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Q:自分のした選択に対して、満足が持続しません。
  
たとえばフライパンを買うとして、
色々見て比べて最終的にAとBで悩んでAに決めたとします。
 
すると、決めた時にはAがいい、
いいのを選んだと満足しているのですが、
買った瞬間からBの方が良かったんじゃないか?
という気持ちがむくむく湧いてきます。
 
買い物に限らずちょっとした選択でも、
自分が選んだ方より選ばなかった方が優れているんじゃないか、
選択を間違えたのではないかという気持ちになります。
 
選択した瞬間に、今まで輝いていたものが
急に色あせるような感覚です。
 
しばらくはウジウジと考えて、そのうち忘れるのですが、
ほぼ毎回このような状態になります。
 
なぜなのでしょうか?
 
【ミルク・40代・パート】
 
―――――――――――――――――
 
A:FROM 川畑のぶこ
 
自分の選択が果たして正しかったのか、誤っていたのか…
 
私たちが時折、
自分自身の行動を振り返って改善に向けて反省するのは
人生を豊かにするのにとても大切なプロセスだと思います。
 
ところが、反省でなく、後悔ばかりしています。
 
しかも、いつまでもウジウジ悩んでしまうとなると
これは人生の質を落としてしまいますね。
 
後悔は、
「別な選択の方がより良い結果がもたらされたにちがいない」
という信念が根底にあると思いますが、
  
さらには、そのことで「人生損ばかりで機能しない」とか、
「取り返しがつかない」などと、背びれ尾ひれが付きだすと、
いよいよクヨクヨ・ぐずぐず・ウジウジモードが強化されてしまいますね。
 
おまけにイライラモードになって
相手に当たったりなんてこともあるかもしれません。
 
まず、ミルクさんの課題の一つは、
人生の選択のすべてに必ずしも正解があるわけではないという、
ファジーさを受け容れる姿勢を育むことかもしれません。
 
フライパンにしていえば、AもBも正解になりうるし、
同時に不正解にもなりうるのです。
 
Aを買って、やっぱりBだと思ったなら、
使ってみて本当に自分に合うものがわかるという
大切なプロセスを体験したかもしれませんね。
 
人間関係だってそうです。
 
最初は良い人だなと思って付き合ってみたけど、
ちょっと違ったなど、時間の経過とともに
関係性が変わってくることはよくあります。
 
かといって、その人との関係が最初から
不正解だったかというと必ずしもそうとは限りません。
 
わたしたちは、人生をかけて自分探しをしています。
 
苦手な人と付き合ってみて初めて、
自分が真に求めているものが浮き彫りになったり、
大切にしたいものが明確になったりすることもあるのです。
 
そうであれば、それを気づかせてくれた関係は
決して不正解ではないのです。
 
私たちは幼い頃から、失敗をしてはいけない、
損をする、と親に言い聞かされてきたかもしれません。
 
子どもに苦労して欲しく無い、親なりの愛情表現でしょう。
 
ところが、残念ながら、人は失敗を免れない存在です。
 
ですので、徹底的にコントロールさえすれば失敗はない、
という前提で人生を歩むとかならず失敗するのです。
 
この場合、私たちは、
「失敗」に対する考え方そのものを変える必要があります。
 
失敗したからこそ学べるものがあると。
 
そして、もちろんAをBに変えることも、
Aの良いところに目を向け、ご縁を大切にすることも可能です。
 
「人生に後悔はつきもの」という潔さは私たちを自由にしてくれます。
 
たとえ後悔しても、大抵のものは埋め合わせが可能だったり、
取り返しがついたりするものです。
 
すなわち、人生はたとえ思い通りでなくても
それなりに機能するはずです。
 
ミルクさんは、
いちど決めたら、ずっとそれを守り続けなければならない
という考え方もお持ちかもしれません。
 
その姿勢も変えることができます。
  
その発想から始めてみたけれど、実際は予測とちがったので、
修正や改善を図るなど善処すればよいと。
 
失敗や後悔を糧にすることで、
私たちの人生には、より深みや奥行きが出てくる
ということも覚えておいてください。
 
 
          
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