自分の性格・思考

mother with her son in the park

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Q:すべて母親の私のせい…?

私は、自分だけでなく旦那さんと子供にも同じ様に攻めてしまいます。

6年生の男の子の親なのですが、子供が不登校になってしまい、
それは、全部自分のせいだと、全部ではないと分かっているのに、
苦しくて自分を攻め続けてしまいます。

少し自分が何か出来なかった事があっても自分を攻め続けます。

苦しいです。
責め続ける癖は、どうしたら治りますか?

教えて下さい。お願いします。

【はれ様・46歳・主婦】

―――――――――――――――――――――――――――――

A:

FROM 川畑のぶこ

「私たちは出来事によって悩まされるのではなく
出来事の受け止め方によって悩まされるのです」

ギリシャの哲学者、エピクテトスの言葉です。

私たちは日常に起きる出来事に対して、
時として歪んだものの見方をしてしまうことがあります。

このような状態を心理の専門用語では、「認知の歪み」と呼びますが、
この歪みは特にストレス下にいるときに頻発する傾向にあります。

自分に厳しい人というのは総じて他人にも厳しいです。

もちろん、他人に対しては、表面的に優しく装うことができるでしょうし、
そうあろうと努力しているとは思います。

ところが、真に優しいあり方=Being ではなく、
優しいやり方=Doing を実行しようとしているのでどこか抑圧的で、
それを発散する対象に身内が使われることがほとんどです。

ものごとの受け止め方が歪むのにはいくつかパターンがありますが、
その中に「自己関連づけ」というものがあります。

自分の身の回りに起こっていることで
悪いことは、すべて自分のせいだと思い込んでしまうことです。

もちろん自分との関わり合いの中で相手に影響を与えることはあるでしょうが、
全て自分のせいということは無いことがほとんどです。

子どもが母親の影響を受けるのは当然のことでしょう。

ところが、息子に起きている好ましくないことの全ては
母親のせいかといえば、そうではありません。

これは根拠のないことです。

現実的なのは、息子さんもご自身もさまざまな関わり合いの中で、
息子さんなりのものごとの受け止め方や対処の仕方をすることができますし、
ものごとの受け止め方や対処の仕方は選択の余地があります。

「残念なことではあるが、やり過ごそう」とか、
「困難だが、なんとか善処しよう」ととらえることもできれば、
「現状を打破することは不可能だ」とか
「誰も自分を分かってくれない」とか
「何をやっても無駄だ」と受け止めることもできます。

また、「全て母親のせいだ」と受け止めることもできます。

ただし、これはあくまでも受け止め方であり
事実に基づいていることではありません。

感情は受け止め方と連動しますから、
息子さんが辛いのは、後者のような否定的な受け止め方で、
世の中に向かい合ったり対処したりしようとしていることが考えられます。

では息子に考え方を変えろと言えば良いかというと、そうではありません。

これは勉強しろと言えば勉強するかというとそうではないのと一緒です。

考え方を変えることほど難しいことはありませんし、
人間が最も執着するのは己の考え方だと言われています。

すなわち、人生で最も難しいことに今取り組もうとしているということを知り
息子さんにもご自身にも、寛容になって、丁寧に向かい合ってみてください。

そのためにまずできるのは、はれさんご自身が
ものごとの受けとめ方を健全化することです。

そのことで、息子さんに背中を見せることができます。

息子さんを変えようとすると抵抗が出てきますが、
母親が変わると自然とそれに影響を受けることはあります。

母親自身が、不登校含め、人生の困難に対して悲観的になっていれば、
それは自ずと非言語的なメッセージとして息子さんに
「ダメなあなた」と届くことでしょう。

ところが、お母さん自身が

「人生に困難はつきもの」
「人間は失敗を免れないもの」
「どこからでも変化を起こすことは可能」
「これもまた経験で成長の種」
「急ぐ必要もなくそれぞれのタイミングがある」

などと受けとめ、息子さんと関わりあっているのであれば、
それは単に
「人生の大切な課題にチャレンジするあなた」
と届くことでしょう。

まず人に優しくなりたかったら、
自分自身にも優しくなる必要があります。

そのためには、批判的な目でものごとを受け止める姿勢を改めて、
自分にも他人にも、健全で思いやりあるものごとの受け止め方を
してみることから始めてみることをおすすめします。

愛する我が子が困難な状況にいることは
母親としてこの上なく辛いことですね。

それでも現状は結末ではなく、まだ必要なプロセスの途中であって、
あくまでも「道しるべ」です。

今、ここからどのような進路を取るか…
これはいつでもどこからでも変更できます。

どうか希望をもって息子さんと
ご自身の人生に向かい合ってみてください。

応援しています。

PS
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PPS
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川畑のぶこがお答えします。

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apples

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Q:時間に厳しすぎる私…

時間に変なこだわりがある自分に悩んでいます。

私は何にせよ、約束の時間より早くその場に着いていないと気が済みません。
大学生の時も好きな席に座れないのが苦痛で、誰よりも早く登校していました。

結果、私が一番学校から遠かったにも関わらず、
皆の席取りの役を任されていました。

病院や美容院の予約、人との待ち合わせなどの場合は
常に15-20分前には着いているので、間際まで近場で調整して
丁度良い頃合いを見計らってその場所に行くようにしています。

時間にルーズな友人とは関係も長続きしません。

また、主人が人と約束のある日になかなか出かけないと、
間に合わなかったらどうするのかと私の方が不安になり、
イライラしてしまいます。

私は全く几帳面な性格ではなく、どちらかと言えば抜けているタイプです。

それなのに時間に対してだけ異常にナーバスになる自分がよくわかりません。

時間が余分にかかって勿体無いし、やはり気持ちも疲れるので、
この変なこだわりを手放したいといつも思います。

でも、そうせずにいられない理由がわからないため、
長年変われないままです。

一体、どうすればよいでしょうか?

【40代 自営業 まりりん様】

―――――――――――――――――――――――――――――

FROM 川畑のぶこ

まりりんさんのように、
約束の時間より早め早めに行動することを好む人というのは
世の中に多く存在します。

周囲からはとても誠実で信頼できる人として映ることと思いますし、
このこと自体は、むしろ社会面からもプラスにはたらくことでしょう。

早く行動しないと気が済まないことを
「変なこだわり」ととらえていらっしゃいますが、
「それが私のニーズ(心理的欲求)であり、個性」ととらえることも出来ます。

段取りやタイムフレームを狂わせること無く、計画通りにいくことに
充足感を得ることは私たちの大切な欲求です。

ただしこれも程度問題で、
これが強い人もいれば、そうでない人もいるわけですね。

「私はその欲求が強いのだな」と
そこにジャッジを加えずに受け止めてみます。

そして、周囲には、まりりんさんが時間に関して
「早め早め」というニーズを持っているのと同じように、
出来る限り時間に縛られず、ゆったり自由に過ごすことを
心の欲求としている人たちもいます。

どちらが良い悪いではなく、それぞれの人生に求めるニーズが違うのです。

このこと自体はOKです。

苦しみは、互いに自分のニーズの方が正しいとか、間違っているとかと
判断を下してしまうことにあります。

これはあたかも、お腹を満たすのには米が正しいのだ、いや、パンだ、
いやいや、ジャガイモだという議論に似ています。

お腹の満たし方に何が正しい間違っているは無く、ただ違いがあるように、
人生の満たし方も違いがあり個性があります。

ジャガイモは嫌いなら食べないと決めるのも良いでしょうし、
たまには味わってみるかというのも良いでしょう。

ところが、繰り返し、いずれもどちらが正しくて間違っている
ということではありません。

世の中の不和は、概ねこのような関係性を俯瞰視できないことによるもので、
どちらが正しくどちらが間違っているか、
あるいはどちらが優れていてどちらが劣っているか、
白黒はっきりさせたいという心理的な駆り立てによって生じています。

問題は時間にきっちりしている人がいることでもなく、
時間に頓着が無い人がいることでもありません。

互いに自己正当化がはたらき、
相手への、そして自分自身への理解が薄く寛容になれないことです。

時間にまつわる私の個人的な経験をシェアしますと、
日本国内でも地域によって、時間に対する姿勢が違うように感じます。

沖縄では、講演が始まる10分前になっても会場に人が集まらないことは
ざらですが、時間になると席が埋まります。
ときには10分遅れで満席になることもあります。

東北では10分前には殆どの人が席についています。

それでも講演自体は機能しますし、参加者の人生も機能しているのです。

友人にほぼ毎回の約束に20-30分くらい遅れてくる人がいますが、
そのことに対して「不誠実だ!」「私の段取りを狂わすとんでもない人間!」
とイライラすることもできれば、決別することもできます。

しかし、単に「それが相手のニーズなんだな」と理解することもできます。

時間の価値観は違っても、私はその友人を人間として好きなので、
うまくつきあいたいと思っています。

ですので、その相手と約束するときは、
20ー30分前倒しで約束をするように心がけています。

もし相手が時間通りにきたら20-30分のゆとりができますし、
遅れて来ても予定通りです。

対人交流をするときに、
何が正しいかとか間違っているという価値感からではなく、
何が機能するかな?という視点から関わってみると良いと思います。

ちなみに、私が本日から出張するイタリアは
電車が20ー30分遅れても誰も文句を言わないそうです。

イタリアに留学していた友人は、
講師が2時間遅れてきて何も無かったように授業が始まったと言っていました。
それでも地球は回っているのですね。

無理に変わろうとせず、
自分も相手もそれぞれのニーズがあるということを受け入れてみてください。

まずは、自分にやさしくなってあげてください。

PS
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※どなたでもご参加いただけます。
詳細・お申込み ⇒ 【 http://peatix.com/event/113762

150914

皆さん、こんにちは。川畑のぶこです。

今日はキッチンからお送りします。
私の横にある大きな瓶。
中に入っているのは自家製サングリア(もうだいぶ減っていますが)。
今回は赤ワインをりんごジュースで割って、フルーツをたくさん漬け込みました。

実は、週末に息子の誕生日があり、人がたくさん集まったのです。

土曜日は、メキシコ料理のタコスを作りました。
私がかつて長く住んでいたカリフォルニアでは、
メキシコ料理と言うと本当にお手軽で、スナックのような感覚ですが、
日本だとあまり馴染みがなく、何だかすごくエキゾチックで、
「おー!」と言われるのですが、手抜き料理です(笑)。

サングリアはたっぷり作ったので、まだ残っています。
「まだあるなぁ」と横目で見ながら、ノルマを達成すべく(!)
朝から、昼から、気になるときに、チビチビと飲んでいます(笑)。
 
タコス同様、サングリアも割と華やかに見え、「お!」と言わせる効果がありますが、
これも手抜きの出し物です(笑)。ぜひぜひご活用くださいませ。

さて、今回は非常にシンプルに、3行でご質問をいただきました。
「過去との決別の仕方」について、40代の女性からのご相談です。

「過去に囚われています。
既に結果が決まったことに対して、あーすれば良かったと後悔してしまいます。
過去との決別の仕方を教えて下さい」。

人生を送る以上、後悔はつきもの。
仕方のないこと、と割り切ることは大切です。

ただし、「比較的いつも後悔ばかり」という場合は、
少し不健全な後悔の仕方をしている可能性がありますので、
ものの見方を変えてみることも必要になってくるかもしれません。

反省はいいことです。
私たちは、反省しなければ未来によりよい違いをつくることはできません。
ただ、私たちのQOLを落とさない程度に、がポイントです。

そして、キーワードは「ビリーフ(信念)」。

続きは、ビデオでお話ししています。

https://youtu.be/yUJR2C7ii7Y

 

 

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150907

皆さん、こんにちは。川畑のぶこです。

私の背後にあるのは、新しいピアノです。
皆さんにはおそらくグランドピアノに見えると思うのですが、
実は、グランドピアノ“風”の電子ピアノなのです。
(ハイブリッド・ピアノと呼ばれるらしいです、笑)

この家は設計上、大きい引き戸や窓がなく、
以前あったアップライトピアノが入らなくなってしまったので、
それは友人宅にあげて、その家にあった電子ピアノを借りていたのですが、
息子も最近ピアノを習い始めて、長く続きそうな感触なので、
この機会にグランドピアノ型のものに買い替えたというわけです。

今回、このグランドピアノ“風”が入ったことによって、
その昔、一度は音大を目指した私の夢が一部叶ったということもあり、
ちょっとウキウキ、モチベーションが上がっています。

さて、今日は40代のよしさんという方(性別は分かりません)からの
「怒られるのが怖い」というお悩みです。

「仕事などで怒られた時に、とにかく怖くなってしまいます。
『もうこの人いらない、首にしたい』と思われているのかとか、嫌われたとか、恥ずかしいとか、
怒られた内容とともに、色んな思いがくっついてきて、血の気が引きます。

萎縮してしまい、動機がしてしまい、どうしたらいいかわからなくなります。
残りの時間も、家でもずっと引きずります。
失敗するのが怖くなり、もう仕事に行くのが怖くてしかたなくなります。
それで辞めてしまったこともあるし、その恐怖があることで、
仕事が長く続けられないという思いがあります。

心におこる動揺をどうしたら、扱えるようになるか知りたいです。」とのことです。

とても繊細で真面目な方なのでしょうね。
仕事や周囲の人々と誠実に関わり合おうとしていることが、文面からも伺えます。

まず、「怒られた」のか、はたまた「注意された」「間違いを正された」のか、
そのどちらなのかを、正しく捉えましょう。

そして、ご自身がおっしゃっている「色んな思いがくっついてきて、血の気が引きます」
という点について、この「色んな思い」というのが、
実際に相手や周囲が思っていることなのか、よしさんがそのように思い込んでいることなのか。
ここをきちんと区別していくことが、大切です。

人間というのは、失敗を免れない存在だというのをきちんと知っておくことも必要ですね。

続きは、ビデオでお話ししています。

https://youtu.be/5QoJf_Smf_I

 

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Vintage still life: flowers in bucket, pink alarm clock and bucket on wooden table outdoors

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Q:自分は一体何をしたいんだろう?

私は自分のために何かをすることができません。

結婚前は読書が趣味だったのですが
例えば本を読もうとしても、
家のことをきちんとしてからやろうと思ってしまう。

そうすると家事って際限なくでてきます。

で、それをやっているとどんどん時間がなくなります。

そして、どんどん後回しになってしまい、
それで図書館に本を借りに行けなくなり
本を買っても積読になって読まない

「無駄なお金を使ってしまった」で買わなくなる。

今まで買った本も読まなくなります。
そして、邪魔だとなってBOOK OFF行き

その空間があく→娘の物置場になる
(娘はバイト代でたくさん服をかいます。でも捨てないんです)

それの繰り返しで、
今は家の中に自分の場所がたんだんなくなっていきます。

他のこともすべてそうです。

家族のために…で過ごしてきたからか、
「じゃぁ自分は何をしたいの?」となると何もない、真っ白です。

【52歳 専業主婦 うさぎ様】

―――――――――――――――――
A:
FROM 川畑のぶこ

人間には、楽しんでエネルギーをチャージしてから仕事をしようと
するタイプの人もいれば、
やるべきこと(仕事)をしてから褒美として楽しもうというタイプの
人がいるかと思いますが、うさぎさんのケースは後者ですね。

どちらが良いということはありませんし、人それぞれではあるかと思います。

ただし、気をつけるべき点は、うさぎさんのおっしゃる様に、
家事というのはこだわりだすと網羅する範囲が際限なく広がっていくので
なかなか仕事の終わりが見えないことです。

家事を自分なりに完璧にこなしたいという意識が強い人だと、
読書などで自分を楽しませることに罪悪感を覚えることも
あるのではないでしょうか。

このような時におすすめしたいのは、
遊びも喜びも人生の大切な仕事と切り替えることです。

私たちの文化・社会では、遊びの価値や自分を喜ばせることの価値
というのはないがしろにされがちですね。

うさぎさんのように、多くの人がそれらは時間が余った時にだけ
己に許可を与えているのではないでしょうか。

ところが、生きる目的は幸福を体験すること。

このことを思い出し、人生の大切な仕事として優先順位を高くして、
日頃から意識的に時間を取ることをおすすめします。

スケジュール帳に具体的に何曜日の何時から何時まで「読書」
と記入してみてください。

人生の目的に通じるその仕事を実行するために
家事のいくつかは手放すようにしてみてはいかがでしょうか。

それでも人生は機能しますし、
むしろ以前より機能的になるかもしれません。

うさぎさんご自身の幸せも、娘さんや家族の幸せ同様に
達成されるべき大切なものであることを忘れないでください。

Portrait of happy woman sitting on sofa

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【Q】自分を大切にするには?

断捨離の実行には自分軸で生きることが不可欠だ
と書かれていますし、私もそう思います。

でも、現実は夫や娘たちの意見ややりたいことを優先させることが
習い性になってしまっている自分がいます。

昨日も旅行中、博物館で見たい展示があったのに、
中で子供が喜びそうなイベントをみつけた途端、
その展示のことは頭から消え、イベント向かう自分がいました。

結局、子供たちはそれほど興味を示さず、
私は見たい展示が見れずで、我ながら何をしているのかとガックリ。

自分に自信がないのではないかと思います。

こうしよう、こうしたいと家では考えてしながら出かけても
その場で他の人に何か言われるとコロッと自分の考えを捨ててしまうんです。

まるで自分を捨てているようです。
どうすれば自分をもっと大切にできるのでしょう。

【55歳 主婦 アグネス様】

―――――――――――――――――――――――――――――
【A】
FROM 川畑のぶこ

アグネスさんのように、自分のことよりも
子どもや夫のことを常に優先する母であり妻は多くいると思います。

自分軸を実践する際に、必ずしも他人を満たすことを優先してはいけないか
といえば決してそうではありません。

私たちの喜びには、自分で自分を満たす喜びと、愛する者を満たす、
または愛する者が満たされる喜びとがあります。

どちらも大切な喜びあり大切な心理的ニーズです。

自分の喜びは相手の喜びであり相手の喜びは自分の喜びという
非二元性に気づくことができたのであれば、この上ない幸せではないでしょうか。

アグネスさんが博物館のケースでは
「私は私自身を満たすために相手を満たそうとしている」と
より自覚的に意識して子どものためのイベントに行けたのなら、
苦しみは減ったのでは無いかと思います。

私たちはそのことを歪曲して、自己犠牲を払い相手を満たしてあげている
という意識があるので、恩着せがましさが出てきてしまいます。

すなわち、相手が喜べば自己犠牲のお手柄であり、
喜ばなければ、自己犠牲を払ったのに、見返りが得られず損をした
という心理状態に陥るのです。

こうして落胆したり怒りを覚えたりします。

自分のニーズでなく、相手のニーズのためにやってあげているのだという幻想を
自分が相手の喜ぶ顔が見たいから、そのことによって「自分を満たしたいから」
やるのだと意識を切り替えることです。

そうであれば結果への執着は減るでしょうし、とらわれから解放されるでしょう。

子ども達は喜ぶかな?どうかな?という、子どものイベントへ行くプロセスそのものが
すでにワクワク感をもたらす喜びだと知り、結果は嬉しいことも残念なこともある。

これは、自分を喜ばそうとして某のイベントに参加しようとしたときも一緒。
喜ばしい結果のこともあれば残念な結果のこともあるでしょう。

人生とはそういうものであると受け入れ、うまくいかないチャンスもあるからこそ
うまくいったときの喜びも大きいことを受け入れることが出来たのであれば、
落ち込みも減るのではないでしょうか。

自分を満たすか相手を満たすか、両方大切ではありますが、
そのバランスも大切にしてみてください。
人によってそのバランスも違ってくると思います。

アグネスさんの場合は、前回は子どもを優先して満たそうとしたので、
今回は自分を優先して満たそう、というようなバランスの取り方も
良いかもしれませんね。

もちろん、自分を満たすときに、必ずしも家族を巻き込むイベントとは限らず、
家族抜きの場で前回のバランスとして自分を満たすことだって可能なわけです。

自分を満たすイコール誰かが犠牲を払う必要はありません。

人の意見や反応に影響を受けないところで、
まずは自分を満たす練習をしてみてはいかがでしょうか?

superhero

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――――――――――
【Q】真面目すぎる私…

私は小さい頃から両親に厳しく育てられてきました。
そのため、全ての面においてとても真面目に育ちました。
なので、ふざけたことや、人様のご迷惑になることも、
もちろんしたことはありません。

目上の方への接し方、学校でのあり方、きちんとしつけられました。
そのお陰もあり面接や先生や上司からは私の評価は悪くありませんでした。

真面目だけが取り柄の私。

同僚みたいに愚痴ばかり言ったり、上手にさぼったり、上司に媚を売ったり
したことがありませんし、出来ません。

仕事中はいいのですが、飲み会とかになるとお酒を飲めない私は、
ますます浮いた存在になり、皆みたいにワイワイ騒げません。

冗談すら言えません。

ただ微笑んでポツンと座っている感じで孤独です。
二次会のカラオケもオンチなので苦痛です。

なんだか、真面目過ぎる自分に嫌気がさしてきます。

学生時代でも、校則守らない人や、わざと宿題して来ない人や、さぼったり
してた人の方が人生エンジョイしています。就職、結婚など。

時々悲しくなります。

今までいい子でいて来たのに、それが悪かったんじゃないかと。

自分が嫌いになりそうで怖いです。
両親を恨みたくもなります。

真面目ってなんなんでしょうね?
つまらない悪いイメージですよね。

【30代 パート 匿名希望】

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【A】 FROM 川畑のぶこ

真面目がつまらなくて悪いイメージなのですね。

真面目で周囲に対して誠実に対応ができることは長所ではないでしょうか。
ただし、反面、生真面目だと堅苦しさがあり、
周囲との関係をギクシャクさせることもあるでしょう。

過ぎたるは及ばざるがごとしですね。

真面目なのが問題なのではなく、
真面目「過ぎた」から歪みが生じてしまったのではないでしょうか。

自分の真面目な個性は否定することなく受け入れた上で、より柔軟にものごとを
楽しむことを、これから身につけていくことを大切にしてみてはいかがでしょうか。

「このように育ってきたから無理だ」と決めつけずに、
「このように育ってきた結果、学んだので、ここから改善しよう」という姿勢ですね。

始めるのに遅すぎることはありません。

今までの人生を無駄にしたと思うのなら今後の人生を無駄にしないよう
意識してみてください。

周囲もあなたの真面目なところや誠実なところは理解されているでしょう。

周囲と調和するのに必ずしもお酒を飲む必要もありませんし、
ワイワイ騒ぐ必要もないでしょう。
気の利いた冗談を言う必要もありません。

友人等が騒いだり冗談言ったりするのを微笑んで楽しむことも大事な役割です。

冗談を言う人やカラオケを歌う人がいたなら、それを聞く人だって必要なのです。

きちんとそのような相互共存の関係性の中に自分が存在しているのだということ
を思い出してみてください。

決して孤立しているわけではありません。

ただし、心のどこかにワイワイ騒ぎたい自分がいるのであれば、
友人や周りの人々に、自ら「もっと楽しくワイワイやりたい私なんだ」
と伝えてみてはいかがでしょうか。

そんなあなたの意を汲んで、相手が誘って来たのなら、その気になって一緒に
ワイワイしてみるのも良いのではないでしょうか。

かたちから入っていくうちに盛り上がることもあるのです。

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皆さん、こんにちは。川畑のぶこです。

とても暑くなりましたが、皆さん、夏バテなどしていませんか。
先週、私は、蒸し暑い日本を脱出して、過ごしやすい気候のロサンゼルスに一週間行ってきました。

いつもは、皆さんからのお悩みのご相談にお答えしていますが、今日は、このロサンゼルスの旅で私が気づいたこと、感じたことを皆さんにシェアしたいと思います。

前回のメルマガでお伝えしましたが、この旅に先だって、私は左足を捻挫してしまいました。
旅の2週間前にギブスをはめられて、3週間は着けたままでないといけないとのことで、すごく憂鬱な気持ちで、自分の不運を呪っていました。

でも、そんな中にも意味があるということを、私自身、サイモントンの教えから学んだり、実践したりしていますし、何よりも、日々臨床で向かい合っている患者さんたちから、辛い病気の中にも必ず意味があるということを教えられています。

今回のけがもきっと何か意味があるのだろうと思い、「さあ、いったい何が起きるかな。何を学べるかな」という好奇心に切り替えることにしました。

すると、どうでしょう。
ハッピーでラッキーなことが次々と起きましたよ!

意味のない出来事など、ありません。
目線をちょっと変えてみるだけで、世の中や周りの人たちはまったく違って見えてきますし、そこからたくさんの気づきを得、恩恵を受けることができるのです。

さて、私が体験した、豊かで幸せな出来事の数々。
続きはビデオでお話ししています。
あなたにもハッピーが訪れますよう、ぜひシェアさせてくださいね。
https://youtu.be/1oygltY4sKM

 

PS
「最近、なんだかツイてない」
「私にばかり不幸が襲ってくる気がする」
……嘆きたくなるような気持ちになることが多いなら、
こちらのプログラムが役に立つかもしれません。

http://www.kawabatanobuko.com/sp/CPK_KSM/index_kw.php

 

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150727

皆さん、こんにちは。川畑のぶこです。

 なんと、靭帯を損傷して、今、左足の足首にギブスをし、松葉杖をついています。
ちょっと青信号の短い交差点を小走りしていて、段差のところでグキッとやってしまいました。

 アメリカ出張があるのに、ギブスで行くということになってしまい、
私にとって大変なニュースではあるのですが、
ただ、私の師匠であるサイモントン博士の「病気やけがはいつも恩恵がある」という教えの通り、
私も恩恵をたくさん受けています。

 全てがゆっくりになりました。
歩く速度も二分の一。計画立てるときも全部、早め早め。
そして、周りがとても優しく、エンジェルのようになりました(笑)。

 自分自身をケアする、もてなすというのは、日頃きちんと意識をしないとなかなかできないのですが、
病気やけがというのは、それを強制的にさせてくれます。このギブスに感謝です。

 電車に乗っても人がちゃんと席を譲ってくれる。
人々の優しさや思いやりを感じる、なんだか豊かな、充足する時間になっています。

私は特に、このところ忙しく突っ走っていましたので、
スローダウンする、一歩一歩味わって歩く、空気を感じながら歩くということを意識しています。
これはとても豊かな感覚です。

 皆さんも、けがをしたり病気になったりしたときには、
もちろん痛かったり苦しかったり、失うものもたくさんありますが、
その分、得られている恩恵もたくさんありますから、
そこに目を向けてじっくり味わうということをされてみてください。

 さて、今日も読者の皆さんからいただいた相談を一つご紹介して、
私なりのアドバイスをさせていただきたいと思います。

 「毎日を元気に楽しく暮らす方法を知りたい」というリクエストです。
ちょっと漠然としていますね。

 「普段何をしていても、気づくと寂しい自分がいます。
どうしたら悔いのない人生が送れますか? 
私には、夫も子どももいます。(中略)多分、家庭円満だと思います」
とのことです。

 「寂しさ」と「何となく、何かが足りない」という物足りなさがあるのかな、
と文面から感じました。

 そして「家庭円満です」ではなく、「“多分”、家庭円満だと“思います”」というところ。
これは、軸が自分ではなく、誰かになってしまっていないか。
世間になってしまっていないか、ということを注意してみるといいと思います。

 キーワードは「Me First(まず、自分)」。
そして「今日この日」に目を向けることが、とても重要です。

 続きは、ビデオでお話しします。

―――お願い―――

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Glaskugel

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【Q】占いの結果をひきずってしまいます

悩みと言えるものではないかもしれません。
どういう風に気持ちを切り替えれば良いのか教えてください。

知人に四柱推命のように星まわりで運勢を見る人がいます。

息子と今付き合ってる彼女の相性や、私の属している仕事のこと。
具体的に言うと
「今付き合ってる彼女との相性は、遊ぶことに関しては良いけど
結婚はどうかしら?」と言った感じです。

統計学が基本になっていると言っていますが…
何かしら悪いことがあったら「ほらねー」ってそこに繋げてしまう。
心では(そんなの100%の確率じゃないでしょ)って思うのですが
一度そういうのを耳にすると
いつまでも心の中に言われた言葉が居座っています。

これはどうやって気持ちの切り替えをすれば良いのでしょうか。

【60代 自営業 匿名希望】

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【A】FROM 川畑のぶこ

それが占いであれ、医学であれ、心理学であれ、
統計やエビデンスは大いに参考にされたらよいと思います。

ただし、それが占いであれ、医学であれ、心理学であれ、
問題は専門家がそれらをどのように取り扱うかということで、
このことに関しては、それぞれの倫理観や生きる姿勢に委ねられますね。

Doing(内容) ではなく
Being(あり方)の領域です。

己の結果のために相手をコントロールしようという動機から
それらを扱っているのであれば、これは少々暴力的です。

ひと呼吸置いて関わり合い方を考え直すのも良いかもしれませんね。

それが慈悲の心から扱われており、相手の言葉や態度に思いやりや敬意を
感じることができるのであれば、耳を傾ける価値はあるのではないでしょうか。

統計もさまざまな学問も、人間が豊かに人生を送るために使うものであって、
使われるものではありません。
自分の人生のための学問であり、学問のための自分ではないのです。

あくまでもご参考まで、占いやタイポロジー(タイプ分析)などを用いて
アドバイスやコミュニケーションをしてきたりする人と関わり合うときに、
川畑が個人的に気をつけている三つのポイントをお伝えしておきます。

まず、相手が伝える内容(たとえば四柱推命)が正しいかどうかではなく、
「それを専門的に扱っている人が、人生を豊かに機能的に生きているか、
魅力的かどうか」を観るようにしています。

相手が生き証人になれているかを観るのです。

このような学問を習熟した結果、性格も人生も私が目指す素敵なものになるのだな、
と思えたのなら、その相手の耳を傾け参考にするようにしています。

二つ目には、ものごとを伝えるときに、あくまでも可能性として伝えているのか、
それとも伝える内容を絶対化しているのかにも注意を向けます。

人生に「絶対」ということは無いので、
自分のアドバイスを絶対化してしまっている人は要注意だと思っています。

自然を相手にするときは、謙虚さが必要です。

これだけ科学技術が進歩し、万という統計が取れているのに、
いまだに明日の天気を100%正確に当てることは出来ないのです。

統計はあくまでも群の話であって、誰か個人の話ではないということを知り、
そのことをふまえた上で、コミュニケーションがされている人は
健全なあり方やコミュニケーションが出来る人として耳を傾けます。

三つ目に、「問題が起きること=悪いこと」としている人の話は
あまり耳を傾けないようにしています。

人生に問題はつきものであり、それが無くなり、全てが思い通りになることを
目指すのは不毛です。
そのようなことをにおわせる相手の場合は要注意リストに入ります。

それよりも、失敗を恐れず前進する勇気や希望を与えるコミュニケーションが出来るか、
たとえ思い通りにならなかったとしても、それらをしなやかに受け入れて淡々と対処し、
前進するあり方や智慧を提示出来る人であるかどうかを気をつけています。

ご参考になったでしょうか?

私がここで提示したアプローチ含め、与えられているさまざまな情報は活用しつつも、
いちばん大切なのは、自分の心の声に耳を傾けてみることであることをどうか忘れずに。