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Q:いつも興味深く拝聴させていただいています。

以前のテーマ、DVに関し、現実的なアドバイスが参考になりました。

我が家も、そのとき取り上げられていた方とは程度の差はありますが、
DVがありました
自分がいけない、自分が変われば相手も変わると信じ
努力を重ねてきました。

カウンセラー、心療内科、ヒーラー、スピリチュアルな思想を
取り入れているところが多く、
あなたの引き寄せ、恐れやあなたの中の支配欲の投影、
過去の未消化の感情の表れ、被害者、加害者はいない、
前世のカルマと言われ、先祖の因縁、霊障だという人たち、
すごく増えてきました。

SNSや書籍だって、100%自分原因説、ホオポノポノ、
許しましょうとか普及していますよね。

そう捉えるようにしてから、学ぶこともあったけれど、
こういうのにどっぷりつかっていくととても危険だなと思っていました。

今日の先生のご意見を聴いて現実に引き戻されつつある中から、
まだ思考の混乱があります。

今、本当にこういうスピリチュアル思想が蔓延しています。

それで楽になれば良いけど、
高額な金額や恐怖を植え付けられるビジネスも沢山ある。
そういう危険もあることを沢山の人に知っていただきたいです。

見えない世界、何かに頼る、信じることはとても大切だと思うし、
宗教やスピリチュアルを否定するわけではありません。

こういった危険性がありますよと言うことを先生のご意見含めて、
いつかテーマとして取り上げていただくと嬉しいです。

文章が上手く表現出来ずごめんなさい。
宜しくお願いいたします。

【ミリー・40代・看護師】

―――――――――――――――――

A:FROM:川畑のぶこ

ミリーさんご自身が、DVを通して
ご自身の内面を深く探究してこられたこと、その中で得られた
学びと同時に苦労が伝わって来るご相談内容です。

まず、スピリチュアルなものの危険性に関しては、私自身が
ミリーさんが列挙してくださった内容の専門家ではないため、
それらの良し悪しの判断はできませんし、
そもそもその判断をすることが賢いこととも思えませんので
ここでは控えたいと思います。

おそらくは誰かにとっては機能するけれども、
別な誰かにとっては機能しない。
また、あるときは機能するけれども、また別なときは機能しないことも
あるというものではないかとは思いますが。

ミリーさんがスピリチュアルなものに関する川畑の意見を聞きたい
とのことですので、いくつか私なりのシェアをさせていただきます。

ただし、これを鵜呑みにするのではなく、あくまでも参考にして
ミリーさんご自身の正解を出すための踏み台にしてみてください。

スピリチュアルな信念は、目に見えないものに対する信念であり、
その人の宗教的信念、哲学的信念または人生観や死生観などに
現れてくることがあると思います。

それらがどのカテゴリーに属するかはさほど重要ではなく、問題は
それらが信じる者の人生に、健全に機能しているか否かであって、
その健全性は信じている内容そのものもよりも、
それらとの関係性に大きく依存すると思います。

「スピリチュアルなものにはいったいどのような教えがあるだろう?」
「それらから私は何を学びとることができるだろう?」

という客観的な姿勢と好奇心を持って関わりあえるなら
大いに役立つと思いますが、自分では解決できない問題の答えを、
なんでも解決してくれそうな「万能スピリチュアル」に求める依存状態では、
信じている内容が何であれ苦しみは繰り返されるでしょう。

まずは、スピリチュアルの内容そのもの以前に、
それらに関わるご自身の姿勢を俯瞰視してみることをおすすめします。

誰かにとっての薬が果たして、私にとっても薬なのか、それとも毒なのか。
逆もしかりですね。

栄養を摂るのに、お米が正解の人もいれば
ジャガイモやパンが正解の人もいます。
どれか一つが万能である必要はありません。

心や魂の栄養も同じでしょう。
米屋はお米がベストというでしょう。
八百屋はジャガイモが、パン屋は小麦がベストと勧めるでしょう。

それぞれの立場の正解があります。
ですので、鵜呑みにせずに、自身で試してみて、
合いそうなものを選び抜いていく姿勢を育むことが
大事ではないでしょうか。

ただし、飢餓状態のときはジャンクフードでもなんでも飲み込んでしまように、
心が飢餓状態のときは自分にとっての良し悪しの判断をしないまま、
目の前に提供されたものをそのまま飲み込むということが起きがちです。

ですので、信じる対象そのものよりも自身の状態からそれらとの関係性が
不健全になりがちということを意識して関わると賢明ではないでしょうか。

たとえば、カルマという概念の使い方も
「カルマなんだから努力は無駄で諦めるしか無い」
といった文脈にもつかえれば
「努力によって変化を起こすカルマなのだ」という受け止め方もできるでしょう。

「感謝や詫びでことが済むなら世話無い」
という考え方もできれば、

「感謝や詫びはシンプルに聞こえるが、エネルギーを要することで、
言うは易し、 するは難し。だから私のみならず相手も簡単にはできないのだ。」
と、理解を深めるきっかけにすることもできるでしょう。

「攻撃者はNOと言いにくい人を無意識に選びやすい」
と聞けば、

「NOと言わない私が引き寄せたのだから私がわるいのだ」
と、受け止め自責感を募らせる人もいれば、

「そうか、エネルギーを使うし、波風はたつかもしれないけれど、
 NOのときはNOと言えばよいのか」
と、変化を起こすきっかけと受け止める人もいるでしょう。

このように、いったいどのような姿勢でスピリチュアルに関わっているのか
を全肯定も全否定もなく客観的な視点をもって問い直す姿勢は
大事だと思います。

周囲に信頼できる友人や家族がいれば、
あなたのスピリチュアルに関わる姿勢が健全か否かを
尋ねてみるのも良いかもしれませんね。

スピリチュアルに全てをゆだねて自分は努力をしない
(スピリチュアルがぜんぶやってくれる)という魔法の杖を求める姿勢は
信じる対象が何であれ結果は好ましく無いと思いますし、
苦しみを助長させるでしょう。

私たちは皆、試行錯誤を繰り返しながら成長するプロセスにいます。

ですので、矛盾するようですが、そのことを信じて、
瞬時に全てを思い通りに解決してくれる
万能スピリチュアルを求める姿勢を手放すことでより
健全なスピリチュアリティーが育めると思います。

このことから、ミリーさんが挙げてくださったスピリチュアルな取り組みも
機能する人には対象が何であれ機能するでしょうし、
機能しない人にはいずれも機能しにくいのかもしれません。

自分のスピリチュアルと関わりあう姿勢を振り返りつつ、
内容も盲信することなく、そのときどき確認しながら、
どの部分は私に機能し、どの部分は私には合わなそうだから
様子を見てみよう、などというふうに柔軟に向き合ってみると
良いのでは無いでしょうか。

色々と頭の中で巡らして、混乱してきたら、最後は
ご自身の心の奥底の声(直感など)に従ってみるのが良いと思います。

スピリチュアルも、その他の薬や治療も、
依存するものでなく活用するためのものという姿勢で関わってみてください。

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川畑のぶこがお答えします。

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