Q:私は40代既婚、夫と子ども3人(小5、小3、年長)と暮らしています。
仕事はしていますがお小遣い稼ぎ程度のフリーランスです。
夫も自営業に近い形で働いています。
私の悩みは…
「本当はだらしないくせに、外面は良くしようとする」ことです。
子供の頃から部屋は散らかっていて、
母親には「片づけなさい」と言われ続けていました。
それでも学校では成績は悪くなく、学級委員や生徒会を引き受けたりして、
どちらかというと「優等生」に見えるように努めていました。
それから30年経った今も、同じことを繰り返してしまいます。
役員は引き受けるけれど、家は散らかっていて、家事も育児も中途半端。
おまけに仕事もないがしろになって、
経済的にもグチャグチャで、カードの支払いを滞らせています。
何かの役を引き受けることによって苦手な家事をやらない言い訳ができる…
と薄々感じてはおります。
穏やかで理解のある夫から遂に
「役員はボランティア。仕事じゃないんだからペース配分考えて、
家の事ももう少しやって」と注意を受けました。
遠方に住む母も
「役員などのボランティアは、自分の生活がちゃんと守れる人が
プラスアルファでやることなのでは?」と言っています。
(母に何か言われると、反発したいような、
けれど従わなければいけないような気になってしまいます)
言われたアドバイスはもっともだ、と頭で解っていても、なぜか
「自分そっちのけで、誰かのために何かをしていなくちゃ」
「自分が大変でも社会貢献しなくちゃ」
という変な責任感が働いてしまいます。
ここから抜け出す良い方法はありますか?
【はちどり・41歳・フリーランス】
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A:
FROM 川畑のぶこ
人の役に立ちたい、価値ある自分であることを確かめたい。
このような姿勢で生きることは素晴らしいことだと思います。
「本当の私はだらしない」のではなく、
役立つ自分もだらしない部分も両方あるのが、
本当のはちどりさんではないでしょうか。
はちどりさんの場合、実際に誰かの役に立つことそのものよりも、
目に見えるかたちでの承認をしてくれる人や場を求めていることはないでしょうか。
家庭でも役に立つことは十分できるわけです。
家族の一員として、
母として、
妻として、
娘として、etc.
ところが、身内というのは心の中では認めていたり、感謝していたりしても、
それを見える形で表現することが少ないので、
家庭内での存在価値はない、という自己評価を下されてはいないでしょうか。
はちどりさんご自身、ボランティア仲間に感謝したり承認したりするほどには、
家族に対して感謝や承認の言葉をかけていないということはありませんか?
それでも、感謝がないわけではありませんね。
ご家族も一緒でしょう。
私たちは自己肯定感が低いと、「何者かになる」ことで他人の評価を得て、
自分の価値を高めたりそれを確認したりしようとしがちです。
家庭内でそれができない、と判断するからその場を逃避して、
自分の価値が手にとって感じられる場に関わる時間が増えるのではないでしょうか。
本当はそんなことしなくても、はちどりさんは価値ある存在で、
多くの人から必要とされる存在なのですが。
ボランティアに時間を割くこと自体は問題ではないと思いますが、
家庭に支障をきたすレベルであれば、やはり現実逃避が考えられます。
ボランティアに割く時間を調整して、家庭でも自分は役に立てることを
はちどりさんご自身が再認識してみることは大切かもしれません。
たとえ家族がそれを見えるかたちで表現しなくても、
はちどりさんご自身はきちんと承認してあげてください。
また、はちどりさんが家族に感謝や承認を積極的にすることで、
家族との関係もより良好なものとなり
心地よい居場所ができるかもしれません。
すると、現実逃避をする必要もなくなるかもしれません。
相手から得たいと思っている評価を、まずははちどりさんご自身が
自分に与えているか、ぜひもう一度振り返ってみてください。
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