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Q:1989年から永住しているオーストリアから、日本の母に、
母の日の贈り物をしました。

母は大変難しい性質で、素直でなく、物事を必ず屈折して受け取るため、
私も弟も亡き祖母も そして亡き父も、皆彼女に振り回されてきました。

ご近所からも愛想を尽かされ、2013年には母方の親戚からさえも
「縁を切らせてもらう」という手紙が、オーストリアの私の手元に届きました。

その母は、79歳まで東京/日本橋で仕事をしていて、
私の心配心から(母には年金がありません)、また退職後の休養も含め、
私と愛夫がオーストリアへ母を呼び寄せ、経済的全面援助をしながら同居
して2年半過ごしました。現在母は82歳です。

ところが、幼少(3歳)から ピアノ教育を母より厳しく受けていた私は、
母から逃亡すべく日本を飛び出して24年経った「自立」した生活を
またもや母に脅かされ、トラウマとフラッシュバックに魘され、
食物が喉を通らなくなり、自殺未遂をし、勤務していた音大を年間休職し、
辞職するに至りました。

その間、病院・セラピー治療を受けて、母は日本の実家に帰国しました。

母がオーストリア拙宅で滞在していた間、弟の東京のアパートが全焼し、
弟はその後空き家となっていた「ゴミ汚屋敷実家」に戻り、
母の溜めに溜め込んだガラクタを独りでせっせと断捨離してくれました。

ところが ようやく少し息が出来るようになったその実家に、
私の病気のせいで母親が帰還することに… 。

弟は「姉が困っているならば、協力する」という文面で承知してくれました。

そこから半年が経ちましたが、
ゴミガラクタの再発に悩む弟に、私の罪悪感が止みません。

その挙句、母の日に (ほんの少しの親子の印にと) 送った
プリザーブドフラワーのプレゼントを巡り、私と母との間でメール口論に…。

結果、月曜日に私は
「これだけ分かり合えない、(母親が我が子に自分の正当性ばかり主張する) 親子関係
ならば、このままズルズルと引き摺っていても全く意味がないので、これで縁を切りましょう」
(弟にも転送済み)とメールを送りました。

そこから二日が経ちましたが、なんの音沙汰もありません。

私はメールの送信ボタンを押して後、
少しの間 震えが止まらない状態でしたが、今はスッキリしています。

断捨離を毎日のように実行するうちに、
「自分にとって 不要・不適・不快」であるモノ・ヒト・コト の判別を自分に下す (許す)
のに要する時間が、どんどん縮小し、
この母親への (縁を切りましょう という)提案をメールに書いて送るという行動が、
いわば「直感的」に、何かにインスピレーションを得たかのように、即行動に移りました。

これは、異常でしょうか?

以前の私であれば、世間体や、自己非難、自己批判 (こんな娘ではあってはならない)
の類言に悩まされ、一番過去の厭な思い出を象徴する対象物である母親と、
芋ズル式の関係をズルズルと引っ張って引き摺って参りました。

しかし 断捨離行法を通して、まるで目が覚めたように、
悶々としていた病的なココロが 晴れ渡っていくことを肌で実感し、
「母親は、私をこの世に産み落としてくれた、そしてここまで育てあげてくれた。
父親の大反対を受け続けながら、金銭的に苦労しながらも、
私のピアノ教育に莫大なお金をかけ、東京のレッスンに連れて行ってくれた」

という 過去を断捨離し、
その母親も 肉体・個体という視点では【某体】である、という観点に気づきました。

これは、間違った断捨離的行動判断でしょうか?

自分の視点からは、先ずは母親に自分の意思を表明したわけですが、
その母と二人残された弟のことが、心配です。

長文になり、申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

【拳禅一如・48 歳・主婦業初心者】

――――――――

A:

FROM 川畑のぶこ

親子関係、とりわけ母と子の関係というのは、人生最大の問題であり課題だと思います。

子は良くも悪くも親の価値観には強く影響を受けますし、
幼少期にされた親からの刷り込みによって、
その後の人生を心理社会的にうまく切り抜けるためのサバイバルフォーミュラ
とも言える方程式を作り上げていきます。

幼少期の子どもにとって親は、全知全能の神のような存在で、
親に愛されるか、認められるかは死活問題となります。

拳禅一如さんも、お母様に認められるために、並ならぬ努力をされたことが伺えます。

お母様との縁を切ることが、正しい断捨離かどうかということに関しては、
断捨離には万人にとっての唯一の正解というものはなく、
それぞれにそれぞれの、またその時々の正解がありますので、
今の拳禅一如さんにとって、それが最善の行動だと納得がいくのであれば、
それも拳禅一如さんとお母様が取り組む課題に必要なプロセスなのでは
ないかと察します。

もちろん、お母様にも言い分はあるでしょうが、
拳禅一如さんがお母様との関係が引き金となって、
トラウマでフラッシュバックに悩まされ、
自殺未遂や辞職もしなければならないくらいの背景があることを考えると、
少なくとも今は適度な距離を置くことは健全であるように見えます。

たとえそれが親子であっても、適度な距離感というのは大切で、
それが保たれているが故に相手に悪感情を持たずにすみ、
良好な関係性が保たれることはあります。

縁を切るというのは究極ですが、
これはこれまで拳禅一如さんが、無理して頑張ってお母様に合わせてきた
心理的抑圧が爆発し、反動で一気に対局に振れたような流れにも見えます。

拳禅一如さんが日頃から罪悪感を抱くことなく、適度な距離感を取れていれば、
回避できた可能性も考えられます。

罪悪感は「家族なのだから常に近くにいてあげなければいけない」とか
「母と離れて暮らしている私は親不孝でダメな子だ」などといった不合理な思い
から湧いてくることでしょうし、その感情に突き動かされて
(過剰に相手に合わせるなどの)行動をとってしまいがちです。

親の都合に全て応えられたに越したことはありませんが、
必ずしも親の全てのニーズを満たさなければダメな子、というわけではありません。

たとえ離れていても、常に母のことを気にかける良い娘だと受け止めてみる
ことも大事だと思います。

また、「私はその時点での私にできる最善を尽くしている」ということも
認めてあげて欲しいと思います。

互いのより良い人生や学びのために、今は心の奥底の声に従って、
距離を置くという選択をするのだ、という信念を持って
前進してみてはいかがでしょうか。

距離をとることで、お母様の良い部分に気づくこともあります。

断捨離の「離」には、離れてみて気づく価値という意味があります。

不器用な私たちには、時として、離れなければわからないものもあるのです。

お母様の拳禅一如さんに対する行動には、立ち上がることは大切だと思います。
ただし、お母様の存在そのものを否定する必要は必ずしもないでしょう。

お母様のしてくださったことで
有難いことは否定せずに素直に有難いこととして受け入れ、
それを差し引いてもあまりある苦しみを乗り越えるために、今は距離をとるのだ
と認めてみてはいかがでしょうか。

縁を切ることで、近すぎて見えなかったお母様の価値に、改めて気づける日が
やがて来るのなら、自分にもお母様にも、違いはあるけれど、どちらもOKなんだと、
心底思える日が来たのなら、
真の意味での断捨離を実践されている証となることと思います。

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