FROM 川畑のぶこ
学生時代、忘れもしない、こんな出来事がありました。
私はボストン郊外の小さな女子大に通っていたのですが、
最初の数ヶ月は言葉が上手に話せないことを引け目に感じて、
あまり他の学生と交流せず、ある場所に引きこもっていました。
それは、寮の自室ではなく、キャンパス内のチャペルでした。
チャペルはミサの時間や特別なセレモニーなどがあるとき以外
はたいてい誰もいません。
ピアノやオルガンが置いてあるので、
音楽を我がよき友として、何時間も飽くことなく音と戯れていました。
ある日、いつものように人目を気にせずジャンジャカ鍵盤を叩いていると、
チャペルの重いドアが軋みながら開いて、
一人の背の高い高齢の男性が入ってきました。
恐縮して弾くのをやめると、
「そのままどうぞ」と笑顔でその男性が近づいてきました。
彼は音楽の教授でした。
チャペルのオフィスにいるシスターから
「毎日ピアノを弾きに来る日本人の生徒がいる。 一度、聴きに来たらどうか。」
と連絡をもらったとのこと。
私はチャペルにオフィスがあることも、シスターが常駐していることも知らず、
ときには伴奏しながら大声で歌うこともあったので、
それはそれは顔から火が出る思いでした。
教授は私のピアノを聴いて、音楽と合唱のクラス(兼クラブ)で
演奏と伴奏をしてくれないかとオファーしてきました。
NOと言えない日本人の私は、恐縮しつつも
ありがたいそのオファーを受けることにしたのですが、
結果とんでもない経験をすることになりました。
小学時代や中学時代も、合唱のピアノ伴奏はお決まりだったので、
いつもの要領でと、受け取った3曲の楽譜を読み込んで
日々練習に励みました。
初見で譜を読めない私は、
一つの伴奏をマスターするのにたいてい1-2週間はかかります。
その日からピアノは気ままな時間ではなく宿題か仕事の位置付け
となりました。
ちょっとしたミスタッチはあるものの、
伴奏として遜色ないだろうと思われるレベルまでようやく仕上げ、
いざ初めての合唱団の伴奏の日を迎えました。
生徒たちも初めての曲のせいか、曲が難しいせいか、
覚えがわるく、なかなか美しいハーモニーになりません。
私は指揮者である教授の指示に従って、何度も同じ章節を
繰り返して弾くことになるのですが、しばらくするとある生徒が
「私はこの歌は好きではありません」
と言い放ちました。
『え?何言ってんのこの人?』
と耳を疑いました。
『そんな…教授に反抗するような態度をとったら
成績落ちるじゃないか!』
と、いらぬ心配まで。
あーぁ、こういうワガママがいるからクラスが進まないんだよな、
さぁ教授に注意されるぞ、と思いきや…
さらに耳を疑う言葉が教授の口から放たれるのでした。
「そうか…では、 この曲があまり好きじゃない人は挙手して」
と。
するとどうでしょう、半分くらいの生徒たちが
堂々と手を挙げるではありませんか。
そして、
「ではやめましょう」
と教授があっさり降参したのです。
『ぬぉーっ!!数週間かけて練習してきた
私の立場はどうなるんじゃい!』
と心の中で叫びつつも、
目の前の鍵盤をベートーベンの運命で
ジャジャジャーン!とやりたい衝動に駆られつつも、
NOと言えない日本人の私はひたすら呆気にとられて、
その状況に流されるだけでした。
こんなことが繰り返されるなら伴奏は断ろう、と心に決めながら、
1週間でみんなが選んだ新しい曲を必死に仕上げ、
再度チャペルにチェックイン。
さぁ、今度はみんなちゃんと歌ってくれるんだろうなーと、
心で恨み節を唱えながら前奏を弾き、歌パートに入ると…
こんどはばっちり!
完璧!!
それはまるで前回とは別人たちの集まりのような歌声と
美しいハーモニーなのでした。
みんな好きな歌だからキラキラ輝いています。
教授の指揮もノリノリ。
私の伴奏もノリノリ。
過去数週間のチャペルでひとりぼっち伴奏練習の苦労も
一瞬で吹っ飛びました。
そうか、そういうことか。
この人たちがしたこと自己主張であって、
わがままではないのだな。
教授がしたことは、屈服ではなく、
相手の権利の尊重なのだなと。
誰も悪意からことを起こしているわけではありませんから。
お互いが自分の気持ちに素直になり、
それを分かつ姿勢は、
「私は私でよい、あなたはあなたでよい」
という違いや多様性を受け入れる信頼の姿勢がベースにあって
はじめて成り立つものでした。
自分を大切にして主張することは、相手にもその権利があり、
それを大切にすることにもつながる…
かならずしも相手に迷惑をかけたり、
傷つけたりするわけではないことなのと知りました。
私も相手の顔色を伺わず、他の生徒にも教授にも
「私はそれなりに時間を割いて伴奏の練習をしてきました。
次回からは、あらかじめ曲が決定してから伴奏を依頼してください」
と毅然と伝えれば、相手も当然のことと
それを受け入れ、詫び、感謝しただろうと。
そのことによってしこりはなくなるし、
私は相手の主張をわがままと受け止めることもなくなるだろうなと。
自分がいらぬ我慢をしているから、
健全な主張や依頼が、
わがままや横暴な要求に聞こえたのだなと。
それからは、キャンパス内外での
さまざまな行事でボランティア演奏のオファーなどがあっても、
「この(難しいorつまんない)曲は弾きたくありません。
でもこの(簡単なor好きな)曲なら弾きますよ」
とはっきり言えるようになりました。
自らストレスの無い仕事にコントロールできたなら、
断る必要もなくなるので、
次から次へとオファーを引き受けているうちに、
キャンパス内で知らない生徒や教授らからも
声をかけられるようになり、
人間関係が豊かになっていきました。
ついにはその噂が学長の耳に届き、大学のホールで
シンフォニーの前座で好きなショパンを弾かせてもらうという、
素人にはありえない夢のようなオファーまで
舞い込んできました。
スタンウェイのフルコンサートピアノという
ピアニスト垂涎のブランドと型のピアノで
お腹のそこから響く音を体験できたのも人生の宝です。
人生初のスタンディングオベーションは照れくさくて、
そそくさと舞台袖に逃げ込んだのを思い出します。
これらの経験は
私が歯を食いしばって努力をし続けていたなら
舞い込まなかったでしょうし、
同じオファーがあったとしても、
おそらく苦しみを伴う経験となっていたでしょう。
いただいたご縁は大切に、でも無理しすぎず、我慢しすぎず、
他人ではなくまず自分を喜ばせられるかどうか、
楽しく取り組めるかどうかを
振り返りながらとった行動の結果でした。
自分を大切にしたり自己主張したりすることは、
決してわがままなことではなく、
結果的に周りの人々にも、そして宇宙全体にも
調和をもたらすことを実感した豊かな体験でした。
読者のみなさんもぜひMe Firstの精神を大切に
日々を豊かに過ごされますように。
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