Q:同居していた母が介護状態(要介護4)となり、
しばらくは在宅介護をしていました。
同居の介護人が私一人であるという状況、
また私も仕事を続けておりますので、
介護サービス等を利用して、
できるだけ家で過ごしたいという母の望みを
叶えたいと頑張ってきましたが、
自分の時間はほとんど母の事に費やし、
朝から晩まで四六時中気の抜けない生活に、
これでは私の方もまいってしまうと考え、
母には施設に入ってもらいました。
母は認知症には至っておらず、
パーキンソンの症状があり、
足が全く動かないだけですので、
頭がはっきりとしている状態での入所は、
母にとって、とてもつらいものがあると思われます。
現に入所が決まった時
「刑務所へ行くみたいだね」と言って、
仕方ないから行くのだという様子でした。
私に迷惑をかけたくないけれど、
自宅にはいつまでも居たいという母の気持ちを思うと、
果たしてこれで良かったのかと、
気が付くと母の事ばかり考えてしまい、
気持ちがもやもやして仕方ありません。
後々母が居なくなったとしても
こんな気持ちを時々思い出しては引きずるのだろう
と思うと、いたたまれなくなります。
かといって、
また再び在宅介護に戻れるのかと想像しても、
それも今の私にはできません。
毎日、こんな葛藤ばかりしています。
【いなばの白ウサギ・60代・女性・団体職員】
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A:FROM 川畑のぶこ
働きながら親を介護するというのは大変なことです。
要介護度が高くなれば、当然のことながら
介護者に強いられる犠牲も高くなりますから、
いなばの白ウサギさん(以降、白ウサギさん)の
ご苦労は察するに余りあります。
少子化・高齢化が進む現代はなおさら、
一人で両親を介護するケースなども増えていますし、
白ウサギさんが抱える課題は社会全体の課題です。
人は一人では生きられませんし、
互いに助け合いながら生きるものです。
ただし、一方に多くの犠牲が強いられる状況は
長く継続することはできませんし
やがてケアギバー(ケアする人)が心身を蝕み、
関係性を悪化させかねません。
この状況は避けなければいけません。
私達は可能な限りの努力はしつつも、
持続可能なサポートのしくみと関係性を
構築する必要があります。
そのためには、ケアギバーが一人で抱え込まずに
サポートのネットワークを拡充して
バランスをとることは必須です。
ですので、白ウサギさんの判断は正しかったのです。
お母様の「刑務所に行くみたいだ」という言葉は
ケアする側の罪悪感を刺激するものですが、
かといってその言葉を鵜呑みにして
刑務所のようなところへ行かせないようにすることが
真の思いやりかといえば、
先の理由からはそうとは限りません。
思いやりとは
相手の思い通りにすることではありません。
互いが互いを思いやりつつ、
その時点でできる最善をすること、
できないことは互いに我慢することを学ぶ試練でしょう。
「一方が」ではなく、「互いに」です。
もちろん、介護される側は介護度が高いほどに
絶対的に誰かの「手」が必要で
丁寧にケアされる必要がある場面は多々あります。
かといって、
それが「好みの誰かの手」である必要はなく
「適切な誰かの手」であることが大事です。
お母さんに楽をさせてあげたいという
白ウサギさんの思いに偽りはありません。
白ウサギさんは自分がすべてできたに
越したことはないですが、
できないため、悩みぬいた結果、
適切な介護者をお母さんに手配することで、
楽をさせてあげました。
これは立派な思いやりです。
一方で、お母さんも
好みの娘がお気に入りの家で
すべてしてくれたに越したことはないですが、
人生のままならなさを受け入れ、
刑務所のように感じるかもしれないけれど、
娘ができる最善を尽くしてくれたことを受け入れることで
思いやりを実践する試練です。
そして、施設は入ってみれば刑務所ではないことは
言うまでもありません。
高齢者や肢体不自由な人のために尽くしたいという
思いやりのエネルギーのある場です。
自分のように相手の苦しみを取り除き、
やすらぎをもたらせたいという心から、
血が繋がらなくとも家族のように
大切に人と向き合おうという人がいるのだと気づき、
感謝する機会となるかもしれません。
人から感謝される仕事をしたいという人は
自分以外にもいるのです。
ぜひそのことを信頼してみてください。
このように自分を許す気持ちと、
さまざまなものを受け入れ信頼するレッスンが
白ウサギさんにもお母様にも与えられている
ということをぜひ思い出してみてください。
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