自分の性格・思考

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Q:自分は年齢としては40代で、周囲からは働き盛りなどと
いわれていますが、そんな実感はまるでわきません。

頭の回転が悪くなって、若い頃に短時間で出来たはずのことにも
時間がかかり、できない自分にいらいらしたり、
仕事で新しいことを覚えようとしても、
まるで覚えられない暗記力の低下に自己嫌悪する毎日。

以前は出来たはずのことがどんどん出来なくなり、
新しく何かを出来るようにもなれない。
これではいつまでたっても、自分の出来ることは目減りしていくだけです。

仕事だけではなくプライベートでも同様で、
一日のうちにできることの数がどんどん少なくなっています。

あっというまに休日が終わり、
何もしていないのに一日が終わってしまったという悲しい思いだけが残ります。

日々、少しずつでも成長を実感できていた若い頃と異なり、今では日々、
少しずつ衰えを実感しており、これから先、
新しく何かを成し遂げられるなどとは到底、思えません。
むしろ自分の積み上げてきた実績を食いつぶしながら、
ただ残りの人生を消耗していくだけに思えます。

特に最近、自分の性格まで老化していることに気づいて愕然としました。

かつては色々な価値観の人とコミュニケーションをとることで、
色々な視点から物事を見る柔軟性を獲得し、何かに偏らない中庸の立場に
いるという自覚がありました。

しかし最近、これまでの長きにわたる経験則という名の下に、
自分の中に真理のようなものができていて、
それに少しでも反するものは受け入れられずに猛烈に反発する自分がいる
ことに気づき、背筋が寒くなりました。

かつての自分が一番嫌っていたはずの、硬直した老人の頑迷さそのもの。

せめて自分が受け入れられないものから距離を置くことや、
あえて意識しないようにすることすらできず、
直接的な批判ばかりが、心に渦巻きます。
これでは単なる老害です。

自分がそんなものに成り下がっていることに気づき、
暗澹たる気持ちになります。

まだ40代であるはずの今ですら、こんな有様なのでは、
将来に何ら明るい展望が見出せません。

こんな状況を受け入れられる自分になれるものでしょうか。

【みずは・42歳・会社員】

―――――――――――――――――

A:

FROM 川畑のぶこ

生老病死は仏教では人生の4大苦と言われています。

40代や50代では、みずはさんのように、
老いることの苦しみを味わう人が多くなるのではないでしょうか。

みずはさんのように、老いの恐怖に直面しつつも、
そこに100%巻き込まれているのではない。

一部の自分がそんな自分を俯瞰視できていて、制御を試みようと
されているのは、素晴らしい姿勢ではないかと思いました。

濁流に完全に飲み込まれるのではなく、
片足は濁流に浸りつつも、片足が陸に出ているといった感じでしょうか。

自分の考えに固執した人間にはなりたくない、
けれども固執している自分がいる! それをなんとかしたい!

おそらく、このような俯瞰ができて反省できるのも、
老いの恩恵ではないかと思います。

もう一方の足を陸に上げるのに一体どうしたら良いのか。

一つには、自然の法則(全ては変化する)を理解して、
それを受け入れる勇気と、
もう一つには、真の価値とは何かということに関して、
その価値の見直しをする勇気が必要なのではないかと思いました。

年をとっても若い時と同じ記憶力や様々な物事への対処のスピードを
求めていると、どうしても苦しくなります。それは不自然だからです。

老いの変化は自然なことであり健全なことであるという姿勢を
強化されてみてください。

みずはさんは、これまで多くの事を短時間で効率よくこなされてきた事と
思います。それは素晴らしい事だと思います。

ただし、それが常に維持できていなければ、あるいは向上し続けなければ、
みずはさんの価値がなくなってしまうかというと、そうではありません。

若い頃の能力を維持し続けるのは超人的ではありますが不自然です。

超人でなければ認められないわけではありませんし、
価値がないわけでもありません。

ちまたには、超人になれることを良しとし、そこに訴える媒体やメッセージ
も多く存在します。ついつい翻弄されてしまいますね。

真のパワーとは、超能力を発揮することではなく、自然を受け入れ、称え、
それとしなやかにダンスすることではないでしょうか。
変化しつつあるご自身を、「お、自然の法則通りだな」と
微笑み包み込んであげてはいかがでしょうか。

今までは、スピード勝負でしたが、今度は、じっくり時間をかけて味わうこと
ができるようになったのなら、それは新たな価値の発見であり、
優れた人生のスキルではないでしょうか。
急いでいた頃には気づかなかった人々の息遣いや、自然の息遣いに気づき、
それらを称えることができるのなら、それは豊かさかもしれません。

このような姿勢は、自分にも他人にも思いやりある姿勢であるかと思いますし、
ご自身の中にも、相手との関係性にもみずはさんの人生そのものにも
調和をもたらすことと思います。

ぜひ、速度や量の維持や向上ではなく、誰もが通るべき道である老い、
すなわち、自然の変化の受容と、それを楽しむ力を意識されながら、
日々過ごされてみてください。

ーーー
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Q:言葉の断捨離をしたいのですが思うようにできず困っています。

私は、よく「困ったなぁ」「どうすればいいんだろう」
「ごめんなさい」が口癖になってます。

言った後言わないんだった!と打ち消すのですが、
つい口から出てしまいます。

また 息子の口癖も気になります。
「疲れた」「くだらない」「何処か遠くに行きたい」
別に具体的に何処かというのではなく
何処でもいいから遠くに行きたいと言います。

マザーテレサの言葉をたとえにして
「言葉には力があるからいい言葉口癖にしよう」
と自分にも息子にも言うのですが説得力がありません。

そんな風に考えたら、悪いことを思ったりしたら
余計罪悪感が出て辛くなると息子に言われました。

口癖を直し、明るく幸せに生きたいのですが、
アドバイスお願いいたします。

【ミミ子・50代・パート】

――――――――――――

A:

FROM 川畑のぶこ

ミミ子さんのご相談内容を読みながら、ドキっとしました。
私も気をつけよう!と(笑)

おっしゃる通り、言葉には力がありますね。

先日、私も実行委員を務める、ホリスティック医学フォーラムで、
滋賀県立大学工学部の奥健夫教授が
非常に興味深い仮説をプレゼンされていました。

光のエネルギーが凝縮してこれ以上凝縮すると
光でいられなくなる状態までくると物質化するのだそうです。

この理論から、私たちはエネルギーのかたまりであると言えるわけです。

宇宙最大の爆発現象にガンマ線バーストというものがあるそうでが、
その単位は、10^14eV(10の14乗 電子ボルト)
というものになるのだそうです。

はい、私も数字アレルギーなので、眠くなる話なのですが、
人間のエネルギーは、体重が50kgの人で
10^31eV(10の31乗 電子ボルト)という計算になるそうです。

どんなに数字アレルギーの私でも、人間ひとりの持つエネルギーは、
宇宙最大の爆発現象ガンマ線バーストよりもでかい!
めっちゃくっちゃでかい!ということだけはわかります。

ホントにびっくりです。

さて、では、目には見えない私たちの言葉を
このようにエネルギー値に換算したらどうでしょう?

私は物理学者でないので、具体的な数値はわかりませんが、
おそらく、とてつもないエネルギー量なのではないでしょうか。

言葉のエネルギーは、
その恩恵を受けることもあれば被爆することもあるでしょう。

台に足をぶつけたとします。

A=ぶつけた足にアザができる
B=「馬鹿じゃない」と辛辣にいわれる

この2つの側面において、身体的な痛みは A>B ですが、
見えないエネルギーの痛みは B>Aになると思います。

このように、どんな言葉をどんな意図を持って自分や他人に向けて
発するかはとても重要だと思います。

ミミ子さんの素晴らしいのは、ご自身で発する言葉を自覚されていて、
問題に気づいていらっしゃるということだと思います。

どれだけの人が日々、いえ、毎瞬、無自覚に
暴力的な言葉を発していることでしょうか。

言葉の断捨離に関しては、
「否定的な言葉を口にしてはいけない」と自分にプレッシャーを与えるのではなく
「肯定的な言葉を増やそう」と意識してみてはいかがでしょうか。
「ガラクタを捨てねば」と駆り立てるのではなく、「ゆとりを増やそう」という具合に。

何事もバランス。

「困った」「どうすればいいんだろう」「ごめんなさい」といった言葉自体は
ニュートラルな言葉であって、決して否定的ではないと思いますが、
おそらくミミ子さんの文脈において不健全に取り扱われているということだと
思いますので、その場合は、

「困ったなあ」
→+「解決に向けて動こう」

「どうすればいいんだろう」
→+「智慧を絞ってみようっと」and/or「助けを借りようっと」

「ごめんなさい」
→+「ありがとう」

など、否定的なトーンを相殺する言葉を増やし、
より希望と勇気を持って前進できる文言を添える(増やす)ことで
バランスを取り戻せるのではないでしょうか。

ゆとりを増やそうとすると、やがてガラクタの居場所がなくなるように、
肯定的な言葉を増やそうとすると、やがてネガティブな言葉自体が
押し出されて自然と減ってくるかもしれません。

断捨離は代謝。

ぜひ、不快な言葉を快適な言葉に入れ替えてみてください。

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161114

こんにちは。川畑のぶこです。

今日は、はるかずママさん(40歳・病院職員)からのご相談にお答えします。

~~~~~~~~~~~
深刻に悩んでいるというほどではないのですが、
でも、ずっと心に引っかかっていることがあります。

昔から、周りのみんなが知っているのに、
私には情報が伝わってこないということがよくあります。

個人病院に勤務していますが、先日は院長の都合で休診になったことに
ついて連絡をもらえず、出勤して初めて知るということがありました。
院長は身内(別世帯)なので、婦長さんは、院長から直接連絡するものと
思って、私には連絡をくれなかったのかもしれませんが……。

よくあることなので、ひどく悲しいということもないのですが、
普段の私の言動に、特に知らせなくても大丈夫と周囲に思わせる何かが
あるのかなと思ったりします。あるいは、自分ではよくあると思っている
だけで、そんなに多い頻度ではないのかも知れません。

が、これを書きながら、じつは、自分で思っている以上に悲しいのかな
と思い始めました。

考え方、気持ちの持ちようなど、アドバイスいただければ幸いです。
~~~~~~~~~~~

周りはみんな知っているのに自分だけ知らないというのは、さみしいし、
孤独な感じがしてしまいますよね。昔からということですが、
どのくらい昔からなのでしょう、小学校ぐらいでしょうか。

もし、はるかずママさんご自身のなかで、自分は周りからあまり好かれて
いないのではないかという疑いがあると、実際は、みんなが来てくれること
だってあるのに、あるいはみんなが伝えてくれることだってあるのに、
伝わっていないことばかりに注意が行ってしまうということはあるかも
しれません。

人間はみな自分のことで精一杯なので、知りたい人には伝えるし、あるいは、
それが明らかに必要であろうという人には伝えはすると思いますが、
この人はさほど関心を持っていないなと思えば、注意が行かないということ
は確かにあると思います。

ご相談の文中に「普段の私の言動に、特に知らせなくても大丈夫と周囲に
思わせる何かがあるのかな」とありましたので、もしかしたら本当に
その可能性もあるかもしれませんね。

考え方や気持ちの持ちようをどうするか、というよりは、ここはぜひ行動を
起こしていただきたいなと私は思います。変化を起こすのです。

続きは、ビデオでお話しします……

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こんにちは。川畑のぶこです。

今日は、メグさん(40代・会社員)からのご相談にお答えします。

~~~~~~~~~~~
愛着障害を抱えています。

医療機関で診断してもらったわけではないのですが、子育てに迷い、
いろいろ調べているうちたどり着きました。サイトがたくさんあったので
症状をみると、自分に当てはまる事が多く、人付き合いや仕事でのミスや、
自分が何でこうなのかと反省していた事がわかった感じがしました。

症状を改善する方法として、愛着を取り戻すというのがあるのですが、
自分自身でも可能との内容もありました。自分自身を安全基地にするには、
どのような事を心がければ良いでしょうか。

夫にも伝え、気持ちや考えを聞かせて欲しいと言われるのですが、
なかなか言葉が出ず、素直な気持ちで話す事ができません。
私の心の壁も取り払いたいのですが、どう気持ちを持っていけば良いのか、
アドバイスをお願いしたいです。
~~~~~~~~~~~

「愛着障害」という言葉を聞いたことがない方もいらっしゃるかと思いますので
初めに簡単に触れておきましょう。

「愛着」というのは、母が子を「愛しい」と思う、そして子が母親にくっつく、
その関係性のことで、とても重要だとされています。この愛着がきちんと子どもの
ときに形成されると、その子どもは健全な発達を遂げるけれども、反対に、欠如・
欠落すると、その発達に何らかの問題が考えられるというもので、心理学者の
ボウルビィという人が提唱した概念です。

愛着障害は、専門的には「反応性愛着障害」と言い、通常は子どもに対して
下される診断名です。アメリカの精神医学の基準であるDMS-5というものが
ありますが、そこには「愛着障害」ではなく「反応性愛着障害」と記されています。

おそらくメグさんは幼少期に愛着障害があって、そのまま健全な発達をせず成人
してしまったことを悩んでいらっしゃるのだと思いますが、前述のような背景
からも、医療機関に行ったら必ずしも「反応性愛着障害」と診断されるとは
限りません。心配であれば、まずは、受診してみることをお勧めします。

そして、実際に反応性愛着障害と診断された場合は、幼少期にネグレクト(無視)
や虐待といった扱いを、親から受けた可能性もあります。

その場合、メグさんがおっしゃるように「愛着を取り戻していく」ことで、
症状を改善していくことは可能です。

どのようにしたらよいのでしょう?

日常生活の中で、メグさんがメグさんご自身に対してできることが、あります。

続きは、ビデオでお話しします……

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こんにちは。川畑のぶこです。

今日は、ケイコさん(仮名)という50代の女性(講師)からのご相談にお答えします。

~~~~~~~~~~~
私は現在、お互いに尊敬しあえる同性の親友と、
家族として平和に暮らしています。

しかし、日々の暮らしの中で、出来上がった料理を盛りつけた器を
持っているとき、飲み物の入ったカップを持っているとき、
洗った食器を食器棚にしまっている時などに、「もしこれを投げて
しまったらどうなるだろうか」とふと頭をかすめるのです。

もちろん実際に投げることもしませんし、周りから見たら、私の頭に
そんなことが思い浮かんでいるとは誰も思うことはないでしょう。

実は20年ほど前、裁判によってやっと離婚した16年間の結婚生活は
精神的・性的・経済的DVでした。その結婚生活の中で2度、
私は耐えきれずに物を投げたり、壊したりしたことがあります。
その行動により、私が元夫に更にひどい事をされたのは言うまでもありません。

その事柄が今でも私に影響を与えているのか、はたまた現在の平和な
暮らしの中に、自分でも気づかないストレスや不満を感じているから
なのか。そのようなことが頭をよぎることは、いつの日か本当に
行動に移してしまったらどうしよう……という不安もかすめます。

どうか、解決のヒントをご教示いただきたくお願いいたします。
~~~~~~~~~~~

16年間の結婚生活で精神的・性的・経済的DVがあったとのこと。
これはとても深く刻印されてしまって、まだ抜け切らないところが
あるのではないかと推察します。

まず、それは徐々に克服いけばよいこと、と捉えましょう。

そして、破壊的な衝動に駆られるということは、みかんさんだけで
なく、誰にでもあることです。ただ、それを本当に行動に移すか、
移さないかは大きな差ですね。それをコントロールできるのも、
我々人間の素晴らしいところでもあります。

おそらくケイコさんはとてもお人柄がよくて、そういうことを考えて
しまうこと自体、いけないのではないか、周りの人から見えている
表面的な自分と実際の私とでは大きな差があって、とても駄目な人間
なのではないかと心配されているのではないでしょうか。

人間にはポジティブな面もあるし、ネガティブな面もあります。

ネガティブなイマジネーションが働いたとき、それは、みかんさんの
かつての経験、あまりにも深く刷り込まれてしまった辛い経験からきて
いる可能性もあります。「ダメな私」と自分を責めるのではなく、
「ああ、また出て来てしまっているな」と優しく包み込んであげましょう。

みかんさんだけでなく、誰にでもあることだと受け入れ、そうなった際に
自分を冷静に客観視し、「どう対処するか」という具体的な方法を持って
いることが大切です。

同時に、今の生活の中で、何かストレスのもとになっていることはなさそうか、
今一度、見渡してみることも必要かもしれません。

続きは、ビデオでお話しします……

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160627

こんにちは。川畑のぶこです。

今日は、ゆみさんという女性(27歳・会社員)から
「ネガティブ思考の自分に疲れてしまいます」というご相談です。

~~~~~~~~~~~
川畑さん、初めまして!
いつもメルマガを楽しく読ませていただいております。

些細な悩みかもしれないのですが…聴いていただきたいことがあります。

今の職場で働くようになり半年ほどが経ちました。
ちょっとずつ色々任せてもらえるようになり、
日々やりがいを感じながら楽しく働いております。
人間関係も悪くなく、とてもやりやすいです。

ただ、新しいことを他の人が教わっていたり、
自分の担当である仕事を他の人も覚え始めると、すぐに
「私は必要とされなくなるんじゃないだろうか」とか考え始めてしまいます。

自分が教わっていないことを、他の人が先に教わっていても、焦りというか…
自分は必要じゃないかもしれないと大袈裟に思ってしまいます。

みんな優しいし、日々任せてくれることもあるのに、
いちいちそう思ってしまう自分に疲れてしまいます。

プライベートがあまり充実しておらず、仕事に依存している部分があるかも
しれなくて余計そう思ってしまうのかもしれないですが…。

もうちょっと気楽に考えたいのにな~と思うのについネガティブになってしまいます。

何かいい方法があれば教えて下さい。
よろしくお願いいたします。
~~~~~~~~~~~

とても誠実で、周囲に気を配りながら、一生懸命お仕事をされている
ゆみさんの姿が想像できました。

今の職場で働くようになって半年ほどとのこと、
新しい職場に適応して慣れ始めてきたときで、
いろいろなことに気が付きやすくなる時期でもあるかと思います。

まずは、様々な不安が出てくるのは当然だと思ってみましょう。

「半年も経ったのに」というよりは「ようやく半年経った」「まだ半年だ」
と捉え、ちょっと一呼吸置いてみるのです。

「自分は必要とされなくなくなるんじゃないだろうか」と焦ってしまう
とのことですが、職場に関して言えば、「この業務は、この人一人ができて
いればいい」という状態では、組織体として非常に脆弱です。
誰が抜けても、常に誰かがバックアップできる状態であることが、
健全な組織運営です。

会社は、ゆみさんが不必要だから他の人に教えているわけではなく、
みんなが同じことを知っていて共有することが大切だからやっていると、
意識を切り替えて捉えてみることも重要になってきますね。

教わっていないことを、他の人が先に教わっているときに焦ってしまう
ということであれば、どういう背景でそうなっているのか、
できれば「確認」をするといいです。

会社として、教育する順番があるのかもしれませんし、もしかしたら、
先輩や上司が単にうっかり忘れてしまっているだけかもしれません。

気を揉み続けるよりも、事実を確認することで、ゆみさんが安心できるだけでなく、
「すごく誠実な人なんだな。真剣に仕事をきちんと学ぼうとしている人なんだな」
というようなプラスの評価が得られることもあります。

ものの受け止め方や捉え方が歪んでしまう、ネガティブ思考になってしまう
傾向の人には、共通の、ある癖があります。

それと関連して、ゆみさんがゆみさんを客観的に見るのに、とても効果的な
「リストアップ」の方法もお伝えしますので、ぜひやってみてくださいね。

続きはビデオで……
https://youtu.be/us78P6zc6Lo

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160615_FB_kawabata

Q:
いつも拝読、拝聴しながら、自分のことのように感じたり、
納得することが多々あり、大いに参考にさせて頂いています。

さて、私の悩みは、自分で自分を認められない、
人から認めてもらうことを期待して行動していることです。

楽しい人たちと会っても、その帰り道や家に戻って一人になると、
言いたかったことが一杯でてきます。その場にいる人たちに合わせよう
とする気持ちが無意識に働いているのだと思います。
本当の自分を出すことが怖いのだとも思います。

過去に鬱になったことがあり、カウンセリングで良くなったのですが、
子供の頃から何か問題が生じた時、
とっさに自分が間違っているのだと反応する習慣がついています。

自分には価値がないように感じていたり、
自己否定や自己嫌悪が抜けていないのだと思います。

自分のことを考え、見つめる時間は長く持ってきたので、
もう自分のことにこだわり過ぎず、人と関わることを心から楽しめるように
なりたいですし、自分の信じる道をどんどん進んで行きたいのですが、
心がグラグラ揺らぐとそれどころではなくなります。

どのようにしたらよいか、アドバイスをお願いいたします。

【あお・40代・自営業】

―――――――――――――――――

A:
FROM 川畑のぶこ

いつもメルマガを参考にしてくださりありがとうございます。

自分自身に価値がないような気がして自己否定や自己嫌悪に陥ってしまう…
私たちは自分で自分を認めることができないと、
他人から認めてもらうことで自分の価値を見出そうとしてしまいがちですね。

もちろん、社会的動物である私たちですから、
周囲の人の評価はある程度参考にしながら自分探しをすることは大切ではありますが、
全ての価値判断を他人の評価に委ねてしまうと、
苦しみに溢れる人生になってしまうかと思います。

なぜなら、人はその人の都合や好みで相手を評価するからです。
必ずしも真のあおさんを評価しているわけではないのです。

おそらく、あおさんはお母様の顔色を伺う幼少期であったのではないでしょうか。
親も私たちと同じ人間、ゆとりがなかったり、ストレス下にさらされていると、
どうしてもエゴがニョキニョキと芽を出して、
周囲をコントロールすることで己を満たそうとしてしまいます。
子どもは格好のターゲットになるのですね。

「私の思い通りになることで私を満たしなさい」
「さもなくば、私は自分の価値を信じられないのよ!」
と、そんな苦しいメッセージが根底にあることと思います。

親が喜ばなかったのは、あおさんがダメだったからではありません。
親自身が自分自身を疑っていることが問題だったのです。

大人となった今、あおさんはそのことを理解できるはずですから、
もういい子になることで相手を喜ばせたり、
自分の価値を測ることはしなくても大丈夫だと言い聞かせてあげてください。

あおさんの心の中にいる、幼い頃のあおさんに、
「あなたは悪くないよ」
「あなたのままでいいんだよ」と、
「親にしてきたように他人に接する必要はないんだよ」と、
優しく、小さなあおさんを包み込んであげてください。

そして「これからは子ども心を取り戻して思いっきり楽しんでいいんだよ!」と、
あおさんの中に眠っている遊び心を呼び覚まして、
その感覚に従って日々を歩んでみてください。

周囲に、あおさんが「この人のようになれたら人生楽しいだろうなぁ」と思う人がいれば、
その人をモデルにしてみて、自由に楽しく日々を過ごす自分をイメージしながら
そのように振舞ってみることも良いと思います。

応援しています!

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160525_FB_kawabata

Q:私は決断するのがすごく苦手で、
決めないといけないのに違うことをしたり後回しにしてしまいます。
そしてとても時間がかかります。

家族には相談したこともあるので事情は知っていますが、
まだ悩んでいるの?? いつまで悩んでいるの??
と思われているように感じてしまいます。

徐々に誰にも今の心境を言わなくなってきて、
一人で決めたいと思うようになりました。
相談するんじゃなかったのかなとも思います。

家族にもこう思うとたまに寂しいときもあります。
でも一人で決断し行動するのはとても勇気がいって
どんどん時間が過ぎていっています。。

決断できないということは何か解決方法があるのでしょうか?
ある人からはカウンセリングに行ってみるのは?と言われましたが
それくらいの状態なのでしょうか?
もしそれが必要なようであったら行ってみようと思います。

自分でもどうしてこんなに不安で時間ばかりが経つのだろう。
と思っているので。。
よろしくお願いいたします。

【ゆき・30代・主婦】

――――――――――――――

A:
FROM 川畑のぶこ

ゆきさんのように、なかなか決断ができずに、
優先順位の高いことであるにもかかわらず、後回しにしたり、
やたらと時間がかかってしまうということは時折あるものです。

重要な課題であればあるほど、慎重になるのは当然のことですから、
安易に決断はせず、じっくり時間をかけたくなるのでしょう。

プレッシャーがかかって「あとでじっくり考えて決めよう」という心理が働き
行動が鈍るのは、ある程度理にかなっていることかと思います。

極めてわかりやすい例を提示するなら、
結婚相手を選ぶときや、就職先を選ぶときなどは、安易には決定せず、
じっくり時間をかけるでしょう。

ただし、一事が万事、なかなか決定できず時間がかかったり
後回しにしたりということが続いているのなら、
これはやはりQOL(人生や生活の質)を低下させてしまうこともありますから、
問題ともなりますね。

対人関係も、ゆきさんは大事なことだからこそ相談したいと思っているでしょうが、
毎回せっかく親身になって相談に乗っているのに、そのことが反映されないと、
相手も自分がゆきさんの役に立っているとは思えず、
無力感や虚無感を感じてしまい、ゆきさんの相談に乗ることに
無意識な抵抗を感じるようになるのかもしれません。
これは残念なスパイラルですね。

時々、相手に「とても参考になった。ありがとう」という言葉かけを
大切にしてみると良いのではないでしょうか。

相手のアドバイスの内容を採用するかどうかはわからないけれど、
少なくとも、自分自身を振り返るのにとても役立ったということが伝われば、
相手も相談に乗る労を厭わないのではないでしょうか。

なかなか決断をできない背景には、
「失敗してはいけない」という恐れがあるかもしれません。
もちろん、失敗しないに越したことはありませんが、
失敗を恐れるあまり、前進できなくなってしまうのなら、
ある程度リスクを背負う覚悟を決めることが大切であり、
ゆきさんの課題になってくるのではないかと思います。

人生に失敗はつきもの。
たとえ、失敗したとしても、そこからまた立ち直れば良いし、
学べることもあると受けとめ直してみてはいかがでしょうか。

失敗は成功のもと。
失敗するたびに賢くなる私なのだと、
肩の力を抜いて未来に向かってみてください。

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Q:
楽しく過ごすことに後ろめたさを感じるような時、
どんなふうに考えたらよいか、教えてください。

人から、悩み相談を受けることが多いです。

助けになるなら、と私なりに答えられることをと話していくと、
泣いてしまう友達も多くいます。

昨夜も、何度か話したいとメッセージが来ていたオランダ人の友と
Skypeで話すと、乳ガンの治療中だということ。

どう言葉をかけてよいか戸惑いながら、
努力家の彼女が病院での放射線治療以外にも、
ハーブなど自分でできることを実行していることを知りました。

彼女とは、不妊治療をしていた時期も同じ、また夫が不倫をしたのも同じ。

彼女は、離婚を決意し、今は新しいパートナーと暮らしている。
私は、夫と少しずつ、歩み寄ることを選びました。
今でも、夫に対して、許せないという思いや、信用できないという気持ちが
時々出ますが、助け合って暮らしているように感じています。

私たちはたぶん、二人とも努力家で似ています。
不妊治療で子供ができなかったとき、
仕事でいろいろなことを努力して手に入れてきたけれど、
世の中にはがんばりようがないこと、望んでも手に入らないこともあると知ったというか、
逆に私自身がこの世に生まれてきたことが奇跡なんだなぁと、
話したことを覚えています。

「なにかやりたいことを見つけなければ!」という彼女に、
「あなたは今までにいっぱい努力してきたし、もう今、もってるもので十分だから、
そんなにがんばらなくていいよ」と言うと、泣き出してしまいました。

昨夜の会話の中で、彼女は私がハッピーかどうか?とても知りたがりました。
どんな時に幸せと感じるか?と。

私の答えは、「朝、散歩をするか、ヨガをする時に最近は瞑想を同時にできるような
心地になり、しあわせだなぁと思う。また、バルコニーでお茶を飲みながら
本を読んだりしているときもしあわせだなぁと思う」

そんなふうに伝えた時、彼女が不満そうに見えました。
どちらかというと、私にも何か不幸がないか?知りたかったように感じ、
人の不幸で安心する、自分だけが困難な道にいるわけではない、
そういうことってあるなぁ、しんどいんだろうなぁと思いました。

話が飛ぶように思われるかもしれませんが、
楽しく、しあわせに過ごすことにうしろめたさを感じるようなことがよくあります。

楽しく過ごすことに後ろめたさを感じるような時、
どんなふうに自分と折り合いをつけ、
つらい状況にいる方にはどんなふうに声をかけたらよいのか、
ご指南いただけますか?

長い文章を読んでくださって、ありがとうございました。

よろしくお願いいたします。

【サンデー・52歳・美術家】

―――――――――――――――――

A:

FROM 川畑のぶこ

共に苦しみを分かち合ってきた友との友情にひびをいれずに、
良好な関係を保ちたいサンデーさんの気持ちが伝わって来るご相談ですね。

そんなサンデーさんの温かさやオープンさが、周囲の人々の心もオープンにして
悩みを相談したい気持ちにさせるのではないでしょうか。

辛い不妊治療を通して、人生には努力だけでは得られないものがあり、
ご自身がこの世に生まれてきたことが奇跡なんだなぁという気づきを得た
サンデーさんには、人生をしなやかに生きるセンスが伺えました。

ご友人は、もしかしたら同志であるサンデーさんに
置いてけぼりにされるような気がして、不安なのかもしれませんね。

もちろんサンデーさんご自身にはそんなつもりは無いかと思いますが、
そのことが気になって、自分ばかり幸せを感じてはいけないという罪悪感から、
相手に合わせようとしてしまう癖があるのではないでしょうか。

もしそのことで、ご友人が幸せになれるのならその努力は報われるでしょうが、
残念ながら刹那的な安堵感は与えても、
深い喜びや充足感につながるものではありません。

私たちの生きる目的は、幸福や喜びを体験することですから、
まず、大事な人生の仕事に取り組むのだと決意をしてみてください。

もちろん、幸福とは自分だけが幸せを感じられれば得られる、というものではなく、
周囲の大切な人々にも(本来大切な人だけではないのですが)
平和や喜びがあって初めて成立するものでしょう。

なので、相手から見ればサンデーさんの幸せは、
相手の幸せにも大切な要素となるわけです。

ご友人を幸せにするために、サンデーさんが不幸である必要はありません。

ただし、大切な相手が劣等感に苛まれて苦しんでいる時に
コミュニケーションをするのには、
その部分を刺激しないように、少しだけ工夫する智慧も必要かもしれません。

例えば、幸せに関して質問された際に、
「苦しい時に分かち合えるあなたのような友がいることは幸せで有難いことだ」
といった内容が返事に含まれていたのなら、
ご友人はサンデーさんの幸せに自分の存在を感じることができ、
自己承認もできるかもしれません。

また、苦しみの中にも喜びがあるという、
サンデーさんが不妊治療から命の尊さ=自分の尊さに気づいたような、
非二元的なものの見方ができるようになるかもしれません。

ぜひ、今後もサンデーさんの思いやりと優しさを相手に表現しながら、
ご自身も幸せにしてあげてください。

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Q:私は、「頑張るのが嫌い」です。

今時の言葉で言うと「ゲスいなあ」とも思うのですが、
そう思うようになったきっかけが二つあります。

学生時代の受験のとき、私は行きたい学校があり、その学校に行けるのを夢見て、
元々勉強嫌いで苦しかったけれど勉学に勤しみ、成績が上がりました。

しかし、それを母親が「そこまでできるなら、もっと上の学校を目指せる」
と、当初志望していた学校は受験できずに、
別の上の学校を受験する羽目になりました。

必死に抵抗したのですが、受け入れてもらえず、
母の望んだ学校は超進学校で、入学したものの、
最終的には校風や授業についていけずに落ちこぼれてしまいました。

受験勉強で頑張ったことが親を勘違いさせてしまった様ですが、
母はそんな私を「期待外れやったわ」と言い放ちました。

勝手に期待されても困るのですが…でも、期待させたのは自分なんですね。

ちなみに、当初入りたかった学校は、
そこの学校にしかないクラブ活動や学校行事があり、
勉強よりも学校生活を楽しみたくて志望してましたが、

母は「学校は勉強するところ!遊びに行くところじゃない」との事でしたし、
「あの学校に入っていい事がなかった」と言うと
「人のせいにするな」と言われるだけです

二つ目は営業職に就職した時で、
入社当初はなかなか数字が取れず、給料を貰っているのに申し訳がないのと、
やはり上の人から叱責されるので、とにかく数字が取れる努力に勤しんだのですが、
数字が取れる様になれば、今度は
「やればできるじゃないか?だからもっと頑張れるはずだ」とより高いレベルを求められ、
それは私にはキツいので正直に、
「最低限のことはやりますが、それ以上は無理です」と言うと、
「会社はあなたの為にお金を掛けてるのに、あなたは自分勝手で社会人として最低だ!」
とこれまた叱責されました。

結局耐えきれずに1年で退職しましたが、退職するときに「こんな事も頑張れないなんて、
人として情けない」と会社の上司にも親にも言われてしまいました。

頑張らなければ、頑張らないで辛いですが、頑張ったら頑張ったで苦しいです。

「頑張らなきゃ」と思うと、この二つの出来事が頭をかすめてきます。

そのうち頑張ったことが、自分をより苦しめ、周りに迷惑を掛けるのではないかと
思えて仕方がありません。

川畑様、こんな私にアドバイスをお願いします。

【まこと・40代・会社員】

―――――――――――――――――

A:

FROM 川畑のぶこ

人生には努力を必要とするときも忍耐を必要とするときもありますね。

何か大切な目標に向かって頑張ること自体は健全なことであり、
私たちの心に躍動感をもたらしてくれることと思います。

まことさんのお話を伺っている限り、
頑張ることに疲れたというよりは、「人の期待に応えるために頑張る」のに疲れた
ということであるかと思います。

すなわち、頑張ることをやめるというよりは、頑張り方を修正することをお勧めします。

自分が関心の無いことや情熱を捧げられないこと、あるいは意味を見出せないこと
ばかりにエネルギーを費やし続けていると、やがて人間は病んでいきます。

それは「そんなに頑張りなさんな」「無理しなさんな」というサインです。

ところが、自分に喜びをもたらすものや充足感をもたらすものに向かって
頑張っている時というのは、疲れ知らずではないでしょうか。

まことさんも、志望校に入ることを夢見て頑張っていたときの時間の質や心の状態は、
モチベーションの無い進学校や仕事を頑張っているときと比べてみると
まったく異なりませんか?

おそらく、これまで「頑張れ」と言われ続け、それに対して「NO」が言えなかったことが
苦しみをもたらし、「頑張らねば」とご自身を追い込んでしまったために、
「頑張る」ことに対するアレルギー反応が出るようになってしまったのかもしれませんね。

頑張るか頑張らないかを白黒はっきりさせる必要はなく、
どのように頑張るか、すなわち、エネルギーを注ぐ対象、その質、量、頻度を
もう一度精査してみることをお勧めします。

要は、適切に頑張るということですね。

まことさんが自然に喜びを感じたり情熱を注げられる、また、充足感が得られることに
意識を向けると、心のエネルギーが充電されてくるはずです。

すると、多少苦手なことでも難なくクリアできるようになることも考えられます。

ぜひ、周囲の期待に応えるチャレンジよりも、
まことさんの心に応えるチャレンジをされてみてください。

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