今日は皆さまからのご相談にお答えするQ&Aはお休みにし、
川畑のぶこからのメッセージをお届けします。
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FROM 川畑のぶこ
心理臨床の現場は
さまざまな心理的課題をもったクライエントが訪れます。
症状はそれぞれに違っていても、
心の深い部分を探っていくと、
多くは人間関係の課題にたどりつきます。
そして、人間関係の中でもとりわけ重要な人間関係で
私たちの人生に大きく影響を及ぼすのが親子関係です。
私たちは、言語的にも非言語的にも
親から多くのメッセージを受け取っており、
それぞれの状況に照らし合わせながら、
いかに愛を獲得していくか(あるいは愛を実現するか)
の人生ゲームを始めます。
器用に前進する人もいれば、
不器用に転んでは起きながら前進する人もいるでしょう。
あるがん患者さんは、当初、
病気に対する不安や恐怖の相談でしたが、
やがて一人娘との親子関係に悩んでいること、
それが人生のいちばんのしこりであり、
命があと僅かであるとすれば、
それが心残りであることを打ち明けられました。
反抗期の娘さんは、
最初は頑なにカウンセリングを拒んでいたものの、
まずは1対1で面談を、そして最終的に
親子カウンセリングを3人で行うようになりました。
母親から厳しく育てられた彼女は、
名門の女子中・高校を卒業し、大学に進学しますが、
途中から不登校になります。
心配する母親は、なんとか復学させたいと娘に対して
頑張って大学へ行くよう伝え続けますが、
そうするほどに娘は貝のように心を閉ざしてしまいます。
カウンセリング中の娘さんの口からは、
自分を受け入れない母親へ対する恨みが
堰を切ったようにドロドロと溢れ出ました。
三者面談では、娘の訴えを鬼の形相で見つめる母親の姿があり、
しばらくはそんな緊張感ある平行線のカウンセリングが続きました。
ただし、娘の恨みは、彼女自身が自分に完璧を求めるがゆえに、
そしてそれが出来ず、母親の期待に答えられないがゆえに、
自分を認められず、苦しくて溢れ出ているものだというのが
伝わってきます。
彼女は、本当はお母さんが大好きで、
期待に応え、認められ、愛されたかったのです。
恨みの大きさは愛の大きさの裏返しでした。
母は母で、娘に幸せになってほしいが故に、
良い教育を受けさせ、良い仕事について、
良い結婚をしてほしいと願っていました。
完璧な母になることを自身に厳しく課していました。
「娘のため」と信じて…
そんな過剰な厳しさもまた愛の裏がえしであり、
それは、娘が望んではいないかたちで表現されていました。
お互い、素直に愛を表現できれば楽になれるのですが、
なかなか素直になれません。
それが親子ってものかもしれませんね。
いかにも、わたしたちはいびつで、不器用で、愛すべき存在です。
月日が経って、
母親がいよいよ余命いくばくもないという宣告を受けます。
命に限りがあることを知ったとき、
母と娘の関係は一気に前進しました。
母は「もう、あなたは何者にもならなくていい。
ただ、あなたがあなたであればいい。
私はそんなあなたが大切で心から愛している。
いままでごめんね。」と。
娘は「お母さん、ごめんなさい。私もお母さんが大好き。
いままでも、一生懸命育ててくれてありがとう。
死なないで。どうか生きていて。」と。
心の底の言葉を柔和な表情で交わすようになりました。
二人の関係性は、「私を理解してほしい!」
と自分ばかり向けられていたものから、
真に相手を思いやるものに変化していきました。
やがて、娘は社会に飛び立つ心の準備ができ、
就職活動をするようになりました。
このように、親子の課題をクリアして、
母親は穏やかに旅立って行きました。
残された娘さんは、もっと自分が早く変わっていれば
お母さんを幸せにできたのにと後悔することもありました。
でも、すべては完璧なタイミングで計らわれています。
母親はそんな娘の思いをきっと、
天から優しい微笑みで見守っていることでしょう。
私たちは、「明日は今日の続き」と漫然と生きているので、
ときとしてこの親子のように病気や死を意識しなければ、
緊急性をもって必要な変化を起こせないこともあります。
その瞬間、瞬間が、二度と訪れることない
万華鏡のような時間だと知ったなら、
そして、今日この日が人生の卒業式と知ったなら、
関係性もまた変わってくるのかもしれませんね。
それが病気であれ親子関係であれ、
こんなことが私の身に降りかかるなんて、と、
一寸先は闇だと嘆くこともあるでしょうが、
おなじように、一寸先が光のこともあります。
その光を信じて前進することができたのなら、
人生は希望に満ちたものになるのかもしれません。
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