断捨離メルマガ読者の方からいただいた、
川畑のぶこへの相談をあなたにシェアします。
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【Q】義弟妻への嫉妬心
義弟夫婦が来るたびに、嫉妬してしまい、
そんな自分が嫌になります。
私はでき婚で、結婚式を挙げていません。
1年前までアパートで核家族で暮らしていましたが、
諸事情で義両親と同居になりました。
義弟夫婦はつい先日結婚式を挙げ、ハネムーンに行きました。
そのビデオをうちで見せてくれたのですが、
うらやましくてとても凹みました。
義父は「義弟妻が一番きれいだ」と何度も口にします。
義弟妻は、いわゆる女子力が高いタイプで、
外見に気を使っているし料理や裁縫が得意な人ですが、
私はというと趣味はパソコン、アニメオタク、家事全般が苦手
というキャラで、一般的には女子力は低いタイプです。
そこにも劣等感を感じます。
1年前くらいまでは、「他人と比べるなんてナンセンスだ。
自分が世界で一番幸せ」と本気で思っていたのですが、
最近他人と比べて、自分の不幸な部分を探すようになってきました。
自分磨き本も読むのですが、自分をプラスの方向へ持っていく
気力がない感じで、凹む方にエネルギーを使ってしまいます。
毎日イライラばかりしています。
イライラの原因は同居にもあります。
頭では、自分に起こることはすべて自分の責任と考えているの
ですが、心が、他人や環境のせいにしたがります。
唯一の救いは、そんな私の文句を、主人が黙って聞いてくれる
ことです。
いつまでもぐちぐち言っている自分が嫌になるのですが、
凹んでいる状態でいたいような行動をとってしまいます。
本心は、主人に積極的に結婚式のことを考えてもらいたい、
行動を起こしてもらいたい、という感じだと思うのですが、
そのことを話しても主人はなかなか動いてくれません。
動いてくれないことが不満で、凹んだ状態をキープしたがってる
のかな?と自分で分析しています。
だからといって、他人を変えることはできないので、
自分が変わるしかないのですが・・・
結婚するまえに子供ができたことを口では二人の責任といいながら、
気持ちは主人のせいにしているからかな?とも考えました。
付き合っているときは「嫌」が言えず、せっかくがんばって
「嫌」と言っても、何となくかわされ、流された結果なので、
「私は努力したのに、その努力をくみ取ってくれなかったせいだ!」
と言いたいのかな?と思います。
それにしたって自分のせいなのですが・・・。
主人は、「自分の責任だ」と言います。
責任を感じているというのですが、行動が伴わない感じです。
私は、そこに不満を感じていると思われます。
いろいろ自己分析してみるのですが、
「では、どうしたら気分が浮上する?」と考える段階になると、
どうしたらよいかわからないのです。
【29歳 女性 医療職 匿名希望】
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【A】FROM 川畑のぶこ
自分と義弟さんの妻とご自身を比較をしてしまい
苦しくなっているとのこと。
身の回りに起きていることを観察して比較すること自体は
自然なことであり、日常で役立つ側面が多々あります。
比較すること自体は決して悪いことではありません。
ただし、比較した結果、そこにどのような意味をつけるか
によって、私たちは一喜一憂しますね。
「私はあの人に比べて背が高い。」という比較があったとします。
ここでは、ただ事実としての比較だけが存在します。
ここに「高いところに取る必要のあるものがある」という状況が
加味されたとします。
するとどうでしょうか、「あの人に比べて私は背が高いから、
高いところいあるものは私が取ってあげよう。私の身長は
なかなか役に立つなぁ。」と思いやりの念から淡々と行動すること
もできますし、「あの人に比べて私は背が高いから、高いところに
あるものを取ってあげなければならず手間が増える。私の身長は
損だなぁ。」と不公平感からしぶしぶ行動することもできます。
事実は私は相手より身長が高いということだけで、本来、
ここには良い意味も悪い意味もついていません。
無論、意味をつけることが悪いわけでもありません。
人間は人生に意味を求めるものです。
そのことが悪いのではなく、問題は、それに気づかないまま、
いたずらに流されてしまい、日々の質が損なわれることです。
まず、周囲と比較をして落ち込んでいる自分に気づいたなら、
「自分はいまこの状況に対して、どんな意味づけをしているのだろう?」
と観察してみてください。
そして「こういう意味づけをしているから苦しいのだなぁ」
と、洞察してみてください。
「私は結婚する前に子どもができて、式はしていない」という事実が
あります。そして比較対象の義弟妻のケースに
「彼女は式をして子どもはいない」という事実があります。
起こっていることはこれだけです。
このこと自体にはなんの意味もついていません。
そこに、「私は早くに子どもに恵まれて、祝福されているな。」
と意味づけをして幸福感に浸る人もいれば、「順番が逆で非常識だ」
と意味づけをして自他を裁くこともできるでしょう。
「でき婚で式も出来ずみじめだ」と意味づけをして落ち込むことも
できるでしょう。
大切なのは、自分がどんな意味づけを採択し、その結果どんな感情に
なっているのかに気づいてあげることです。
「義父が彼女はいちばん綺麗だ」と結婚式の写真を見て繰り返した。
「彼女は外見に気を使う人で、家事が得意だ」という状況を
どう受け止めたのでしょうか。
「だから自分は女性として価値がない」
「だから私が愛されるわけがない」でしょうか、それとも
「私は自然体だ」「そんな私を好きな人もいる」でしょうか。
また、そもそも匿名さんは誰に愛されたいのでしょうか。
関わる人(関わることになった人)みんなからでしょうか。
そうであればそれは諦めるが吉です。
みんなから愛されるというのは不自然であり不可能なことだからです。
事実は、「この世の中には私を愛する者もいればそうでない人もいる」
ということでしょう。
まずは、相手に愛を求める前に、自分に最も近い自分自身が、
相手にして欲しいように自分に接しているのか、
もういちど振り返ってみてください。
難しい課題を避けたいから他人任せにしてしまっていないかを省みつつ、
ぜひ、「もうひとつの視点」と戯れてみるということから
はじめてみてください。
「私は世界で一番幸せ」というポジティブ思考よりも、
「私は私なりに幸せ」という健全思考を身につけることができたなら、
人生はより軽やかなものになるのではないでしょうか。
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1 件のコメント
「私は私なりに幸せ」
本当にそうですね。
厭なことがあっても、嫌なことばかりではない。
自分を悲劇のヒロインに仕立て上げなくてもいいのですね。