Q:いつもたくさんの気付きをいただき、ありがとうございます。
今日は、川畑先生の提唱するMe Firstについて、
もう少し詳しくお聞かせ願えたらと思います。
心理カウンセリング入門プログラムも拝聴し、
Me Firstの大切さ、又今までの自分の在り方が、
いつも誰かのために、、となっていたことが、心のどこかで
常に犠牲になっている感覚や、したことへの期待を持ってしまう事
などに気づかされました。
が、その一方で、周りにはMe Firstを実行し、いつも対人関係がうまく
いってない人や、信頼できない人も多くいるように思います。
具体的には、いつも自分の事を優先にしないと気が済まなかったり、
自分を満足させることには一生懸命でも、人の事はあまり関心がなかったり、
一見親切なふりをしつつ、実はしっかり自分の利益は確保している人、、などです。
勿論、Me Firstが、エゴをむき出しにしたリ、自己中心的になるという事ではない
のは承知していますが、その違いをもう少し詳しく教えていただけるとありがたいです。
私たちの多くは、自分の事を先に考え満たしていく事に、
どうしても罪悪感を感じるように教えられて来ているので、Me Firstの大切さが
わかっても、どこかで引っかかる人もいるのではないかと思います。
宜しくお願いいたします。
【まめ しば・50代・事務職】
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A:
FROM 川畑のぶこ
まめしばさんの真剣に学ぶ姿勢が伺えます。
いつもご参考にしてくださり、ありがとうございます。
Me Firstと自己中心的=わがまま、
似て非なりですね。
これは、Me First がMe Onlyに転じてしまった結果、
問題が起きているのだと思います。
Me FirstはMe Onlyではありません。
Me Onlyは自分さえよければ他人はどうでも良いという姿勢であり、
常にその姿勢が貫かれた場合、
そこに調和はなく、真の幸せにも繋がらないでしょう。
なぜなら、幸せは関係性の中に存在するからです。
自分との関係、他者との関係、世界や全体性との関係、
バランスが大切です。
Me Firstはそのことによって、相手や全体性との調和を含む概念であり、
自身を相手や社会から切り離すものではありません。
Me Onlyではありません。
仏教に利他心という言葉があります。
他人の利益を図る思いやりの精神で、皆さんもよく親から教わった、
馴染みのある概念ではないでしょうか。
仕事仲間で安養寺の住職である、井上寛照僧侶が、
実は「利他」という言葉には前にもう2文字がつくのだと教えてくれました。
そしてそれがとても重要なのだと。
それは「自利」という言葉です。
本来、「自利利他」で一つの熟語なのだそうです。
自利も利他も同義で非二元です。
私たちは相互に依存しながら生きる存在です。
蓮も泥も両方必要なように、それらを切り離された途端、バランスが崩れ
それぞれのいのちが機能しなくなります。
私たちは「利他」ばかりを強調されて育ってきているので
「自利」に罪悪感を抱くようになってしまいました。
自分を大切にするように他者を大切にする。
自分を大切にできない人は他者も大切にできない。
相手を大切にするように自分を大切にする。
相手を大切にできない人は自分を大切にできない。
そこにバランス、調和、秩序が生まれるのでしょう。
私を大切にしてほしい、私の価値を認めてほしい私を愛してほしい、
と訴えるわりに、当の本人は
相手に大切にしてほしいように自分を大切にしていない、
自分の価値を相手に認めてほしいように自分を認めていない、
相手に愛してほしいように、自分を愛していない、
ということが多いのです。
相手のニーズはわからないけれども
自分のニーズなら相手のニーズよりもわかるはずです。
まずは自分のニーズを満たすことで、
それがどのような効果をもたらすのかをありありと実感し、
相手にそれがもたらされたなら、どのような幸せがもたらされるか
実体験を伴ってシミュレーションできるのです。
自他共にニーズが満たされる必要があることを、
実体験を伴って深く理解できたなら、
自分の身を粉にして(やせ我慢をして)相手を満たす必要が
なくなってくることでしょう。
First ということは、必ずそれに続く2nd や3rdがあるということです。
もちろん、Firstと同時に連鎖反応的に相手が満たされていくことも多くあります。
やがて、Firstも2ndもないことにも気づいていくでしょう。
Me Firstはあくまでもそのような実践の第一歩であるということです。
Mr Firstが歪んでMe Onlyになっているのなら、
それは貪りの精神によるものでしょう。
貪りは底なしで、けっして潤うことのない乾きです。
人間にもたらされる伝染病のようなものでしょう。
伝染病からは身を離すように、貪りに巻き込まれないように
まめしばさんご自身を守ってください。Me Firstで。
まずは土手に上がらないことには
濁流に飲まれている人を救うこともできません。
本人が気づかず貪り続けたのであれば、人は離れていく=幸せは訪れない、
そのことに、本人が気づいたのなら、
そこから変化を起こせばよいのではないでしょうか。
人それぞれの成長のタイミングやプロセスを信頼して。
貪る者を満たし続ける努力は誰のためにもなりません。
まめしばさんがそのような人たちから離れて、
あるいは相手の主張を退けて、身を守ることができたのなら、
相手もバランスを学ぶことができるかもしれませんね。
それも慈悲ある行動ではないでしょうか。
慈悲は同調ではありません。
賢い親や賢い祖父母は、子や孫が欲しがるものを
孫の望むタイミングで常に与えるわけではありません。
食事前に飴を与えたら、子は喜ぶでしょう。
ただし、しなやかで強く優しくたくましい子には育たないでしょう。
飴を与え続けることは慈悲ではないのです。
慈悲は時として相手にNOを言うのです。
相手の苦しみの根底にあるものを取り除き、刹那的な快楽ではなく、
真に幸せをもたらす気づきを促せたのなら…
表面的にではなく、その人を取り巻く社会、全体性という深く広い視点から、
相手に対峙できたのなら…
そのために、相手の不都合で自分が嫌われるかもしれないリスクを
勇気を持って背負うことができたのなら…
やがてそこに調和が訪れるのではないでしょうか。
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