【友人の不倫について】
Q:川畑先生のメルマガ、ご著書、
メンタルの断捨離セミナーのDVDなどで
いつも学ばせていただいております。
先生の優しさに溢れる言葉に癒されます。
ありがとうございます。
最近よく耳にする「ありのまま」や
心理カウンセラーさんのブログで見かける「全肯定」という言葉を
どのように捉えたらよいのかよく分からず、
先生のご意見をお聞かせ願えたら幸いです。
最近ショックなことがありました。
長年親しく付き合っていた既婚の友人が、
昨年から20歳年下の独身男性と不倫をはじめました。
友人は離婚経験があり、
「旦那のことは愛していないが面倒臭いから二度と離婚はしない、
バレなければ影で何をしてもいい、人生は楽しまなきゃ損だ。」
と言っていました。
友人は自他共に認める頑固者で人の意見を聞かない人です。
唯一不倫を知っていた私は
黙って話を聞くだけでは不倫を助長させるだけだと思い、
離婚する気がないのであれば結婚生活を大事にした方がいいと
アドバイスしました。
友人は怒り、音信不通になりました。
ありのままの友人を受け入れるということは
不倫も容認することだったのかな?
全肯定とは犯罪や非道理なことも
見過ごして認めることなのかな?
全ては本人の課題だ、誰にでも失敗する権利があると、
周囲の人は何も言わない方がいいのな?
最近このようなことを考えて悶々としてしまいます。
健全思考ができるようにアドバイスいただけたら幸いです。
【マナティー・40代・主婦】
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A:FROM:川畑のぶこ
マナティーさんのご友人を大切にされる思いと
彼女の問題を自分のことのように
真摯に受け止める誠実さが伝わるご相談内容です。
ありのままや全肯定に関して、
犯罪や非道理を認め見過ごすのかという疑問をお持ちとのこと。
私自身はマナティーさんが参照された他のカウンセラーさんが
どのような文脈で全肯定のメッセージを伝えているのかはわかりませんので、
そのことに関するコメントはできないのですが、
ポイントはマナティーさんが苦しみを克服するのに
全肯定は良きヒントとなっているけれども、混乱もありうまく機能していない
ということかと思います。
その理由として、全肯定の受け止め方に誤解があるかと思いますので、
その辺の私なりの助言ができればと思います。
おそらくマナティーさんは、全肯定とは
相手の価値観を尊重し、自分の価値観は取り下げる
と思われているのだと思います。
これは全肯定ではなく相手肯定&自己否定です。
全肯定は相手肯定&自己肯定です。
すなわち、相手を否定する自分をも受け入れることを言います。
状況状況に、どちらの価値観が正しいかのジャッジをすることではなく、
人生には好ましいことも好ましくないことも起きるけれども、
そのような状況にも何らかの学びが必ずあると、肯定する姿勢です。
世の中には、ルール通りに沿って生きる人もいれば、そうでない人もいます。
マナティーさんにとってはなぜそのようなことが起きるのか、
ルールとはいったい誰が決めるのか、なぜそれが必要なのか、
人間の本性とはどのようなものなか、
ルールに沿って生きることで、自分も相手も真の幸福が得られるのか
自分や相手の真の苦しみや喜びはいったいどこにあるのか、etc.を、
常識の視点からではなく、純粋な人間の視点から探究し
より深い理解を得るための良い機会が与えられているのかもしれません。
ご友人の視点からすれば、友人であるマナティーさんが反論することで
彼女とは違う社会的価値感を学ぶ機会が与えられているのかもしれません。
ただし、学んだからといって、それを採用するか否かは別です。
全肯定とは多様な価値観の許容のことであり、
調和も衝突も許容する姿勢でしょう。
マナティーさんが今後も彼女と良き関係を築いていきたいと願うのであれば、
一般常識からの批判ではなく、相手のそうならざるを得ない背景、苦しみを
理解し、包み込んだ上での助言だと、受け入れられやすいのかもしれません。
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