自分の性格・思考

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【Q】川畑先生、こんにちは。

ためになるメルマガを、
いつもありがとうございます。

自分の性格について相談させてください。

少し前に
ぎっくり腰になったことをきっかけに、

「人に頼ることができない私は、
人を信頼できない人なのかもしれない」
と考えるようになりました。

痛みで思うように動けない中でも、
「これくらいならできる」と家事を続け、
仕事も休まずに行っていました。

大学3年生の一人娘がおり、
授業のない日は家にいることも多いので、
家事や買い物などを頼むこともできたはず
なのに、気づけばいつも通り
全部一人でやっていました。

そして、そんな私を見て、娘からは
「お母さん、なんでも一人でやりすぎだよ。
もっと頼ればいいのに」と言われました。

その時は、「そんなことないよ」と
笑って返しましたが、その言葉が
なぜかずっと心に残っています。

今思い返すと、もしかしたら娘は、
そんな時くらい自分に頼って欲しかった
のかも、頼ってもらえないことを
寂しく感じたのかも、
という気もしてきました。

振り返ると、
私は昔から人に頼ることが苦手でした。

仕事でも、家のことでも、
「自分でやった方が早い」と思ってしまい、
つい何でも引き受けてしまいます。

夫はまだ働いており、
娘と3人暮らしですが、家事も
「頼むくらいなら自分でやった方が気が楽」
と思い、結局ほとんど私がやっています。

また、同じ町内で一人暮らしをしている母も
高齢になり、通院の付き添いや買い物なども、
できる限り私が動いています。

職場でも、「悪いから」「忙しそうだから」
と思うと、人にお願いすることができません。

その代わり、自分が少し無理をすればいい、
とこれまでずっと考えてきました。

でも最近、その“少しの無理”が積み重なって
きているのか、疲れが抜けづらく、
休日は何もする気が起きず、
一日寝て終わってしまうこともあります。

夫からも、
「そんなに一人で抱え込まないで、
もっと人に頼ればいいのに」と言われます。

頭ではその通りだと思います。
でも、人にお願いすることに
強い抵抗があります。

迷惑をかけるくらいなら、
自分が頑張ればいい。

そんな考えが、いつの間にか
当たり前になっていました。

一方で、「どうして私ばかりこんなに
頑張っているんだろう」と感じることもあり、
そんな自分にも嫌気が差します。

頼れないのは、
責任感が強いからなのでしょうか。

それとも、人に迷惑をかけてはいけないと
いう思い込みが強すぎるのでしょうか。

はたまた、
人を信頼していないのでしょうか。

50代も半ばになり、
このままでは心も体もこれまでのようには
続かない気がしています。

私はこれから、自分の性格と、周囲の人と、
どんなふうに関わっていけば
よいのでしょうか。

【サリー・50代・会社員】

【A】サリーさん、
いつもメルマガをお読みくださり、
ありがとうございます。

ぎっくり腰をきっかけに、
ご自身の生き方を見つめ直されたのですね。

私たちは体に不調が起きると、
「早く治さなければ」と考えがちですが、

ときに身体は、頭では気づかなかった
人生の大切な課題を
教えてくれることがあります。

私の師であるサイモントン博士は、
病気には痛みや苦しみのみならず、
恩恵といえる側面が必ずあると説きます。

もちろん、病気になってよかった
という意味ではありません。

病気が、無意識のうちに、
そしてときに否定的なかたちで、

それまで満たされてこなかった
大切なニーズを満たそうとする
はたらきがある、という見方です。

サリーさんの場合、ぎっくり腰は
「助けてもらう」「休む」「支えられる」
「人とのつながりを受け取る」という、

これまで後回しにしてきた
大切な真のニーズに
気づかせてくれたのかもしれません。

サリーさんご自身の問いに、
「私はなぜ人に頼れないのだろう」
というものがありますが、

その理由として、私たちは
「頼る」ことを「脆弱さ」や「未熟さ」
と受け止めてしまいがち
ということがあると思います。

サリーさんのように、責任感が強く、
人への配慮ができる人ほど、
この悩みを抱えやすいものです。

そして、
「自分でやった方が早い」
「迷惑をかけるくらいなら私がやればいい」
「忙しそうだから頼むべきでない」

などと、家庭でも職場でも、
そしてお母様のことも、
ご自身が中心となって
支えてこられたのではないでしょうか。

サリーさんのそのような姿勢に
助けられてきた人はたくさんいるはずですし、
そのような献身的な生き方を
否定する必要はないでしょう。

ただ、身体はアタマよりも正直で、
サリーさんもお気づきのように、

その優しさが長年積み重なるうちに、
ご自身の心と体が少しずつ疲弊してきた
可能性は否めません。

今回、身体が
「もうそろそろ荷物を下ろしてもいいよ」
と思いやりあるメッセージを携えて
やってきたように感じます。

「頼ること」は決して
「迷惑をかけること」ではありません。

ここで少し、
立場を入れ替えて考えてみてください。

もし、サリーさんにとって大切なご家族や
ご友人が、腰を痛めて思うように動けなく
なっていたら、サリーさんはどうされますか。

「代わりに買い物に行こうか?」
「何かできることある?」
「今日はゆっくり休んで」

きっと、自然にそんな思いやりある言葉を
かけるのではないでしょうか。

ところがその相手が、
「ありがとう。でも自分でやった方が早いし
迷惑をかけたくないので結構です」と言って、

痛みをこらえながら、
必死に何でも一人でやろうとしていたら、
サリーさんはどんな気持ちになるでしょう。

少し虚しい気持ちや、寂しく悲しい感情が
湧いてくるのではないでしょうか。

私たちにはみな
「相互扶助の精神」が宿っています。

困っている人がいれば「力になりたい」
「役に立ちたい」という気持ちは、
多くの人が自然に持ち備えているものです。

心理学でも、人は
「誰かの役に立てている」
「必要とされている」と感じることで、
幸福感や生きがいが高まることが
わかっています。

アドラー心理学では、
それを「共同体への貢献感」として
人の幸福の大切な要素と考えていますし、

近年の自己決定理論でも、
「誰かの役に立てた」という有能感や
人とのつながりを感じることが、
心の健康につながることが示されています。

つまり、「頼る」ことは一方的に迷惑を
かけることではないということです。

それどころか、相手に
「役に立てる喜び」や「貢献する機会」
を贈る、大切な行為でもあるのです。

娘さんが
「お母さん、もっと頼ればいいのに」
とおっしゃったのも、
「私もお母さんの力になりたい」という
気持ちが込められていたのかもしれません。

「頼られたい」「大切な人の役に立ちたい」
と願う人は、私たちが思っている以上に
多いものです。

そして、もう一つ大切な視点として、
人は、頼られたり期待されたりすることで
成長することがあります。

娘さんは、お母さんを手伝うことで
生活力が育ち、ご主人も、家庭を支える
実感を持つことができることと思います。

職場で、仕事を任されることで経験を積み、
自信を深めていくのと一緒ですね。

全部自分で抱え込むことは、一見すると
周囲への思いやりのように見えますが、

ときには相手が成長する機会や、
誰かの役に立つ喜びまで奪い取って
しまうことにもなりかねません。

これまでの人に頼らないサリーさんの
自立心あふれる信念は、
当時のご自身を守るためには
必要な知恵だったことと思います。

でもいま、その知恵の旬は過ぎて、
新たな価値観に入れ替える時期が
訪れたのかもしれません。

価値観の断捨離ですね。

もちろん、何でも人任せにしましょう
という話ではありません。

ほんの小さなことから…たとえば、

「牛乳だけお願い」
「洗濯物を取り込んでくれる?」
「今日は食器洗いをお願いできる?」

のような、小さな依頼をすることから
第一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。

そして、頼んだ後は100点を求めず、
「ありがとう」で終えてみてください。

頼ることが苦手な人ほど、
「やっぱり私がやった方が早かった」
と採点を始めてしまいがちです。

でも、人はそれぞれやり方が違います。

80点でもいいし、ときには60点でもいい。

そんな柔軟さもまた、
「人を信頼する」うえで
大事な学びのプロセスです。

病気は、そんなこだわりを捨てて
柔軟さを得るために、私たちの人生がかける
「強制終了ボタン」のようなもの
かもしれません。

人生は、
「いかに一人で頑張り続けられるか?」
の競争ではありません。

支える日があれば、支えられる日もある。

サリーさんはこれまで
たくさんの人を支えてこられましたので、

これからの人生では
「支える力」と同じくらい、
「支えられる力」も育ててみてください。

その循環の中で、人はつながりを感じ、
生かされ、生きる意味を育んでいくのだと
思います。

サリーさんがこれまで誰かを助けることに
喜びを感じてきたように、今度は周囲が、
サリーさんを助ける喜びを味わわせて
あげてください。

それもまた、相手への信頼であり、
思いやりなのです。

ー川畑のぶこ

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ミドさん(50代・女性・会社員)
のご相談にお答えします。

【Q】川畑先生、こんにちは。
いつもYouTubeで
学ばせていただいています。

自分でもうまく説明できない不安
について相談させてください。

私は56歳の会社員です。
同い年の夫も会社員で、子どもは
社会人になり独立しています。

ありがたいことに、
今すぐ生活に困るような状況では
ありません。

住宅ローンもあと数年で終わりますし、
夫婦とも大きな病気もなく働けています。

それなのに、ここ数年、
老後のことを考えると
不安でたまらなくなります。

年金は足りるのだろうか、
病気になったらどうしよう、
親の介護が長引いたらどうなるのだろう、
一人になったら
どう生きていけばいいのだろう。

そんなことばかり考えてしまいます。

特に夜になると不安が強くなり、
スマホで老後資金や介護、
年金の記事を読み漁ったり
動画をいくつも見たりしてしまいます。

そして余計に不安になるという
悪循環です。

夫は「そんな先のことを心配しても
仕方ない」と言いますが、
私はそう簡単には割り切れません。

客観的に見れば、もっと大変な状況
の方もたくさんいると思います。
それでも、不安が消えないのです。

子どもの頃から心配性だったのは
事実です。若い頃、それで
苦悩したこともあります。

最近では、自分が本当に怖いのは
お金なのか、老いることなのか、
孤独なのか、
よく分からなくなってきました。

先のことばかり考えてしまい、
今を楽しめていない自分にも
焦りを感じます。

これから先の人生を
もう少し安心して生きるためには、
どんな考え方をしたらよいのでしょうか。

【A】ミドさん、
ご相談ありがとうございます。

住宅ローンもあと数年で完済予定。
ご夫婦ともに大きな病気もなく、
お子さんも独立されている。

客観的に見れば、老後への備え
は決して悪くない状況なのに、

「年金は足りるだろうか」
「介護が必要になったらどうしよう」
「ひとりになったら
 どう生きていけばいいのだろう」

そんな不安が次々と
湧いてきてしまうとのこと。

夜になるとスマホで老後資金や介護、
年金について調べ続け、かえって
不安が大きくなってしまう――。

同世代の方の中にも、
共感される方は
多いのではないでしょうか。

実は、不安そのものは決して
悪いものではありません。

私たちが生きていくために必要な
「備える力」でもあります。

ただ、その不安が暴走してしまうと、
まだ起きていない未来ばかりを心配し、
今この瞬間の安心や喜びを
見失ってしまうことがあります。

今回の動画では、

「備え」と「心配」の違い、
そして不確実な未来とどう付き合って
いけばよいのかについてお話ししています。

人生から不安をなくすことはできません。

けれど、不安を抱えながらも
安心して生きる力は
育てることができます。

老後への漠然とした不安に
心が占領されてしまう方は、
ぜひ参考になさってください。
 
 

続きはビデオでお話ししています……

ーーー

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【Q】はじめまして。
いつも興味深く拝読しています。

19歳の長男と中学3年生の次男を
育てています。

私は昔から不器用で、要領の悪い人間です。

優秀な両親や兄弟に囲まれて育ち、
「自分は人の何倍も努力しないと
欲しいものは手に入らない」と
早くから感じていました。

そのため、人の何倍も努力してきました。
そして独身時代は、自分の願う幸せを
手に入れることができました。

結婚後は、夫婦関係も子育ても
思い描いていた通りではありませんでしたが、
その都度「今までのように精一杯やれば、
結果がついてくる」と自分を鼓舞し、
19年間頑張ってきました。

夫は自分が一番大切。
稼ぐこと以外には関心がなく、
子育て家事に非協力的です。

子どもたちは幼い頃には発達特性も
ありましたが、少しでも良い環境をと思い、
小学校から私立に通わせ、
お金も時間も全部子どもに使ってきました。

ところが、勉強はできると思っていた長男
は大学受験で全落ちし浪人。

次男に至っては、幼い頃から運動、勉強、
何をやらせてもできない上、
すぐ諦め努力すらしません。

友人にいじめられ、バカにされたり、
酷い成績表、提出物も出さない、
部活の試合での活躍しない姿と、
見たくないものばかりを目にする日々です。

長男の受験失敗。一向に変わらず、
ますます酷くなる次男の姿。

常に、周りの順調そうな人が
羨ましいと思ってしまう自分、、、。

何もしない主人からは、
私が与えすぎた結果だと言われ、
私の19年間が改めて否定され
大きなバツをもらったように感じています。

子ども達のためを思って、
頑張っても頑張っても上手くいかず、
どうすればよいのか分かりません。

頑張りすぎる自分が肩の力を抜いて
子育てしたら良かったのか。

周りの方に迷惑をかけず、
必要な時に努力をし、
人並みに物事ができる子に育って欲しい
という、子ども達への期待を
断捨離すればいいのでしょうか。

アドバイスをいただければ幸いです。

【おぎちゃん・40代・パート主婦】

【A】おぎちゃんさん、こんにちは。
ご相談ありがとうございます。

19年間、ご自身の時間もエネルギーも
お金も、できる限りのものを
家族に注いでこられたのですね。

それにもかかわらず、
長男さんの受験のつまずき、
次男さんへの心配、
ご主人からの
「与えすぎた結果だ」という言葉。

まるでこれまでの努力のすべてに
「不合格」の判を押されたような気持ち
になってしまうのも無理はありません。

まず、おぎちゃんさんの19年間は
決して失敗ではありませんし、
誰もその歳月を否定することなど
できません。

文面から伝わってくるのは、
頑張りが足りなかった母親の姿ではなく、
精一杯愛し、精一杯支えてきた母親の姿
でしかありません。

まずはどうか、そのことを
ご自身でも認めてあげてくださいね。

おぎちゃんさんは幼い頃から、
「私は人の何倍も努力しないと欲しい
ものは手に入らない」という信念を
持って生きてこられたのですね。

そして実際に、その信念は
おぎちゃんさんの人生の多くの面で
機能していたことと思います。

努力して結果を出し、
努力して道を切り開き、
努力して幸せを手に入れてきた。

だから困難に直面するたびに、
「もっと頑張れば何とかなる」
と自分を奮い立たせてきた。

これはおぎちゃんさんの
大きな強みだと思います。

ところが、
人生には努力で変えられるものと、
変えられないものがあります。

自分の行動や選択は変えられます。

けれど、夫の性格、子どもの気質、
子どものやる気、受験の結果、他人の評価、
これらはおぎちゃんさんや他人が
完全にはコントロールできないものです。

子育てや夫婦関係は、
自分以外の人間と向き合う営みです。

そこでは、独身時代に成功をもたらして
くれた「努力すれば結果が出る」という
法則が、そのまま通用するとは限りません。

おぎちゃんさんが苦しんでいるのは、
子どもたちそのものではなく、

「こう育ってほしかった」という
おぎちゃんさんの抱く理想とのギャップ
でしょう。

本当は、勉強を頑張り、
友人とうまく付き合い、努力を惜しまず、
部活でも活躍し、人並みにきちんと
できる子に育ってほしかった。

もちろん、それは親として自然な願いです。

ただ、現実の子どもたちは
その理想とは違う姿を見せています。

すると私たちは、
子どもの存在そのものではなく、
理想と現実の落差に苦しみ始めます。

では、次男さんは
本当に努力していないのでしょうか。

次男さんは、発達特性があり、
勉強も苦手で、運動も苦手で、
友人関係でも傷つき、

幼い頃から成功体験より失敗体験のほう
が多かったのかもしれません。

そのような子が、
「努力しない子」に見えることがあります。

けれども実際には、
彼はそれらに耐えてきています。

また、「努力してもどうせうまくいかない」
という感覚を学んでしまっている可能性
もあります。

心理学ではこれを
「学習性無力感」と呼びます。

決して、怠けているのではなく、
挑戦する前から傷つくことを
恐れている状態です。

もしそうであれば、
必要なのは叱咤激励ではなく、
次男さんの「できたこと」に
光を当てる関わりかもしれません。

また、実はおぎちゃんさん自身もいま、
次男さんと同じように無気力な状態に
近づいているのかもしれません。

これだけ頑張った。
できることは全部やった。
お金も時間もかけた。
それなのに結果が出ない。

すると、「私のやってきたことは
間違いだったのではないか」、
「何をやっても無駄なのだ」という
気持ちになります。

でも、本当にそうでしょうか。

私たちは知らず知らずのうちに、
子どもを自分の作品のように
捉えてしまうことがあります。

良い学校に入った。
成績が良い。
活躍している。

そうすると、
「子育て成功!」と感じる。

反対にそうでなければ、
「失敗」と感じてしまう。

けれども、
子育ては作品づくりではありません。

親が作るものではなく、
子ども自身が生きる人生です。

親の役割は、理想通りの人間に仕上げる
ことではなく、その子がその子らしく
育つための土壌になることです。

そしておぎちゃんさんは、
その土壌づくりに十分すぎるほど
力を尽くしてこられました。

おぎちゃんさんのご相談の最後に、
「期待を断捨離すればいいのでしょうか」
とありましたね。

私は、そのような姿勢は
とても大切だと思います。

ただし、期待を断捨離するというのは、
子どもを諦めることではありません。

「あきらめる」とは本来、
「明らかに見極める」という意味です。

つまり、
「この子はこういう特性を持っている子
 なんだな」
「今はこういう状態なんだな」と、

理想のフィルターを外して
ありのままを受け入れることです。

もちろん、無理に親の希望を手放す
必要はありません。

ただ、「幸せになるためには
こうでなければならない」という
条件付きの期待は手放してみてください。

良い大学に行くことが幸せとは限りません。

部活で活躍することが幸せとも限りません。

人より遅く咲く花もあります。

学校では評価されなくても、
社会に出てから才能を発揮する人もいます。

人生は案外、親の思い描く
シナリオ通りには進まないものです。

今、おぎちゃんさんに必要なのは、
子どもたちの人生と自分の人生との間に
課題の分離をして、
健全な境界線を引くことかもしれません。

長男さんの浪人も、次男さんの提出物も、
最終的には彼ら自身の課題です。

もちろん親として支えることはできます。

でも、代わりに生きることはできません。

彼らが失敗から学び、痛みを経験し、
自分で立ち上がる力を育む機会を
奪わないことも大切です。

そして何より、これまで
家族に向けていた膨大なエネルギーを、
少しご自身に戻してあげてください。

おぎちゃんさんは、
「肩の力を抜いて子育てしたら
良かったのか」とおっしゃいました。

そうではなく、
「これから肩の力を抜けばいい」
のだと思います。

今まで十分頑張ったのですから。

子どもは、お母さんが
いつも心配そうにしている姿より、
お母さん自身が人生を楽しんでいる姿
から多くを学びます。

「私の人生もなかなか悪くないな」

ぜひ、そう思える時間を
増やしてみてください。

今度は、お母さんがご自身の幸せに
チャレンジする番です。

お子さんたちは、おぎちゃんさんが
思うほど失敗作ではありません。

そして、おぎちゃんさんの19年間も
決して失敗ではありません。

これからの課題は、
「どうやったら子どもを変えられるか」
ではなく、
「今のこの子をどれだけ信頼できるか」

そして、
「私自身の人生をどれだけ大切にできるか」
だと思います。

信頼は執着の解毒剤です。

子育ての後半戦は、
子どもを育てる時期であると同時に
親自身がコントロールや執着を手放し、
信頼を学ぶ時期でもあります。

おぎちゃんさんは、もう十分に頑張って
こられましたから、これからは、
「もっと頑張る」よりも「少し力を抜く」
を自分に許してあげてくださいね。

ー川畑のぶこ

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もや美さん(50代・女性・パート)
のご相談にお答えします。

【Q】53歳です。
夫と二人暮らしで、子どもは
社会人として独立しています。

最近、SNSを見るたびに
気持ちが沈んでしまい、
悩んでいます。

同年代の友人や知人が、
旅行に行ったり、
夫婦で仲良く過ごしていたり、
子どもが活躍していたりと、
 
楽しそうな様子を
投稿しているのを見ると、
素直に「いいな」と思う反面、
自分の生活と比べてしまい、
なんとも言えない気持ちになります。

私は別に不幸というわけではなく、
日々それなりに
穏やかに暮らしていると思います。

でも、SNSで他の人の生活を見ると、
「私の人生はこのままでいいのだろうか」
「何か足りないのではないか」
と感じてしまいます。

本当は見なければいいと
分かっているのに、つい開いてしまい、
見たあとに落ち込む、
ということを繰り返しています。

若い頃ならまだしも、
この年齢になっても
他人と比べてしまう自分が情けなく、
そんな自分にさらに落ち込んで
しまうこともあります。

人と比べずに、自分の人生を
大切にしたいと思っているのに、
それがなかなかできません。

時間が空けば手が
自然にスマホに伸び、
SNSを開いてしまう習い性も、

幼稚だなと思う一方で、
それをやめる勇気は
今の私にはありません。

依存まではいっていないと
思いたいですが、
これは依存のレベルでしょうか?
自分軸が、ないのでしょうか?

【A】SNSを見るたびに、
なんとなく気持ちが沈んでしまう。

本当は見なければいいと
分かっているのに、
つい開いてしまって、
見たあとにまた落ち込む……
という、もや美さん。

日々それなりに穏やかに暮らしている。
決して不幸ではない。

でも、同年代の人たちの
楽しそうな投稿を見ると、
「私はこのままでいいのかな」と、
どこか満たされない気持ちに
なってしまうのですね。

そして、そんなふうに
人と比べてしまう自分を、
情けなく感じてしまう…。

これ、実はとても多くの方に
起きていることなんですね。

まずお伝えしたいのは、
これはいわゆる“依存”というよりも、
物事の受け止め方のクセが
影響しているケースが多い、
ということです。

SNSというのは、どうしても
その人の「見せたい一部」が
切り取られた世界です。

そして私たちもまた、無意識に
「いいな」と思う部分ばかりを
拾って見てしまう。

その状態で比べてしまえば、
気持ちが落ちてしまうのは
ある意味自然なことなんです。

なので、大切なのは、
比較をやめようとすることよりも、
「どう見ているか」に気づいていくこと。

そして、自分がすでに持っている
ものにも、少しずつ目を向けて
あげることです。

もし同じように、SNSを見て
気持ちが揺れてしまう方がいらしたら、
今回のお話は
参考にしていただけると思います。

続きはビデオでお話ししています……

ーーー

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Hands,Holding,Hot,Cup,Of,Coffee,Or,Tea,In,Morning

【Q】後悔癖に苦しんでいます。

内容は大小様々ですが、
例えば入手困難な品物が
タッチの差で売り切れた時には、

437日間、寝ても覚めても祈り続け、
数倍の値段ではありましたが、
執念で(!?)手に入れることができました。

それでも、あの時ああしていれば、
苦しまずに済んだ…等の後悔が消えません。

また、人に気を遣い無理をしたことで、
怪我をしたり、病気になったりして、
その後遺症があります。

それは悔やんでも悔やみ切れず、
毎日、自分を責めてしまいます。

思考は現実化する、と聞きますが、
上手く行ったことはスーッと流れ、
失敗と感じることに、必要以上にとらわれる。

だから、そう感じることばかり起こるのでしょうか?

本音を無視した時に強い後悔が出やすいので、
気を付けてはいるのですが、
いろいろ学んでも、なかなか改善しません。

本当に苦しくて、心身共に疲弊するので、
何とかこの癖を手放し楽になりたいのですが、
この沼から抜け出せず、毎日何らかの後悔を
創り出しては苛まれています。

川畑先生、どう考えたら良いのか、
アドバイスをお願い致しますm(_ _)m

【kayon・40代・女性】

【A】胸の内を率直に言葉にしてくださって
ありがとうございます。

読みながら、これはkayonさんの性格の癖
というよりは、心が生き延びるために
身につけた必死の働き=生存戦略なのだな
と感じました。

二度と同じ痛みを繰り返さないために、
脳が必死に検証を続けている状態ですね。

脳の役割は「幸せになること」の前に、
危険を回避し、「生き延びること」を優先します。

kayonさんの脳は、
「もう二度と、あんな苦しみを味わわせたくない」
という一心で、過去を何度も何度も
再生しているのですね。

つまりこれは必ずしも欠点とは言い切れません。
守りの力が過剰に働いてしまっているのだな、
と、まずはご自身の防衛機構を
受け入れてあげてください。

「思考は現実化する」ということに関して、
失敗と感じることに必要以上にとらわれるから、
そう感じることばかり起こるのでしょうか
ということに関しては、少し誤解があるようです。

実際に起きているのは、
現実が悪い方向に引き寄せられているのではなく、
脳のスポットライトが
「失敗に固定されている」という現象です。

たとえば暗い部屋で、
懐中電灯を「後悔」に向け続けていると、
部屋全体が「後悔で満ちている」ように錯覚します。

でも、光を向けていない場所には、
回避できた失敗や、守れたもの、
また、ちゃんと踏みとどまれた瞬間が、
確実に存在しています。

決して、起きている現実が偏っているのではなく、
見えている現実が偏っているのですね。

本音を無視すると後悔が強くなると
kayonさんが気づいていらっしゃる点に関しては、
その理由として、本音を無視した時に、
心の奥では「私は自分自身を裏切った」
という感覚が残ることによると考えられます。

怪我や病気は、後悔の原因ではなく、
結果であることが多いでしょう。

脳は、
「体を壊した=判断が致命的に間違っていた」
と認定し、延々と反省会を終わらせなくするのです。

このような状況から抜け出すにあたって、
まずkayonさんに気をつけていただきたいことは、

後悔をなくそうとしたり、
ポジティブに考えようとしたり、
また、「学んでいるのに改善しない」と
自分を責めることをやめることです。

これらはすべて、後悔癖を
「敵」にしてしまうアプローチです。

代わりにやってみてほしいこととして、
後悔が出たら「止めない」で、
その瞬間、こう言ってみてください。

「あ、今『私を守ろうとする脳』が働いているな」
と。

それ以上は深追いしなくて大丈夫です。
正解を出さず、ラベリングだけで十分です。

そして、問いを
「どうすれば後悔しなかったか?」ではなく、
「あの時の私は、何を守ろうとしていた?」
というふうに変えてみてください。

そして、この問いには、
自分を責める回路ではなく、
理解する回路を起動させます。

「後悔=サイン」と捉え、後悔が強いときは、
「今の私に必要なのは、自責でなく、労わりだ」
ということを思い出してください。

後悔を消そうとする代わりに、
肩や胸に手を当てて
「よくここまで生きてきたね」と声をかけたり、
お気に入りの温かい飲み物を飲むなどして
まずは体へのケアをしてください。

そして、kayonさんの後悔は、
「真剣に生きてきた人」
「自分にも他人にも責任を持とうとしてきた人」
の証しであることを思い出してください。

後悔の沼は力ずくで抜けようとすると、
かえって沈んでしまいます。

まず、力を抜いてひと呼吸。

そして、
「あ、また守ろうとしてくれてるんだね」と
一歩引いて眺めてみます。

すると、自然と足場が見えてくることと思います。

焦らずに、愛ある好奇心をもって
ご自身と向き合ってみてください。

ー川畑のぶこ

       
        
ーーー

 
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ユキさん(50代・女性)のご相談にお答えします。

【Q】私の悩みは、自分らしい時間の
過ごし方がわからないことです。

休日を後悔なく過ごすことに深刻に
なり過ぎて、楽しい計画も楽しめない、
片付け仕事のようになってしまいます。

自分探しに、
かれこれ1年半ほど悶々としています。

これまで夫婦共働きで、自分の時間とか
自分の人生などと考える暇もなく、
仕事に邁進してきました。

子ども達が独立した1年前くらいから、
全く似た環境の、非常に仕事のできる
同僚が、大きな仕事をスマートに片付け
ながら、海外出張も難なくこなしていたり、
プライベートでも海外旅行を楽しむなど、

私がこれまで到底できない、と我慢したり、
夢にも思わなかった楽しみ方を実現している
のを見て、仕事上の劣等感に輪をかけて、
嫉妬のような思いを抱き、苦しんでいます。

私自身、仕事の面では、ここ何年も
私からすると大きな事業を任されて、
かなり頑張ってきましたし、
やりがいもありますが、

年齢的にも自分の身体を休めたり、
趣味も楽しみたい、という意識に
変わってきたところなのです。

しかし、いざ自分を癒そう、楽しもうと
すると、何をすると自分が満足するのか
わからなくなってしまいました。

学生時代は海外留学に憧れ、
語学に力を入れましたが、
いざとなると海外へ出ていく勇気がなく、

また、航空会社の入社試験も
願書を出しながら面接に行かない、
というようなこともありました。

いざとなると弱気になり、願いを諦め、
妥協した人生の中で、子育てや仕事と
いうのは私にとって、そこを見ないで
済む大きな事業だったのです。

そして、そこから少し手が離れたときに、
この同僚が現れました。

彼女は、民間企業の厳しい現場や
海外で働いた経験もあるなど、
自分とは経験値や仕事観のまったく異なる
ところで活躍し、更には、自分の時間を
うまく使って楽しむこともしている、、、

その姿を見ると、良い刺激を通り越して、
私が自分の人生のオーナーシップを
持っていない、そんな感覚に陥るのです。

海外旅行を久しぶりに実現しても、
彼女の足跡を辿っているようで、
惨めで楽しみきれず、

でも数日間の休みができると、
もう2度とチャンスはないかもしれない、
親が倒れないうちに、自分が元気なうちに
海外旅行を、というような、
呪いのような思いが湧いてきます。

また、何もせずにこの休みを過ごしたとき、
後から彼女がまたうまく海外旅行など
大きな楽しみ方をしたことを知ったなら、
私は嫉妬で耐えられない、

そんな思いから、海外旅行のサイトを
見たりしていますが、もう30年も
ひとりで旅をすることなどしていないので、
思いきることも難しいのです。

そうこうしているうちに、その休みに
他から誘いが入り、それに応えると、
自分の信念を曲げた生き方を
またやってしまうようで、
決断できないでいます。

いったい私はどうしたいのか、
それはどうしたらわかるのか?

お金も時間も余裕ができたからこその
贅沢な悩みとわかっていますが、
ひとつひとつの決断が自分の妥協人生を
表現しているようで苦しいのです。

アドバイスをお願いします。

【A】「休日を後悔なく過ごさなきゃ」
と力みすぎて、楽しいはずの計画が
“やるべきタスク”になってしまう——。

ユキさんの悩みは、怠けでも贅沢でもなく、
人生の後半をどう生きたいかに
誠実に向き合っているからこそ出てくる、
大切な問いです。

まずは、ここまで仕事や子育てを
やり切ってきたご自身を、
しっかり労ってあげてください。

お話の中で浮かび上がってくるのは、
同僚の海外旅行などの行動そのものよりも

「こうあるべき」
「こう楽しめていない私はダメなのでは」
という思いに、知らず知らず
縛られてしまっている苦しさです。

人生の前半に思い描いていた理想や
周囲から刷り込まれた価値観が、
今の自分に本当に合っているのか──

そこを見直す時期に
来ているのかもしれません。

本当に満たされる休日は、
派手でなくてもいい。

家でのんびり過ごすこと、
近場で小さな楽しみを味わうこと、
想像の世界で旅をすること、、、

だったりするかもしれません。

人によって「豊かさの形」は違います。

ユキさんがこれまで
「選んでこなかった」ことには、
ちゃんと理由があります。

心の底が同意しないものを、
人は無理に選べないのです。

だから「それでよかった」と
認めてあげることが、
次の一歩につながっていきます。

ぜひ続きはビデオをご覧くださいね……

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ミキさん(40代・女性・会社員)のご相談にお答えします。

【Q】私はもともと気にしいで、
人の顔色がとても気になる性格です。

学生時代は、仲の良い友達はいて
それなりに楽しくやっていましたが、

私の中ではいつも緊張感がありましたし、
他人と気軽な関係を築くのは
とても苦手でした。

新卒で会社員として働き始めてからは
ずっと、職場での人間関係に強いストレス
を感じながらやってきました。

実際に、入社間もない頃に職場で
心ない扱いを受けた経験もあり、それ以来、

「自分はうまく立ち回れていないのでは」
「何かまずいことを言ったのでは」と
考えてしまう癖が抜けません。

職場で誰かが愚痴や悪口を言っていると、
「私のことでは?」と気になってしまいます。

誰かと話した日や、会議などで発言した後も、
「あの返しは失礼だったのでは」
「あの表情は、私に不満があったのでは」と

帰宅してから何度も
頭の中で再生してしまいます。

また、嫌な出来事があると、
何年も前のことまで思い出しては
勝手に落ち込み、
時には涙が出そうになることもあります。

評価されたり褒められたりしても、
「どうせ社交辞令だろう」
「本音では違うことを思っているのでは」
と素直に受け取れません。

周囲の誰かが評価されると、
自分はダメな人間なのだと比べてしまい、
楽しさよりも不安のほうが先に立ちます。

数年前に「HSP」という言葉を知り、
自分は当てはまるのかもしれないと
思いました。

実際に否定されたわけでもないのに傷つき、
悲観的に受け取ってしまう、
そんな自分に疲れてしまっています。

今48歳ですが、いい歳をして人と気軽に、
楽しく話せないことがとてもつらいです。

「気にしなければいい」と言われますが、
その方法が分かりません。

無理に前向きな言葉を口にしたり、
考えないようにしたりするのも
苦しくなってしまいます。

この考え方の癖と、
どう向き合えばいいのでしょうか。

少しずつでも楽に人と関われるようになる
ための、心の整え方やトレーニングが
あれば教えていただきたいです。

【A】人の顔色が気になって、会話の後も
「あれ失礼だった?」「嫌われた?」と
頭の中で反省会が止まらない…。

ミキさんのしんどさは、
性格が弱いからではなく、むしろ人と
真剣に向き合ってきた証でもあります。

ただ、その力が“過剰警戒モード”になると
心が摩耗してしまいます。

そこで私からは、
「気にしない努力」「前向きに変える努力」
をいったんやめてみることを提案します。

代わりに、ぐるぐるが始まったら、
「あ、また解釈が出てきたな」
とラベリングして、やさしく見守る。

否定しない。責めない。
これだけでも警戒が少しほどけます。

そして、会話は
“話上手”だけが正解ではありません。

聴いて受け止める力は
立派なコミュニケーションで、
ミキさんの強みにもなり得ます。

相手の感情の責任まで背負わず、
「私ができるのは私の心を整えること」
と線引きを。

反すうが始まったら10分だけ考える、
と時間で区切るのも有効です。

ぜひ続きはビデオをご覧くださいね……

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1229(大)

あんこさん(60代・女性・専業主婦・兵庫県)
のご相談にお答えします。

【Q】60代女性です。
娘が2人おり、それぞれに幼稚園から
小学校中学年の子ども(私にとっての孫)
が2人ずついます。

春休み、夏休み、ゴールデンウィーク、
年末年始など、長期休みのたびに
帰省してくれるのですが…

正直に言うと、私はこれがとても負担で、
心が重くなってしまいます。

夫はそれなりに楽しそうにしていますが、
私はどうしてもペースを乱されるのが苦手で、
来客モードが続くと
心身ともに疲れ果ててしまいます。

普段は静かに暮らしているのに、
孫4人のパワーで家は一気に
にぎやかを通り越して混乱状態になります。

キッチンも洗濯も休みなく動き続け、
私だけがバタバタしているような気分に
なります。

滞在中の炊事や洗濯は娘たちに任せればいい、
と夫は言いますが、それはそれで
家の中が乱れたり物の配置が変わったりして、
私にとっては地味にストレスです。

さらに、お年玉、お小遣い、
子どもの習い事の話など、
帰省のたびにお金の話題が増えると、

直接言われているわけではないのに、
援助を期待されているように感じてしまい、
心がざわつきます。

その罪悪感や負担感のほうが
先に立ってしまう自分にも嫌気がさします。

もちろん、孫たちは可愛いですし、
娘たちを責めたいわけではありません。

でも、私は自分の生活リズムを大切にしたい
タイプで、正直、今の頻度での
長期滞在はしんどいのです。

頭では「こんなに来てくれるのも今だけ。
子どもが大きくなれば来なくなる」
と十分わかっています。

それでも、「今だけ我慢」がどうしても
できず、そのたびに自己嫌悪に陥ります。

帰省を断ると
「冷たい」「孫が可愛くないの?」と
誤解され話がこじれてしまうこともあり、
どう距離を取れば良いのか悩んでいます。

娘たちにどう伝えれば、関係を傷つけずに、
自分のペースも守れるのでしょうか。

【A】年末年始や長期休み、
家族が集まるのは嬉しい。

でも同時に「またこの時期か…」と
心が重くなる——あんこさんは今、
そこにいるんだと思います。

孫が4人来て家が一気に混乱状態になり、
キッチンも洗濯も止まらない。

しんどいと感じるのは、
ごく自然なことです。

年を重ねればキャパは変わる。
昔は平気だったことが、今は辛くなる。
それは弱さではありません。

まず「しんどい自分」に
許可を出してあげてください。

あんこさんは、静かな時間や
自分のペースがあって初めて整うタイプ。

人と一緒にいることで元気になる人も
いれば、離れて充電する人もいる。

ここには多様性があって、
あんこさんのニーズは大切にしていいんです。

家族でも距離が近すぎるとぶつかるから、
境界線が必要になります。

「孫は可愛い、娘も大切、
 会えるのは嬉しい」これはちゃんと伝える。

そのうえで

「最近は体力が落ちて、にぎやかな日が
 続くと後でぐったりする」

「来ると聞くと構えてしまう自分がいる」

——これは“私の問題として”伝えていく。

来る・来ないの二択にしなくていい。
頻度や期間を調整する、実家ではなく
近くのホテルに宿泊してもらうなど、
無理のない関わり方を選んでいいんです。

誤解されにくい伝え方や、
関係を守りながら自分のペースも守る
ヒントもお伝えしますね。

ぜひ続きはビデオをご覧くださいね……

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名称未設定のデザイン

【Q】若い頃から手芸や裁縫が好きで、
時間があるとよく何かを作っていました。

結婚や子育てで忙しくなってからは
まとまった時間がなかなか取れず、
「いつか時間ができたらまたやろう」
と思いながら、今に至ります。

今は子育てもほぼ終わり、
以前より時間のやりくりはしやすく
なったはずなのに、
仕事から帰ると疲れてしまって
ついダラダラ過ごしてしまいます。

実際にはほとんど何も作っていません。

それなのに、
手芸店に行くと不思議なもので、
「これも作れそう」「今度こそやるかも」
と気持ちばかりが盛り上がり、
布や材料をあれこれ買い込んでしまいます。

ところが家に帰ると、
そのやる気はどこへやら。

材料は押し入れや納戸にしまわれ、
数日もすると買ったことすら
忘れてしまいます。

そんな材料のあれこれを
たまに引っ張り出して眺めて、
完成した姿を妄想する時間は楽しいのですが、
ミシンを出して本格的に作り始める
ところまでは至りません。

使わない材料が増えていくことに、
強い罪悪感があるわけではありませんが、
押し入れや納戸を開けるたびに
「また増えてるな」と苦笑いしてしまいます。

先日も、家族から「使わないのに、
また買ってきたの?」と指摘され、
図星で返す言葉がありませんでした(汗)。

作る時間がないのは分かってるんですけどね、
それでも買う瞬間が楽しくて、
つい繰り返してしまいます。

このまま増やし続けるのも違う気がするし、
かといって今すぐに、
無理に捨てるのも抵抗があります。

とりあえずもう買わないようにする? 
徐々に減らす?

自分で考えるだけでは
何も解決しなさそうで、、、

川畑さんなら何かアドバイスをくださる
のではないかと思い、
こちらに送らせてもらいました。

意志が弱いだけでしょうかね。
しょうもない相談ですみません。。。

【りんごあめ・50代・女性・
       パート勤務・宮城県】

【A】りんごあめさん、
ご相談ありがとうございます。

私も過去に実家の断捨離をした際、
母と妹の裁縫(手芸)関係のモノたちで
埋め尽くされた棚によって、
2階のトイレのドアをフルに開けられ
なかったという経験があります。

私が2人に許可をとって断捨離をした結果、
棚ごと捨てて、トイレのドアは無事
開けられるようになりましたが。

何かを創作するプロセスは心がときめくのと、
手芸用品はブランド品とはちがい
お手軽に買えてしまいますから、
気がつけばこんなに!?なんてことは、
ものづくりLoverあるあるだと思います。

まず、りんごあめさんにお伝えしたいのは、
買ってばかりで作らないのは、
決してりんごあめさんの意志の弱さに
よるものではないということです。

とても人間らしくて、むしろ感性の豊かさ
がある方に多いことだと感じます。

また、覚えておいていただきたいのは、
りんごあめさんは決してそれらのものを
無駄遣いはしていないということです。

というのは、りんごあめさんは、
モノそのものを入手しているようでいて、
実はモノ自体を持つことが目的ではなく
「創造の可能性=心のときめき」を
手に入れているのです。

りんごあめさんが手芸店で
材料を手に取るとき、

実用的な布やパーツそのものより、
これにより何かを生み出せるという期待感や
好きな時間を楽しんでいる未来の私などを
脳内で想像して、

ご自身の可能性や未来の物語を
味わっていることと思います。

この想像のプロセス自体に
大きな価値があるのです。

脳は実際に起きていなくても、
そのイメージをしているときに
似たような活動をします。

好きな人のことをイメージしているとき、
あるいは嫌いな人をイメージしているとき、
実際にその相手が目の前にいなくても、
あたかもいるような感覚が訪れるのでは
ないでしょうか。

りんごあめさんご自身も、
材料を眺めて妄想する時間は楽しいと
書いていらっしゃいますから、

そうであれば、その時点ですでに
材料はしっかりお役目を果たしています。

最終形の実用的な形になってはいないかも
しれませんが、だからといって
無駄なわけでも、ダメな私でもないのです。

りんごあめさんは
過去に作成したものを手にしたとき、
今でもそれらを買って作成するまでの
ときめきは感じられますか?

あるいは、今手元にある材料を手にした
ときに、それを買ったときのワクワク感
はありますか?

それとも、とうに旬は過ぎていますか?

いまだにワクワクするなら
まだ生きた関係かもしれませんが、
もしすでに旬は過ぎて
罪悪感しか湧かないのなら、

「使ってあげられなくて申し訳ない」
という気持ちの代わりに、
「あのときの、クリエイティブでときめく
時間をありがとう!」と、感謝の気持ちに
変えて手放してあげてみてください。

形として残ることだけが
モノの果たす役割ではありません。

疲れている私に、実際に手を動かすまでは
いかなくとも、想像だけで喜ばせてくれる、
素晴らしいエネルギーチャージの時間が
確かに与えられたのですから。

仕事から帰ってダラダラしてしまう自分を
責める必要はなく、50代なら
長年の蓄積疲労もあるかもしれませんし、

脳や体が「今はアウトプット(制作)するより
インプット(休息・空想)が必要だよ」と
サインを出しているだけかもしれません。

ぜひ、「材料は作るためのもの」という
前提を手放して、

「眺めて楽しむもの」
「触って癒されるもの」

材料に触れる時間そのものの価値を
再確認してみてください。

「作る力」よりも「思い描く力」で
心を回復させている私なのだと。

これも立派なモノとの関わり方なのです。

それでもやはり作りたい気持ちが
あるのなら、優先順位を決め、
その中から今でも心ときめく作品に
材料を絞って作成にとりかかることを
おすすめします。

これまで作るところまで行かない理由には、
ある種の完璧主義が働いていないかも
振り返ってみてください。

たとえば、「作り始めるからには、
途中で止めることなく、失敗せず、
最後まで完全なものを作り切ること!」

などと、それを破ったところで誰も困らない、
無意識な自分との約束で
自分自身を苦しめているかもしれません。

また、買っていい枠を決めるのも大事です。

「もう買わない」という全か無か思考は
反動が来やすいですし、無理は続きません。

制限を設けて、例えば、
この箱に入る分まで、
この引き出し1段まで、
今ある量とおなじ分だけ、など
決めてみるのは有効です。

これで楽しみを奪わず、増えすぎも防げます。

「作らない前提」でひとつだけ
触ってみるのもおすすめです。

作業をする意図ではなく、
あくまでも接触の意図です。

ミシンを出さなくていいし、
完成させなくていいです。

これを許すと、不思議と
「もう少しやってみようかな」という
気持ちが自然に湧き起こることがあります。

「もし作りたくなってしまったら、
作っても構わない」と、あくまでも
オプションとして関わってみてください。

宝石をつけないけれども
ジュエリーボックスを眺めているだけで
満足している人は世の中たくさんいます。

これからもぜひ、
りんごあめさんにとっての宝石と
関わる時間を大切にしてください。

ー川畑のぶこ

       
        
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アムさん(50代・女性・会社員・静岡県)
のご相談にお答えします。

【Q】こんにちは。
私は55歳の会社員です。

人の死に直面しても
悲しみの感情が湧かない自分に、
ずっと戸惑いを抱えてきました。

最初にそう感じたのは小学生の頃。

大好きだった叔母が病気で亡くなったとき、
姉と弟が泣きじゃくる横で、
私は「死んじゃったんだ」と
淡々と受け止めているだけでした。

でも大人も子どもも皆、
悲しそうに泣いているので、
自分だけ違うのはいけないことだと思い
悲しんでいる“ふり”をするのを覚えたのも
そのときです。

その後も祖父母や友人など
身近な人との別れを経験してきましたが、
心の底から泣いたり、悲しみに押しつぶされる
ような感情を持ったことは一度もありません。

私にとって「死」は、
生きているけれど長い間会えないだけ、、、
そんな感覚に近いのです。

また、人は死んだら肉体を脱ぎ、魂として
別の人生を生きるという輪廻転生の考え方が
自分の中でとてもしっくりきています。
そのせいもあるのかもしれません。

ただ一方で、大切な家族に
もしものことがあったらと想像すると、
胸が押しつぶされそうになります。

そのギャップに自分でも戸惑い、
時には「自分は冷たい人間なのでは」と
責めてしまうこともあります。

55歳という年齢になり、これから先は
これまで以上に人の死に直面する機会が
増えると考えると、不安が大きくなります。

そのとき、周囲が涙している中で、
自分だけが何も感じずに
立ち尽くしてしまうのではないか、、、
そんな自分をさらけ出すのが怖いです。

この感情をどう受け止め、
どう向き合えばいいのか分からず、
悶々としています。

同じような感覚を持つ人がいるのか、
また専門的な視点からのアドバイスも
いただけたら少しはラクになるかもしれない
と思い、ご相談させていただきました。

【A】アムさん、
ご相談ありがとうございます。

人の死を前に涙が出ない自分を
「冷たいのでは」と責めてしまう——
その優しさこそが、
すでに“感じている”証です。

悲しみの表現には涙以外にも、
静かな受容や祈りの形があります。

スピリチュアルな感性が豊かな人ほど、
涙ではなく「深い理解」として
悲しみを抱くこともあります。

感情の表現方法は人それぞれ。
脳やホルモンの働きによっても違うものです。

どうぞ「私はこれでいい」と
受け止めてください。

涙のしくみや心のしくみについて
ビデオでお話ししますので、
ぜひ参考になさってください。

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