えると、余計に
何が正しいのか分からなくなります。

友人たちのことが
嫌いになったわけではありません。

長い間、一緒に笑ったり、悩みを
話したりしてきた、大切な友人です。

でも、以前のように
「またみんなで旅行に行きたい」と
素直に思えない自分もいます。

次に誘われたら、行くのが面倒だなと
思ってしまいそうです。

最近は、この友人たちに限らず、
人と会った後に以前より疲れるように
なった気がします。

楽しくないわけではないのです。
会っている時は笑っているし、
それなりに楽しいと思っています。

それでも、
家に帰ると一人になりたくなります。

私は今年61歳です。
年齢を重ねて、人付き合いの仕方が
変わってきたのでしょうか。

それとも、私の方が人に対して
細かくなったり、我慢ができなくなったり
しているのでしょうか。

このまま人付き合いを面倒に感じるように
なって、だんだん友人と疎遠になって
しまうのも少し寂しい気がします。

でも、無理をしてまで会いたいとも
思えません。

自分でも、何を相談したいのか、
うまくまとまっていないのですが、

旧友との一件を境に、最近、
人付き合いが急に面倒に感じるように
なってきた自分に、少し戸惑っています。

【かおり・60代・女性・パート】

【A】30年来のご友人との旅行をきっかけ
に、人付き合いについて考えるように
なったかおりさんなのですね。

決して友人たちのことが
嫌いになったわけではない。

会えば楽しいし、大切な人たちでもある。
でも、ずっと一緒にいると疲れる。
そして、一人になるとほっとする。

私たちの身体は正直ですね。

でも、アタマは身体や心の底の声を
歪めて抗い、これまでのテンプレに
私たちをはめ込もうとしがちですね。

「私の心が狭くなったのだろうか」
「年齢とともにワガママになってしまった
のだろうか」と自分を責めてしまう。

でも、年齢とともに「我慢できなくなる」
ものが出てくるのは極めて自然なことです。

今のかおりさんの状態は、
「人付き合いが面倒になった」というよりも

自分にとって心地よい人との距離が
以前よりはっきりしてきたのでは
ないでしょうか。

若い頃というのは、体力も好奇心もあって、
人との関係を広げたり、深めたりすること
に多くのエネルギーを使います。

友達と長時間過ごしたり、
夜遅くまで語り合ったり、

多少相手に気になるところがあっても
「まあ、いいか」と流せたりするでしょう。

一方、年齢を重ねるにつれて、
私たちは時間や体力も有限であること
を実感するようになります。

もしも、私の人生に残された時間が

あと1年だったら…
あと1ヶ月だったら…
あと1週間だったら…

こんなふうに有限性の解像度を上げて
いくと、「いったい私は誰と、
どのように時間を過ごしたいのか」が
自ずと明確となり、選択しやすくなる
のではないでしょうか?

このことで、かおりさんが人生で大切に
したいものがより鮮明になってきます。

お店の人にも敬意をもって接したい。
みんなで決めたことは尊重したい。

共同の場では、自分のことだけでなく
周囲にも配慮したい。

かおりさんにとって、そうした価値観
が大切なんだということが、
年を重ねたからこそ浮き彫りになり、

それに反する行動を目にしたときに、
以前より違和感を覚えるのでしょう。

かおりさんにぜひ区別していただきたい
のは、「大切な友人」と「ずっと一緒に
いたい人」は必ずしも同じとは限らない
ということです。

30年来の友人で、長い歴史があることと、
現在の生活スタイルや価値観が
完全に一致していることは別の話です。

学生時代には朝から晩まで一緒にいて
楽しかった相手でも、いまは年に数回
会うくらいが心地よい人もいれば、

旅行に行って朝から晩まで一緒にいても
疲れない人もいるでしょう。

人間関係には、それぞれに
ちょうどいい濃度や頻度があります。

今回の旅行は、その友人たちとの関係が
悪くなったというより、

この人たちとは旅行よりも、時々食事を
するくらいが心地いい、ということを
教えてくれたのかもしれません。

次に旅行へ誘われても、気が進まなければ、
「今回はやめておくね。でも、またランチ
しよう」と爽やかに返せばいいのです。

友情を続けるか、縁を切るか、という
二択にする必要はありません。

かおりさんは最近、他の人と会った後に
一人になりたくなることが増えたことも、
無視してはいけない大切なサインだと
思います。

人と一緒にいるというのは、
楽しいことでもありますが、同時に
エネルギーを使うことでもあります。

相手の話を聞き、表情を読み、
場の空気を感じ、相手に合わせ、
会話のタイミングを考える。

私たちは、意識している以上に
たくさんの情報を処理しています。

ですから、人と会って楽しかったことと、
帰宅して一人になりたいことは
決して矛盾しません。

ただ、その疲れを
「人付き合いが嫌になった証拠」と
決めつけないことです。

一人になることで、かおりさんの
エネルギーを回復させる時間が
以前より増えているのなら、
その時間を尊重してあげてください。

スマホも年を経るごとに充電サイクルが
早まるように、

かおりさんの「一人になりたい」時間は、
単に充電サイクルが早まっただけかも
しれません。

「自分も同じように誰かを疲れさせて
いるのかもしれない」という振り返りも、
かおりさんの誠実さが表れていると思います。

もちろん、私たちは誰しも完璧では
ありませんし、自分では気づかないうちに
相手に甘えたり、気を遣わせたりすること
もあるでしょう。

でも、それは「だから友人の振る舞いも
我慢しなければならない」ということ
ではありません。

お互いに不完全だからこそ、
適度な距離が必要なのです。

相手に無理をさせたくないなら、まず

かおりさん自身が無理をやめることです。

いつも素直な人には相手も
心をオープンにしやすいものです。

すべてを許容できることが、
よい友情なのではありません。

相手には相手の癖があり、自分には
自分の癖があることを認めつつ、
無理なく付き合える距離を見つけるのが、
大人の友情なのではないでしょうか。

人生には、人間関係の衣替えのような
時期があります。

過去に似合っていたものや
纏っていたことが、今の私には
そうでないことがあるものです。

「今の私には、どんな人付き合いが
心地よいのだろう?」を
常に問い直してみてください。

過去の友情に感謝しながら、
現在の自分にふさわしい距離を
選んでもいいのです。

むしろ、そのように自分に無理を
させない距離を知ることで、相手を
嫌いにならずに済むこともあります。

30年間続いた友情は、
「これからも同じ形で付き合い続け
なければならない」という契約ではなく、

それらの価値は、
これから会う回数が減ったとしても、
なくなるものではないでしょう。

近づいたり、離れたりしながら、
自分を大切に、お互いが心地よく
いられる場所を見つけていく。

それもまた、長い人生を
ともに歩んできた友人との、
成熟した付き合い方なのだと思います。

ー川畑のぶこ

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【Q】川畑先生、こんにちは。
孫のことで相談させてください。

私は65歳で、夫と二人で暮らしています。

一人娘(38歳)は、夫と小4の男の子、
小2の女の子の4人暮らしです。

娘たちは少し離れたところに住んでいるので
普段は2〜3ヵ月に1度会うくらいですが、

孫たちがかわいくて
会えるのをいつも楽しみにしています。

先日、お盆休みに
娘と孫たちが数日泊まりに来ました。

久しぶりにみんなで過ごせるのが嬉しくて、
私は張り切ってしまいました。

孫たちが起きる前に朝食を用意したり、
好きそうなものを買っておいたり、
汗をかいたらすぐ使えるように
タオルを出しておいたり。

「暑いから外に出るなら帽子をかぶってね」

「そろそろお風呂に入ったら?」

「明日は出かけて疲れるから、
今日は早く寝た方がいいよ」

と、ついあれこれ言ってしまいました。

娘からは、

「もう小4なんだから、自分でできるよ」
「そんなに先回りしなくても大丈夫だよ」

と、何度か言われました。

孫たちからも、「大丈夫だよ」
「自分でやるから」と言われることがあり、
少し嫌がられているのかな、
と感じる瞬間もありました。

それでも、私からすると、まだ小学生です。

転んだり、忘れ物をしたり、
暑い中で無理をしたりしないかと心配ですし、

せっかく一緒にいるのだから、
できることはしてあげたいと
思ってしまいます。

娘からは、「お母さんは昔から、私のことも
何でも先回りしてやってくれたよね」と、
ちょっとチクリとした感じで言われました。

そう言われると、確かに私は昔から、
家族が困らないように、先に気づいて
動くことが多かったと思います。

娘や孫たちが帰ったあとは
家の中が急に静かになって、
少し寂しく感じました。

でも同時に、どっと疲れが出ました。

数日間、朝から食事の準備や片付けをして
孫たちのことを気にかけていたので、
自分でも思っていた以上に
気を張っていたようです。

娘から言われたことも、
あとになって気になっています。

「お母さん、
 もう少し何もしなくていいんじゃない?」

「私たちは私たちでやるから」

そんな言葉が、頭に残っています。

娘や孫たちのためにしてあげたいという
気持ちは、私にとって負担ではありません。

むしろ、頼られることも嬉しいですし、
孫たちが喜ぶ顔を見るのが
私の楽しみでもあります。

でも、最近は「私は少し世話を焼きすぎ
なのかな」と思うようにもなりました。

孫が大きくなっていくにつれて、
私のしてあげられることも
変わっていくのかもしれませんし、

実際にもうそれが
始まっているのかもしれません。

それでも、かわいい孫を見ると、
つい手や口を出してしまいます。

私は、いつまで、どこまで、
孫のことに関わっていいものでしょうか。

かわいくて、してあげたいと思う気持ちと
少し距離を置いた方がいいという気持ちに、
どう折り合いをつければいいのでしょうか。

【はな・60代・女性・パート】

【A】はなさん、こんにちは。

お盆の数日間、朝から晩まで
娘さんとお孫さんたちのために
動き続けていらしたのですね。

みんなが帰ったあとの静けさに寂しさを
感じるのは、はなさんが長年育んで
こられた愛情の証だと思います。

娘さんの「お母さんは昔から先回りして
やってくれたよね」という言葉には、
少しチクリとした響きもあったかも
しれませんが、

それだけ支えられてきたという
感謝も含まれているはずです。

そして、お孫さんたちから返ってきた
「自分でできるよ」「大丈夫だよ」
という言葉は、

はなさんを拒んでいるのではなく、
成長の合図であり、
本来喜ぶべきサインです。

自立心のある子たちに育っている、
その証でもあります。

心理学的に見ると、
乳幼児期から幼年期にかけては、
周囲が先回りして世話をすることが
安心感や愛着の土台になります。

ですが、小4・小2という学童期は、
「自分でやってみたい」
「自分の力を認めてもらいたい」という
気持ちが育つ、次の発達段階です。

ここで祖母としての気遣いが
幼年期と同じ形で重なると、

お孫さんにとっては「信頼されていない」
と感じられることがあります。

これは、はなさんの愛情が間違っている
という意味ではなく、お孫さんが
幼年期から学童期へと歩みを進めている、
その途中にいるということなのだと思います。

これからは、
「できた!」「やったー!」という達成感を
はなさんが先取りするのではなく、

お孫さんご自身に味わってもらう——
そんな関わり方も一つの愛情表現です。

「自分でできてすごいね」と手柄を譲る
ことで、承認されたい気持ちも満たされ、
自立への後押しにもなります。

転んだり忘れ物をしたりする失敗も、
命や安全に関わる重大なことでない限り、
大切な学びの機会として
あたたかく見守ってあげてください。

真のサポートとは、
こちらが与えたいものを与えることではなく、

相手が真に必要としているものが
何かを確認し、吟味して与えることです。

そこには、あえて行動を起こさず、
経過を見守るということも含まれます。

目安としては、「求められる前に動くか、
求められてから動くか」を
意識してみることです。

帽子や水分補給など、安全に関わること
はこれまで通り声をかけて大丈夫。

お風呂や就寝時間など
本人たちで判断できることは、

聞かれたら答える、困っていそうなら
「手伝おうか?」と一声かける程度に
留めてみる。

それだけで、「してあげたい」気持ちを
我慢するのではなく、
形を変えて表現できます。

娘さんの「私たちは私たちでやるから」
という言葉も、冷たさではなく

「お母さんにも自分の時間を楽しんで
ほしい」という気持ちの表れかも
しれません。

相手を思う気持ちがあふれていても、
体の疲れは案外、
周りに伝わってしまうものです。

はなさん自身がゆとりを持って過ごせるほど、
娘さんもお孫さんたちも、安心して
自分たちの生活を歩んでいけるはずです。

ぜひ、はなさんご自身の体の声に
耳を傾けながら、ご自身のセルフケアを
大切にしつつ、お孫さんたちの成長を
サポートをされてください。

ー川畑のぶこ

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【Q】川畑先生、こんにちは。
毎回、自分のことを言われているような
気持ちになりながら、
メルマガやYouTubeを拝見しています。

他の方にとっては些細なことかも
しれないのですが、川畑さんが
「些細なことでもかまいません」と
動画で言ってくださったので、
相談させていただきます。

私は59歳、
パートで仕事をしています。

夫と二人暮らしで、子どもたちは
それぞれ家庭を持って独立しています。

子育てが終わってからは
自分の時間も増えたので、
以前から興味のあったことを
いろいろ始めるようになりました。

週に一度のヨガ、
月に2回の友人とのランチ、
時々は、友と旅行にも出かけます。

近くに住む母の様子を見に行ったり、
娘から頼まれれば孫の送り迎えを
したりもしています。

仕事が休みの日も、何かしら
予定が入っていることが多く、
気がつくと一か月先までカレンダーが
埋まっていることも少なくありません。

自分で予定を入れているのですから、
忙しいのは当たり前です。

どれも嫌なことではありません。

むしろ、誘ってもらったり、
予定が入っていたりすると嬉しいですし、
「充実した毎日を送っている」
と思っていました。

ところが最近、
少し疲れを感じるようになりました。

先日、珍しく予定が何もない休日が
あったのですが、
朝から何をする気にもなれず、
ほとんど家で横になって過ごしました。

気づけば何時間も昼寝をしていました。

その日の夜、友人から
「今度の日曜日、ランチどう?」と
LINEが来て、いつものように
「行きたい!」と返事をしたのですが、

送った後になって、
なぜか少し気が重くなりました。

自分で予定を入れているのに、
予定が近づくと「面倒だな」
「家でゆっくりしたいな」と思うことも
増えている気がします。

でも、予定が何もないと、
それはそれで落ち着きません。

「せっかくの休みなのに、
何もしないで終わってしまった」と、
もったいないような気持ちになるのです。

最近は、疲れているのに
予定を減らせない自分は、
少しおかしいのかなと思うように
なりました。

年齢のせいで
体力が落ちてきたからなのか、

それとも、私自身が忙しくしていないと
落ち着かない性格だからなのか、
自分でもよく分かりません。

これからは、もう少しゆっくり
過ごした方がいいのかと思いながらも、

何もしない時間を増やすと、今度は
毎日がつまらなくなってしまいそうで、

それも怖く、
つい予定を入れ過ぎてしまいます。

こんな私を、川畑さんは
どんなふうに思われますか?

時間の使い方について、
アドバイスいただければありがたいです。

【メロンソーダ・50代・女性・パート】

【A】メロンソーダさんのお悩みは、
他人事とは思えない方も多いのでは
ないでしょうか。

私自身、耳の痛くなる部分もありました。

ヨガ、友人とのランチ、旅行、
お母様やお孫さんのことは、どれも

「誰かとつながっていたい」
「役に立ちたい」「人生を楽しみたい」

という、メロンソーダさんの健全な気持ち
から出ているものだと思います。

そのような楽しみが日常に散りばめられて
いることはとても素晴らしいことですね。

ただ、メロンソーダさんは、
それらを省くことで人生の充実度を
下げてしまうのではという不安が
おありなのでしょう。

予定が近づくと
「面倒だな」と思う一方で、
予定が何もないと「もったいない」
「つまらない」と感じてしまうのですね。

私たちは、「予定=充実」「余白=空虚」
という方程式が、いつの間にか
自分の中にできあがっているのかも
しれません。

でも、余白は本当に空虚でしょうか?

メロンソーダさんの課題は、
「予定がない時間」への向き合い方
なのかもしれません。

休日に何時間も昼寝をしてしまったことは、
「時間を無駄にしてもったいない」とか、
「怠慢」のように感じてしまうかも
しれませんが、実際はそうではありません。

むしろ、体が
「もう限界だから、いったん止まって」
という大切なサインです。

体は私たちが思っている以上に正直です。

頭では「充実している」と感じていても、
体が先に疲れを訴えることはよくあります。

心は「YES!」でも体が「NO!」と
言っているときがあるのです。

そのようなときは、
体のメッセージを優先してみてください。

メロンソーダさんも、
ぜひ、次に予定のない日ができたとき、

「何もしない」ことに罪悪感を持つことなく、
あえて何も入れずに過ごしてみてください。

空間の断捨離とおなじように、
余白を楽しむのです。

床の間に1輪の花が活けてあるのを
美しいと感じるのは、
その周りに余白があるからです。

ひとつの経験を十全に輝かせるためには、
それ以外のものを省くことも大切です。

床の間に、たくさんの荷物が置かれている

ーどれもひとつひとつのモノには
それなりの価値がありそうですがー

その中に花一輪が活けてあっても、
その存在は輝きません。

また、どのアイテムも他のモノで
相殺されてしまいます。

人生経験やスケジュールも一緒です。

詰め込みすぎると、どの経験も
曇ったものになってしまうことがあります。

「Vacation=バケーション」というのは
空っぽにするという意味があります。

のんびりしたり、空っぽにしたりすること
にも大きな価値があるのです。

ぜひ、メロンソーダさんの日常にも
のんびりする時間を散りばめてみてください。

その日の終わりに
「もったいなかった」ではなく、
「今日もゆっくりゆとりをもって過ごせた」
と称えてみるのです。

すべての予定を減らす必要はありません。

カレンダーに「何も書かない枠」を、
他の予定と同じように大切な予定として
ひとつだけ先に確保してみる。

ぜひ、そんなところから始めてみてください。

ー川畑のぶこ

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よつばさん(50代・女性・自営業)
のご相談にお答えします。

【Q】私は今も、夫の妹の息子
(=私の甥っ子であり、
子どもたちの従兄弟にあたります)の
結婚式のことが心に引っかかっています。

私たちの子どもだけが招待されず、
他のいとこたちは全員招待されていました。

中には、私たちより普段の関わりが少なく、
遠方に住んでいる親族も含まれていました。

義理の妹からは
「招待客を決めたのは新郎本人だ」
と聞いていますが、
本当にそうだったのかは分かりません。

娘は当時大学生で家を離れていたため、
この出来事に対する印象は
比較的薄いと思います。

一方、息子はこの家で暮らしており、
新郎とは同い年で、小さい頃から
一緒に育つ時間も多く、
私にとっても特別な存在でした。

親族が集まるたびに、私は
いとこたちをまとめて面倒を見ており、
みんな自分の子どものように
可愛く思っていました。

結婚式の後も、私は義母と
半二世帯で同居していたため、
義妹一家は何事もなかったかのように
家へ来ます。

そのたびに心がざわつき、
義妹夫婦への嫌悪感が強くなり、
一時期は無視していたこともあります。

さらに、出席予定者が一人欠席になった際、
「どう?」と私たちに声をかけられたことも
ありました。

最初から招待されなかった私たちへの
その言葉が、今も許せません。

本当は、甥にはこれまでどおり
優しく接したい気持ちがあります。

しかし、義妹だけでなく甥にも裏切られた
ような気持ちになってしまい、私自身も
心を閉ざして頑なになってしまいます。

そんな自分にも苦しさを感じています。

この出来事から10年以上経った今も、
許せない気持ちは消えません。

現在は、義母が認知症となり
施設に入居したため、
義妹一家との接点は減りました。

それでも心のしこりは残ったままで、
頭では「結婚式は本人たちの自由であり、
招待されないこともある」と
理解しようとしても、
感情が追いつきません。

私は、何にこれほど
傷ついているのでしょうか。

また、この出来事をどのように受け止め、
心を整理していけばよいのでしょうか。

【A】よつばさん、10年以上経った今も、
その出来事が心に残り続けているのですね。

それだけ、ご家族や甥御さんを
我が子のように大切に思い、
親身になって関わってこられたからこそ、

「裏切られた」というお気持ちに
なったのだと思います。

ただ、今回のお話を伺っていて私が感じたのは、
よつばさんご自身は結婚式に招待されていた
一方で、息子さんが招待されなかったことを、

「息子が傷つけられた=私が傷つけられた」
と受け止めていらっしゃるのではないか、
ということです。

また、息子さんと甥御さんとの間には、
大人からは見えない関係性や事情があった
可能性もあります。

もちろん、
それが事実かどうかは分かりません。

だからこそ、相手の真意を想像し続けるよりも、
これからは
「私は本当はどうしてほしかったのか」という
ご自身の気持ちを大切にしていただきたいのです。

「寂しかった」
「息子も呼んでもらえたら嬉しかった」

――そんな素直な思いを飲み込まず、
健全な形で伝えられるようになることは、
ご自身を大切にすることにもつながります。

動画では、
なぜこの出来事が長年心に残り続けたのか、
そして自分を大切にしながら人と関わるための
考え方について、
もう少し詳しくお話ししています。

続きはこちらからどうぞ。

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beautiful yellow Sunflower

【Q】61歳、専業主婦です。

2年前に夫が定年退職し、
現在は再雇用で働いています。

子どもたちは独立し、
住宅ローンも終わりました。

年金や退職金についても
ファイナンシャルプランナーに相談し、
「普通に生活する分には心配ありません」
と言っていただいています。

それなのに、
私はお金を使うことができません。

夫から旅行に誘われても、
「今はやめておこう」と断ってしまいます。

服もリサイクルショップで買うことが多く、
新しいものはもう2〜3年買っていません。

壊れかけた家電も、「まだ使える」と思うと
買い替えることができません。

夫からは、「そんなに我慢して、
何のために貯めているんだ」と言われます。

私自身も、その通りだと思います。
でも、お金が減ることが怖いのです。

若い頃は、教育費や住宅ローンのために
節約するのは当たり前でした。

でも今は、
その頃より生活に余裕があるはずなのに
節約することが当たり前になってしまい、

お金を使うことに
罪悪感のようなものまで感じます。

気づけば、「使わないこと」が
目的になっているような気もします。

毎月家計簿をつけていますが、
うまくやりくりできて貯金に回せた時は
とても大きな喜びと安心感を感じます。

でも、このままでは、
せっかく自由な時間ができても
何も楽しめないまま
年を重ねてしまいそうです。

私は、どうしてこんなにも
お金を使うことが怖いのでしょうか。

これから先、お金とどのように
付き合っていけばよいのでしょうか。

【サッチ・60代・専業主婦】

【A】サッチさん、
ご相談ありがとうございます。

長年にわたり、お子さんの教育費を
工面し、住宅ローンを返済し、
ご家族の生活を支えてこられたとのこと、

まずはご自身に
盛大な拍手をしてあげてください!

今ではお子さんも独立し、
ファイナンシャルプランナーからも
「普通に生活する分には心配ありません」
と言われているにもかかわらず、

お金を使うことが怖くて仕方がない。
サッチさんの不安がよく伝わってきました。

まず、私たちには生存本能から
「溜める」傾向があります。

近年、行動経済学の分野からも
「プロスペクト理論(=損失回避)」
という考え方があり、

人は何かを得る喜びよりも、
失う苦痛をおよそ2倍強く感じる
ということが報告されています。

特に定年後は、
「これから大きく収入を増やすことは
難しい」という意識も重なり、

「資産が減ること」が実際以上に
脅威として感じられやすくなることと
思います。

有史以来、人類は足りなくて困った歴史が
大半を占めているわけですし、

遺伝レベルでも私たちは祖先から、
生きる知恵として「蓄えること」を
学んできています。

モノも溜めますし、脂肪も溜めますね。

サッチさんは、遺伝レベルでも、個人レベル
でも、長年家族の生活や人生のために
貯めることを学んできたわけですし、

しっかりと貯蓄することは、
ご家族への愛情表現であり、
責任を果たす行為でもあったのでしょう。

何十年もその生活を続けていれば、
節約できる私には、「忍耐強い私」
「家族を思う良き妻・母」「慎ましい人間」
という自己像が育っていきますから、

それを簡単に手放すのは、
これまでの自分を否定してしまうような
気になるのではないでしょうか。

このように、サッチさんにとって
節約は単なる行動ではなく、
アイデンティティの一部なのかも
しれませんね。

ですので、今の状態は必ずしも
サッチさんの性格や意志の弱さの問題とは
限らないということも知っておいてください。

私たちにとって、アイデンティティーを
覆すのはこのうえなく恐怖ですから。

ただし、お金をご自身のために使うことは、
過去の価値観やアイデンティティーの否定
ではなく、
ステップアップと考えてみてください。

過去の自分と入れ替えるのではなく、
これまでがあったからこそ、
それを土台に次のステップに移行するのです。

過去の自分をきちんと含みつつ、
称えつつ、それを超えて未来に前進します。

心理学者アブラハム・マズローは、
人間の欲求には段階があると考えました。

ピラミッドの土台は、まずは食べること、
住むこと、安全に暮らすことといった
「生存」の欲求を満たすことで、

その土台が整ってはじめて、
人とのつながりや、人生の充実、
自己実現といった、より高次の
心理社会的欲求の充足へ移行していく
という考え方です。

サッチさんは長年、
ご家族の生活を守るために、まさに
生理的欲求の充足や安全欲求の充足など、
「生存」の段階は
ひとまずクリアできているわけです。

本来であれば、ここからは
人生の次の段階なのですが、
心だけがまだ以前のステージに
留まり続けているのかもしれません。

ですので、ここからはぜひ、
階段を上るイメージをしながら、

私はいま、「どう生き延びるか」から
「どう幸せに生きるか」へシフトする
段階を踏んでいるのだ、
ということを思い出してみてください。

これは、「いつかのため」から、
「今日という人生を豊かに味わう」
ことへのシフトでもあります。

単に節約をやめるということではなく、
人生のステージが変わったことに合わせて、
お金の役割もご自身とともに
成長させていくということなのです。

もちろん、ステージを上がってみて
「ちがうな」と思ったら、ステップダウン
して戻ったって良いわけです。

いちどステップアップしてしまったら
二度と取り返しのつかないことになる
わけではありません。

「使わないことが目的になっている
ような気もします」と
サッチさんご自身もお気づきの様子。

本来、お金は人生を豊かにするための
手段であり、私たちの人生の目的は
幸福を体験することです。

健康も、お金も、長生きも、
それ自体が目的ではありません。

それらは、自分らしく人生を味わう
ための土台です。

人生を支える道具が人生そのものに
なってしまうと、本来味わえるはずの
豊かさを失ってしまいます。

ですから、私は「もっとお金を使い
ましょう」とは言いません。

「私は何のために、このお金を貯めて
いるのだろう」と問い直してみてください。

そして、少しずつでいいので、
ご自身のために「お金を使う練習」を
身につけてみてください。

たとえば、壊れかけた家電を買い替えて
便利さをじっくり味わう。

季節に一着新しい服を買って、
旬を纏い、その感覚をじっくり味わう。

旅行の前に、ご主人と一緒に
「いつか行ってみたかった」レストラン
に行ってみて、
二人の時間にお料理を堪能するなどです。

そして、
そのあとに自分に問いかけてください。

「本当に困ったことは起きただろうか。」

「お金を使うと危険だ」という思い込みが
本当に現実なのかを、
小さな体験を通して反証してみてください。

そして、ステップアップした新しい経験
で上書きしてみてください。

家計簿にも新しい項目として、
人生を楽しむためのお金を
加えてみてください。

あらかじめ予算として確保したなら、
楽しむために使わなければいけないお金
というルールで運用します。

節約の記録を、「使ってよかったこと」
や「得られた幸せ」の記録にしてください。

旅行で見た景色。
ご主人と笑った時間。

お金は減ったのではなく、
人生の質へと姿を変えたのです。

私たちは呼吸をするとき、
吸うことだけはできません。

吐くから、また吸うことができます。

血液も流れているからこそ
生命を支えます。

お金も同じように
循環するエネルギーです。

サッチさんの喜びのエネルギーも
お金とともに循環することを
覚えておいてください。

人生の終わりに残すべきは
通帳の残高ではなく、素敵な思い出であり、
それこそが本当の財産ではないでしょうか。

どうかこれからは、お金に
人生を豊かにするためのパートナー
としても働いてもらってください。

ー川畑のぶこ

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ツナ缶さん(14歳・女子・学生)
のご相談にお答えします。

【Q】はじめまして。
現在、中学2年生で、
美術高校を目指しています。

私の悩みは、勉強のモチベーション
を保てないことです。

本当はもっと勉強しなきゃと
思っているのに、ゲームをしたり、
違うことを考えたりしてしまい、
なかなか机に向かえません。

やっと勉強を始めても
すぐに集中力が切れてしまいます。

クラスには勉強ができる子が多く、
周りと比べてしまうと
気持ちが沈んでしまいます。

テスト結果が返ってきた時、
点数の良い子たちが
楽しそうに話しているのを見ると、

「私は点数が低いから、その輪には
入れない」と思ってしまいます。

私は普段から
「どうせ自分はできない」
「私はバカだから」
と思ってしまうことが多く、

その気持ちになると
勉強もやる気がなくなってしまいます。

本当は行きたい美術高校があるので、
このままではいけないと思っています。
だから、自分を変えたいです。

周りと比べず、自分を信じて
勉強に集中できるようになるには、
どうしたら良いでしょうか。

答えていただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。

【A】ツナ缶さん、
まず私がお伝えしたいのは、

14歳で「美術高校に行きたい」という
夢がはっきり決まっていること、
本当に素敵だなということです。

夢があるからこそ、
「もっと頑張らなきゃ」と焦ってしまうし、
周りのできる人と比べて
落ち込んでしまうのですよね。

でも、人は誰でも比較をするものです。

比較すること自体が悪いのではなく、
その比較が自分を苦しめるものに
なってしまうと、
勉強への意欲まで奪われてしまいます。

ツナ缶さんにぜひ考えてみてほしいのは、
「今比べている相手は、本当に
比べる必要のある相手なのかな?」
ということです。

大切なのは、
クラスで一番になることではなく、
自分が目指している美術高校に合格する
ために、今どんな力を身につければ
いいのかを知ること。

その目標が見えてくると、比べる相手も、
頑張る方向も自然と変わってきます。

また、ゲームや好きなことを
「ダメなもの」と我慢するのではなく、
勉強するためのエネルギーチャージとして
上手に取り入れる方法もあります。

動画では、比較に振り回されずに
勉強へ向かう考え方や、
集中力を高めるための具体的な工夫について、
もう少し詳しくお話ししています。

続きはこちらからどうぞ。

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【Q】川畑先生、こんにちは。

ためになるメルマガを、
いつもありがとうございます。

自分の性格について相談させてください。

少し前に
ぎっくり腰になったことをきっかけに、

「人に頼ることができない私は、
人を信頼できない人なのかもしれない」
と考えるようになりました。

痛みで思うように動けない中でも、
「これくらいならできる」と家事を続け、
仕事も休まずに行っていました。

大学3年生の一人娘がおり、
授業のない日は家にいることも多いので、
家事や買い物などを頼むこともできたはず
なのに、気づけばいつも通り
全部一人でやっていました。

そして、そんな私を見て、娘からは
「お母さん、なんでも一人でやりすぎだよ。
もっと頼ればいいのに」と言われました。

その時は、「そんなことないよ」と
笑って返しましたが、その言葉が
なぜかずっと心に残っています。

今思い返すと、もしかしたら娘は、
そんな時くらい自分に頼って欲しかった
のかも、頼ってもらえないことを
寂しく感じたのかも、
という気もしてきました。

振り返ると、
私は昔から人に頼ることが苦手でした。

仕事でも、家のことでも、
「自分でやった方が早い」と思ってしまい、
つい何でも引き受けてしまいます。

夫はまだ働いており、
娘と3人暮らしですが、家事も
「頼むくらいなら自分でやった方が気が楽」
と思い、結局ほとんど私がやっています。

また、同じ町内で一人暮らしをしている母も
高齢になり、通院の付き添いや買い物なども、
できる限り私が動いています。

職場でも、「悪いから」「忙しそうだから」
と思うと、人にお願いすることができません。

その代わり、自分が少し無理をすればいい、
とこれまでずっと考えてきました。

でも最近、その“少しの無理”が積み重なって
きているのか、疲れが抜けづらく、
休日は何もする気が起きず、
一日寝て終わってしまうこともあります。

夫からも、
「そんなに一人で抱え込まないで、
もっと人に頼ればいいのに」と言われます。

頭ではその通りだと思います。
でも、人にお願いすることに
強い抵抗があります。

迷惑をかけるくらいなら、
自分が頑張ればいい。

そんな考えが、いつの間にか
当たり前になっていました。

一方で、「どうして私ばかりこんなに
頑張っているんだろう」と感じることもあり、
そんな自分にも嫌気が差します。

頼れないのは、
責任感が強いからなのでしょうか。

それとも、人に迷惑をかけてはいけないと
いう思い込みが強すぎるのでしょうか。

はたまた、
人を信頼していないのでしょうか。

50代も半ばになり、
このままでは心も体もこれまでのようには
続かない気がしています。

私はこれから、自分の性格と、周囲の人と、
どんなふうに関わっていけば
よいのでしょうか。

【サリー・50代・会社員】

【A】サリーさん、
いつもメルマガをお読みくださり、
ありがとうございます。

ぎっくり腰をきっかけに、
ご自身の生き方を見つめ直されたのですね。

私たちは体に不調が起きると、
「早く治さなければ」と考えがちですが、

ときに身体は、頭では気づかなかった
人生の大切な課題を
教えてくれることがあります。

私の師であるサイモントン博士は、
病気には痛みや苦しみのみならず、
恩恵といえる側面が必ずあると説きます。

もちろん、病気になってよかった
という意味ではありません。

病気が、無意識のうちに、
そしてときに否定的なかたちで、

それまで満たされてこなかった
大切なニーズを満たそうとする
はたらきがある、という見方です。

サリーさんの場合、ぎっくり腰は
「助けてもらう」「休む」「支えられる」
「人とのつながりを受け取る」という、

これまで後回しにしてきた
大切な真のニーズに
気づかせてくれたのかもしれません。

サリーさんご自身の問いに、
「私はなぜ人に頼れないのだろう」
というものがありますが、

その理由として、私たちは
「頼る」ことを「脆弱さ」や「未熟さ」
と受け止めてしまいがち
ということがあると思います。

サリーさんのように、責任感が強く、
人への配慮ができる人ほど、
この悩みを抱えやすいものです。

そして、
「自分でやった方が早い」
「迷惑をかけるくらいなら私がやればいい」
「忙しそうだから頼むべきでない」

などと、家庭でも職場でも、
そしてお母様のことも、
ご自身が中心となって
支えてこられたのではないでしょうか。

サリーさんのそのような姿勢に
助けられてきた人はたくさんいるはずですし、
そのような献身的な生き方を
否定する必要はないでしょう。

ただ、身体はアタマよりも正直で、
サリーさんもお気づきのように、

その優しさが長年積み重なるうちに、
ご自身の心と体が少しずつ疲弊してきた
可能性は否めません。

今回、身体が
「もうそろそろ荷物を下ろしてもいいよ」
と思いやりあるメッセージを携えて
やってきたように感じます。

「頼ること」は決して
「迷惑をかけること」ではありません。

ここで少し、
立場を入れ替えて考えてみてください。

もし、サリーさんにとって大切なご家族や
ご友人が、腰を痛めて思うように動けなく
なっていたら、サリーさんはどうされますか。

「代わりに買い物に行こうか?」
「何かできることある?」
「今日はゆっくり休んで」

きっと、自然にそんな思いやりある言葉を
かけるのではないでしょうか。

ところがその相手が、
「ありがとう。でも自分でやった方が早いし
迷惑をかけたくないので結構です」と言って、

痛みをこらえながら、
必死に何でも一人でやろうとしていたら、
サリーさんはどんな気持ちになるでしょう。

少し虚しい気持ちや、寂しく悲しい感情が
湧いてくるのではないでしょうか。

私たちにはみな
「相互扶助の精神」が宿っています。

困っている人がいれば「力になりたい」
「役に立ちたい」という気持ちは、
多くの人が自然に持ち備えているものです。

心理学でも、人は
「誰かの役に立てている」
「必要とされている」と感じることで、
幸福感や生きがいが高まることが
わかっています。

アドラー心理学では、
それを「共同体への貢献感」として
人の幸福の大切な要素と考えていますし、

近年の自己決定理論でも、
「誰かの役に立てた」という有能感や
人とのつながりを感じることが、
心の健康につながることが示されています。

つまり、「頼る」ことは一方的に迷惑を
かけることではないということです。

それどころか、相手に
「役に立てる喜び」や「貢献する機会」
を贈る、大切な行為でもあるのです。

娘さんが
「お母さん、もっと頼ればいいのに」
とおっしゃったのも、
「私もお母さんの力になりたい」という
気持ちが込められていたのかもしれません。

「頼られたい」「大切な人の役に立ちたい」
と願う人は、私たちが思っている以上に
多いものです。

そして、もう一つ大切な視点として、
人は、頼られたり期待されたりすることで
成長することがあります。

娘さんは、お母さんを手伝うことで
生活力が育ち、ご主人も、家庭を支える
実感を持つことができることと思います。

職場で、仕事を任されることで経験を積み、
自信を深めていくのと一緒ですね。

全部自分で抱え込むことは、一見すると
周囲への思いやりのように見えますが、

ときには相手が成長する機会や、
誰かの役に立つ喜びまで奪い取って
しまうことにもなりかねません。

これまでの人に頼らないサリーさんの
自立心あふれる信念は、
当時のご自身を守るためには
必要な知恵だったことと思います。

でもいま、その知恵の旬は過ぎて、
新たな価値観に入れ替える時期が
訪れたのかもしれません。

価値観の断捨離ですね。

もちろん、何でも人任せにしましょう
という話ではありません。

ほんの小さなことから…たとえば、

「牛乳だけお願い」
「洗濯物を取り込んでくれる?」
「今日は食器洗いをお願いできる?」

のような、小さな依頼をすることから
第一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。

そして、頼んだ後は100点を求めず、
「ありがとう」で終えてみてください。

頼ることが苦手な人ほど、
「やっぱり私がやった方が早かった」
と採点を始めてしまいがちです。

でも、人はそれぞれやり方が違います。

80点でもいいし、ときには60点でもいい。

そんな柔軟さもまた、
「人を信頼する」うえで
大事な学びのプロセスです。

病気は、そんなこだわりを捨てて
柔軟さを得るために、私たちの人生がかける
「強制終了ボタン」のようなもの
かもしれません。

人生は、
「いかに一人で頑張り続けられるか?」
の競争ではありません。

支える日があれば、支えられる日もある。

サリーさんはこれまで
たくさんの人を支えてこられましたので、

これからの人生では
「支える力」と同じくらい、
「支えられる力」も育ててみてください。

その循環の中で、人はつながりを感じ、
生かされ、生きる意味を育んでいくのだと
思います。

サリーさんがこれまで誰かを助けることに
喜びを感じてきたように、今度は周囲が、
サリーさんを助ける喜びを味わわせて
あげてください。

それもまた、相手への信頼であり、
思いやりなのです。

ー川畑のぶこ

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