Q:こんにちは。
いつもメルマガを拝読しております。
気付きと学びを与えて下さりありがとうございます。
私の悩みは友人とのことです。
約1年前に10年来の友人と縁を切りました。
家族ぐるみの付き合いでしたので子ども同士も仲が良く、
共通の友人も多かったのですが
どうしても友人のコトが嫌でした。
話をすれば自慢話か人の噂話、夫の愚痴。
人の家庭の事情を詳細までペラペラと話すので、
我が家のことも話しているんだろうと思うと嫌になります。
色んな事を教えてもらって沢山お世話になり、
実際に助けてもらったこともあって
感謝はしているのですが恩着せがましいです。
何度もお礼を言ったことを繰り返し話題に持ち出し、
その度にまたお礼を言わなければならないのか、、、
と憂鬱になります。
少し年上なので「私の方が先輩だぞ」と
冗談ぽくですが釘を刺してきます。
上から目線で、どこか上下ある関係が嫌でした。
きっと本当は自分に自信がなく、
承認欲求の表れなんだろうと思います。
私は何を言われても明るく受け流していましたし、
褒めて欲しそうな事はすごいねとヨイショして
反論もしなかったので
一緒にいて気持ち良かったんじゃないかと、
依存されていたように感じます。
貸した持ち物に関しても
「あなた達は他のも持っているから いいよね」
と言って何年も持ったままで返すつもりがないです。
ちゃんと相手に「返して」と言うべきだったのですが、
友人の旦那さんからも
「助かっている」というような事を言われ、
私の夫も
「返してとは言えなくなっちゃったな」と言います。
自分の家の不用品はうちに持って来て
押し付けようとするのでモヤっとします。
一緒にいると疲れてしまうのに、
誘いがあれば我慢して応じてきました。
私が体調不良になった時、
そっとしておいて欲しかったのに会いたいと言われ、
こんな時まで気遣いではなく
自分の希望を言ってくるのかと思って
限界を迎えてしまいました。
距離を置くつもりでしたが、
メールに返信せずに無視していても
今度はSNSからコメントしてきたりして、
カっとなりついにブロックまでしてしまいました。
あちらは一体何があったんだと
驚いていると思います。
子ども達は、幼馴染である友人の子どもが大好きで
「会いたい」と何度も言われたのですが、
「また今度ね」と誤魔化していて
最近は諦めたのか言わなくなりました。
私の都合で大事な友達を奪ってしまったことには
申し訳なさを感じ、自分がした事は
間違っていたのではないかと悩みます。
まだ幼いので子ども同士で連絡を取り合って
会うことはできません。
理由を伝えるのは子どもに負担だと思いしていません。
私はme firstで、まず自分を守る。
嫌な相手との縁を切り、
不要不適不快な人間関係を断捨離したんだと
自分に言い聞かせていますが、
度々思い出しては
相手を傷付けたんじゃないかと罪悪感を感じ、
いやあんな嫌な事をされた、
あんな人達とは縁を切って良かったんだと
思ったりの繰り返しですっきりしません。
ほぼ毎日一度は思い出します。
私はme firstを
履き違えてしまったんでしょうか。
自分も相手も成長する為に
必要な痛みなんだと思う日もあれば、
ちゃんと相手に嫌だったことを伝え
コミュニケーションを取る必要があったのか?
と悩む日もあります。
復縁したいとは思っていません。
30代をずっとつるんできた
共依存のような悪縁を断ち、
40代は違う生き方をしてみたいと
前向きな気持ちでしたことだからです。
なのにこのモヤモヤは何なのか。
嫌いだと思っている相手は実は好きの裏返し?
相手の中に自分の嫌なところを見るようで、
それが嫌なのだという気持ちもあります。
自分の心は私に何か伝えようとしているようですが
それが何か分かりません。
私の行動は間違っていたのでしょうか。
私の勝手で子どもや夫の友達まで
奪ってしまったのは罪でしょうか。
アドバイスいただけると嬉しいです。
【ヒルトン・40代・女性・育児休業中】
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A:FROM 川畑のぶこ
長年家族ぐるみでお付き合いのあった
友人との関係を断つというのは
苦渋の決断だったことと思います。
子どもたちの仲が良いのであればなおさらですね。
ご自身の健やかさと子どもたちの笑顔の
どちらをとるのか…ヒルトンさんの揺らぐ心が
手に取るように伝わってきます。
まず、ヒルトンさんにとって
友人の行動や態度がこの上なくストレスで、
ヒルトンさんの日常に支障をきたすレベル
(気がつくとそのことばかり
考えてしまってモヤモヤが晴れないetc)
であったなら、
それに対する対処は不可欠です。
今回、ヒルトンさんは適切な対処、
すなわち、適度な距離を取るということを
されたと思います。
距離のとり方やコミュニケーションに関しては、
やりかたはさまざまでしょうが、
今回ヒルトンさんが返信をスルーするようになったり、
SNSをブロックするという、
比較的強硬な手段に出たのも、
そうならざるを得ない状況であったのでしょう。
病気のヒルトンさんに配慮せず、
我を通すのは限界を超えた行為といえます。
病気のとき私たちは無理がききませんし、
通常なら対応できることが
ままならないことも多くありますから、
とつぜんコミュニケーションが絶たれることも
正当化されるのではないでしょうか。
私も臨床ではよく患者さんに、
比較的大きな病気になったときは
「人生の人事異動」があるとお伝えします。
誰が真のサポーターなのか、
人間関係の本質が浮き彫りになるのですね。
ヒルトンさんも、友人ってなんだろう?
これは友人といえるのか?
と振り返る良い機会が与えられたでしょうし、
その結果と思います。
友人とは本来互いに助け合い、満たし合い、
思いやる関係であるべきです。
今回、そのバランスがいびつに崩れ、
ヒルトンさんばかりに負担がかかる関係に
なってしまったのなら、
それは真の友情ではなく都合の良い関係だったと
いえるのではないでしょうか。
子どもたちの気持ちについては、
罪悪感を刺激されるのは当然のことと思います。
しかしながら、母親のメンタルを犠牲にしてでも
子どもを尊重することは、
目先の子どもたちのニーズは満たすものの、
長い目で見ると必ずしも得策とはいえません。
ヒルトンさんからすると、
子ども同士の個々の視点に
重きをおいていることと思いますが、
私たちは、個々をとりまく社会的な関係も含んで
何が健全かを考慮する必要があります。
友達と自分では問題がなくとも、
友達家族と自分の家族とで問題がある場合、
子どもがその不安定なダイナミズムの
犠牲者になる可能性もあるのです。
母の心身の状態が
良好でごきげんであることは、
子どもの健康にも大切なことです。
お友達と楽しく過ごしたのち、
帰宅すると母親の体調や機嫌が悪くては、
幸せも相殺されてしまいます。
子どもは新しい友達をつくる機会が
与えられているかもしれませんし、
自分も家族もごきげんでいられる友ができたなら、
それに越したことはありません。
また、ヒルトンさんの課題としては、
今回のように限界ギリギリまで我慢をして
突然切るというやり方ではなく、
日頃からご自身の気持ちをアサーティブに伝える術を
身に着けていくことも大事だと思います。
アサーティブなコミュニケーションとは、
自分の意見や感情を率直にかつ適切に
表現しつつも、相手の権利や感情も尊重する
コミュニケーションスタイルのことです。
ヒルトンさんが、自己主張をしながらも
友人に対して決して攻撃的にならない、
しかしながら、受動的にもならない、
バランスの取れたコミュニケーションです。
アサーティブなコミュニケーションの
特徴には、
率直
(ヒルトンさんの気持ちや意見を
ごまかさずにストレートに伝える)、
対等
(ヒルトンさんと友人のあいだに上下をつくらない)、
誠実
(ヒルトンさん自身にも友人にも
嘘偽りなく素直な気持ちを伝える誠実さ)、
自己責任
(ヒルトンさんが自分の言動に責任を持つこと
=言葉を飲み込むと決めたのも自分)
の4つの要素があります。
このように、相手を尊重しつつも、
自分の感情を認識しながら、
自己表現を大切に、非攻撃的に伝えるすべを
身に着けることを心がけてください。
このような姿勢から
子どもたちが学ぶものも多いはずです。
応援しています!
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